第185話

 咲の家から駆け戻ると、柊は部屋に閉じこもってしまった。


(どうしよう……きっと変に思われた。咲さんから向こうに確認されたら、きっと全部話す。そしたら、俺がやってたバイトも……)


 机に座って頭を抱え込むが、どうすればいいのかも思いつかない。

 今更ながらバカなことをしていたものだと過去の自分を悔やむが、しかし偶然が重なったとはいえ、それが無ければ咲と知り合うことも無かったのも事実だ。

 そして今考えるべきは、そこじゃないと思い直す。。


(俺はいいんだ、自分がバカなんだから……。でも、咲さんに何かあったら……)


 小出沙紀からの連絡はずっとスルーし続けている。父の会社まで知られているのだから、突然家に来たら、と思ったこともあったが、ある時を境に電話もメッセージも来なくなった。

 自分に興味を無くしたのだろうと安心していたが、考えが甘かったかもしれない。

 柊の知る小出沙紀は、自分の望みに対して貪欲だった。

 もし今でも自分に関心を持ったままなら、そして自分の想い人の咲が目の前にいたら、どんな行動を取るのかと考えると、楽観的になることは出来なかった。

 しかし、今日のように、小出沙紀と知り合いなのか、と聞かれると、どう答えればいいのか分からない。

 結局、思考が同じところに戻ってきてしまうのだった。




「なーんかこの部屋、暑くないー?」


 バン、と音を立てて唐突に部屋の扉が開く。飛びのくほど驚き、顔を上げてフリーズしていると、案の定楓だった。


「……だからお前、ノックぐらい……」

「うーす。ねえわかんないとこあるんだけどさー」


 柊の苦情は全く耳に入らないらしい。勝手にエアコンの温度を下げ、柊のノートを押しのけて持ってきた参考書を開く。英語の長文読解問題で、確かに柊から見ても難易度は高めだった。


「これはこっちとこっちを分けて考えるんだよ。この代名詞が指しているのは……」

「おーサンキューサンキュー、やっと意味が繋がったわ」


 柊が英文に区切りの斜線を入れると、納得したように何度も頷く。勉強してる、と常々言っていたのは嘘かと疑ったが、そうでもないらしいと少し見直した。


「今日も遅かったみたいじゃん。咲さんとこ?」

「……まあ、そうだけど」

「歯切れ悪いね。ケンカでもした?」

「お前さあ……」


 毎度、楓の勘の鋭さには驚きを通り越して呆れる柊だった。それとも自分はそれほど単純に分かりやすいのか。


「とっとと謝っちゃいなよ。咲さんなら絶対許してくれるし」

「なんで俺が悪い前提なんだよ」

「咲さんがやらかすわけないじゃん。ポカするのはあんた。それは絶対」


 他にも聞きたいことがあるのか、ぱらぱらと参考書を捲りながら当然のように断言される。それに対しても反論は出来なかった。


「咲さんなら、許してくれるなんて、どうして言い切れるんだよ」

「……そんなの当たり前じゃん。咲さんだよ?」

「分かるけど……、でもそれでも、許してくれないこともあるかもしれないだろ」

「例えば?」

「例えば……、隠し事してたとか、嘘ついたとか、そういうのだったら……」


 どんどん声が小さく尻すぼみになって行く柊を、楓はじっと見つめ、はあ、とため息をつく。


「ええかっこしいなのはあんたの性格だけどさ、咲さんにくらい、見栄張るのやめてもいいんじゃないの」

「見栄なんか……」

「違うの? 見損なわれるのとか、がっかりされるのが怖くて、うだうだしてるようにしか見えないけど」

「お前だったらどうするんだよ。例えば咲さんに……」


 隠し事をしているのを白状しなければならない時に、と続けようとして、止めた。楓ならそもそも何も隠したりしないだろう。今の自分のような立場に立つ楓を、柊は想像出来なかった。


「怖いよ」

「え……」

「うちだって怖いと思う。でも嫌われるのが怖くて、距離とって、それのせいで会えなくなるとしたら、そのほうがずっと怖い。だから……」


 最後まで言わずに、キョロキョロと部屋を見回す。あった、と言うと、柊のスマホを手に取って勝手に操作し始めた。


「おい、何してんだよ」

「とっとと謝れ、ほら」


 差し出されたディスプレイには、咲の電話番号が表示されていた。

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