第187話
「あ」
一時間弱ほど残業し、退社の準備をしながら、そういえば柊から着信があったのだ、と思い出した。
(田村さんに連絡したりして、すっかり忘れてた)
慌てて自分のスマホを取り出す。昨夜以降、柊からは何の音沙汰もなかった。
急ぎの用事ではなかったのだろうか。しかしこのまま放っておくことも出来ない。むしろすぐに折り返し出来なかったことを詫びねばならない。
まだ残っている社員たちに挨拶をしオフィスを出たところで、柊に電話を掛けた。
◇◆◇
ブブブ……。
充電中のスマホが震え出す。その瞬間、柊は飛びついて発信者を確認した。期待通り、咲だった。スマホを落っことしそうになりながら、すぐに応答ボタンを押した。
「も、もももももしもし……」
『柊くん?』
「う、うん!」
『昨日ごめんね、電話出られなくて』
「あ、うん、あの、いいんだ、ごめん、忙しい、よね……」
『ちょっとバタバタしてて。ホントごめん。何かあった?』
「あ、えーっと、あの……」
(しまった、嬉しくて出ちゃったけど、なんて言えばいいんだ……)
聞きたいことは山ほどある。書店で会った人が言っていた『コイデさん』とは小出沙紀のことか、どうして知り合いなのか、彼女から何か嫌がらせを受けたりしていないか。実は自分の知り合いでもあり、アルバイトを通じて知り合って、そしてそのバイトの内容は……。
(ダメだ、破滅しか見えない)
『柊くん?』
「あ、その、うん、ちょっと話したいなって思って」
『……大丈夫?』
「咲さん、もう家なの?」
『ううん、今会社出たところ』
「ずっと仕事だったんだ」
『金曜日だしね、月曜に残したくない分を片付けてただけ。最近忙しいから』
忙しいから。
その言葉で、柊は自分の動揺をストップさせる。
やはり小出沙紀の影が見える限り、自分が隠れているわけにはいかないと思った。
「あのさ……電話じゃちょっと話しづらいんだ。明日、咲さん家行ってもいい?」
『あ、ごめん、明日はちょっと予定があって……。日曜日でもいい?』
「う、うん! ごめん、疲れてるのに」
『全然大丈夫。じゃあ、日曜日、いつもと同じくらいの時間に待ってるね』
「うん、ありがとう」
『じゃあ、またね。お父さんと楓ちゃんによろしくね』
電話を切ってから、柊は大きく息を吐いた。
その時にやっと、自分が息をすることすら忘れていたことに気が付いた。
(こんなんで、日曜日に話できんのかな、俺……)
本当は、勢いづいた今、このまま咲の家に行って洗いざらい問い質して自分のことも喋ってしまいたかった。
しかし疲れている、と言っていた。
仕事の疲れだけじゃなく、もし小出沙紀が絡んで余計な疲労やストレスが咲にかかっているのだとしたら、ここで押しかけるのは迷惑千万だろう。
電話で話せたことが嬉しかったと、メッセージを追加で送信する。
スマホを充電器に戻し、開いていた参考書を閉じて、レポート用紙を広げる。
咲に何を話すか、いや、どう話そうか、頭の中を整理したかった。
思い付いたことを殴り書きながら、ふと、咲の言葉が甦る。
『明日は予定があって』
(予定、って、何だろう……)
咲が自分とは関係ない行動を取ることを想像し、また新たな不安が柊の頭をもたげ始めた。
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