第180話

「分かる、って……」

「お前は昔の俺そっくりだからな」


 自分から顔を背け、細くゆっくり煙を吐き出す宗司の横顔が、やけに大人びて見えた。自分より年上の人に大人びた、と感じるのもおかしな気がしたが、宗司の年齢以上の、自分の父に感じるような深みを見た気がした。


「俺は、お前が好きだよ、柊」

「……っ、あ、ありがとう、ございます……?」

「なんで疑問形なんだよ。男から言われてもキモいか。でも、俺に弟がいたらお前みたいな感じかな、とよく思うよ。俺に下のきょうだいはいないんだけどな」


 煙草の火を消し、ゆっくりと脚を組み替える。


「でもな、彼女のことも好きなんだ」


 柊は、一瞬、誰を指しているのか分からなかった。

 そして『彼女』が咲であると気付いた時、息が止まった。

 でも、心のどこかで『やっぱり』とも思っていた。


「前に、宗司さんが言ってた、忘れるしかない人って……」

「ああ、覚えてたか、あれ」

「咲、さん……」

「兄貴の嫁さんって時点で諦めるしかなかったからな。突然いなくなって、離婚したって聞かされて。もう兄貴に遠慮しなくていいんだって分かったけど、どこに行ったか分からなかった。自分と彼女の縁は切れたんだって思ったら、忘れるしかないと思ったんだ」


 柊は、以前持った疑問を思い出した。

 女性が放っておかなそうな宗司に、どうして特定の相手がいないのか。

 何故、ビジネスをしているのか、と。


「咲さんがいなくなったこと、……怒ってるんですか?」


 柊が、ポツリと呟くように言った。宗司は微かに眉を上げ、暫し考える。


(怒る、か……)


 あの時は、ただ悲しかった。

 自分の大事な人を追い出した兄や母への憎しみ。

 もう咲と他人になってしまった淋しさ。

 見知らぬ土地に探しに行った自分に何も言わずいなくなった咲への怒り。

 何も出来ない、もう一度追いかける勇気を持てない自分への憤り。


 その全てを打ち消してくれるはずの咲が、時を経て突然目の前に現れた。

 ごく身近な柊の想い人として。


 会えたことを喜べばいいのに、そんな単純なことすら思い浮かばなかった。

 元気そうでよかった、ただそれだけ言えばよかったのに。

 今当たり前のように咲のそばにいて、彼女の優しさを享受している柊に、怒りと、羨望と、感謝を同時に感じてもいた。


「まあ、そうだな。元気にしているなら、一言くらい何かあっても良かったんじゃないか、とは思うな」

「宗司さんは、その……」


 今も好きなのか、と。

 柊はそう聞こうとしたが、最後まで言えなかった。イエスもノーも、聞くのが怖かった。


「お前はまだ、これからだ」

「……え?」


 唐突な宗司の言葉に、柊は面食らう。


「高校卒業して、大学も出て、社会人になって。色んな経験して、その先にやっと人生が決まるんだ。だろ?」

「急になんなんですか」

「彼女と人生を共にすることは出来ないってことだよ」


 ガン、と頭を殴られた気がした。

 人生を共に出来ない。

 それは。


「人生、って……」

「違うのか? 今だけ甘えて、そのうち他に女が出来たらそっち行くのか? だったらむしろそのほうがいいと思うけどな、俺は」

「ち、違います! 俺は、俺は本当に、咲さんのこと、が……」

「咲さんが、なんだ?」


 柊の喉に、熱い塊が込み上げてくる。

 何度か咲本人にも伝えた言葉だった。全く真に受けてもらえなかったが、だからこそ分かって欲しくて何度も言った。

 本心だったから、少しも恥ずかしくなかった。

 なのに、なぜか宗司に対しては出てこなかった。

 咲を愛している、と。


「言えないのか」


 打って変わって冷たい声音が響く。

 怯えたように目を上げる柊に、宗司が言い放った。


「その程度の奴に、咲は渡さない」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る