第182話

「あんな人より、咲さんのほうがずっといい。優しいし、俺のこと考えてくれるし、俺だけじゃなくて親父とか楓にも優しいし、そんで、料理も上手いし、あと……」

「ちょ、ちょっと落ち着いて、どうしたの?」


 突然大きな声で叫んだと思ったら、必死に何かを言い募る柊にただならぬものを感じて咲は焦った。

 慌ててキッチンの柊に駆け寄ると、少し息が荒くなっている。まだ出しっぱなしだった水道を止め、そっと柊の腕に触れた。


「大丈夫?」

「っ、ごめん、俺……」


 どうしても我慢が出来なかった。柊にとって唯一無二の咲を、当の本人が貶めているようで、その上あろうことか小出沙紀を絶賛している。

 柊の気持ちとは正反対の咲の言葉は、柊の咲への想いすら否定しているように聞こえて、黙っていることが出来なかった。


「ううん、私が変なこと言っちゃったのかもしれないし」

「あのさ」


 頬に伸ばされた咲の手を、自分の顔に届く前に掴んで引き寄せた。


「俺に出来ること、ない?」

「……え?」

「俺、咲さんの役に立つ男になりたい」


 耳元で、小さいながらはっきりと強く言われ、咲は驚いて反射で体を離そうとしたが、柊の力が強くて動けない。


「ガキなの分かってるけど。親父みたいに金持ってないし、車も運転出来ないし、宗司さんみたいに……咲さんの全部を知ってるわけじゃないけど、でも……」


 そして更に力を込めて、咲を抱きしめた。


「俺のせいで咲さんが嫌な目に合うのだけは嫌だ。俺が……咲さんを守りたい」

「嫌な目、って……、そんな心配いらないよ? だって」


 そこまで言いかけて、咲の中で疑問が浮き上がってきた。


「柊くん、もしかして小出さんと知り合い?」

「……な、なんで?」

「だってさっき、あの人、って言ったよね。違った?」

「っ!」


 柊は咄嗟に咲を離して後辞さる。興奮して、要らぬことを口走っていたらしい。迂闊さを後悔するが遅かった。

 再び咲が口を開きかける前に、カバンを手に取って玄関へ向かった。


「柊くん?! あの……」

「ごめん、帰る」

「柊くん!」


 咲は引き留めようとしたが、玄関を飛び出し階段を駆け下りていくのを、止めることは出来なかった。




 柊が帰った後、片付けを続けながらぼんやりと考えを巡らせる。

 いつか聞いた、宗司の話。

 宗司が営んでいる会社で、柊が出張ホストのアルバイトをしている、と。

 もしかしたら、と、仮定の域を出ない。しかし、柊がその仕事を通じて小出沙紀と顔見知りである、というのは、それほど無理がある話ではないと思った。

 しかし。


(もし小出社長と柊くんが知り合いだとして、どうしてそんなに気にするのかな)


 自分が小出沙紀に何か話すと思ったのだろうか?

 高校生だと知られたくない、とか。それなら納得いく。しかしあんなに取り乱すようなことだろうか。

 

 そして、柊の言葉。

 自分の役に立ちたい、と。

 甘えたい、ではなく、柊の望みは逆だったのか、と。


 片づけを終え、濡れた手を拭いてエプロンを外し、さっきまで柊が座っていた場所に腰を下ろす。

 腕と肩に微かな痛みが走る。男性にあんなに力いっぱい抱きしめられたのは久しぶりだった。

 よく見知ったつもりでいた柊の、違う面を見た気がした。

 いや、見た、というより、やっと自分がそれに気が付いたのかもしれない。

 柊が発し続けていたメッセージを気づかないまま、見当違いな接し方をしていたのだろうか。

 ずっと柊は我慢してくれていて、それが今日、限界を超えてしまったのか。


 甘えて欲しいと思ったのは、間違いだったのか。


 無意識に頭を抱えていた自分に気づいて、そっと顔を上げる。上げた視線の先に、誠の写真があった。


 永遠に微笑み続ける誠を見つめ続ける中で、ふと田村のことを思い出していた。

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