第176話

「なるほど、そういうことですね」

「すみません、お休みの日に不躾なご相談で……」

「いやいや、全く構いませんよ。そうですね、不慣れだとどこから手をつけていいか分からないですよね」

「本当に、お恥ずかしい限りで……」


 柊達と三人で外でランチを済ませてから、桐島家を訪れた。前もって柊が連絡を入れてくれていたため、忠道は席を温めて待ってくれていたようだった。

 咲は早速相談したい内容を伝える。仕事で関わることになった他社との共同プロジェクトのために勉強をしたいが、何から始めればいいか分からず困っている、と。

 その横で楓は今日の戦利品を広げて楽しんでいる。が、柊はそちらには目もくれず、何故か大人二人の会話にぴったりとついて来た。


(聞いててもつまらなくないかな)


 咲はそれとなくその旨を柊に伝えるが、ノープロブレムだと言うように動こうとしなかった。忠道は柊に気づかれぬよう、そっと小さく笑いを漏らす。


「失礼ですが、大学の専攻は?」

「日本文学です。なので全く」

「分かりました。そうだ、私の本で良ければ差し上げますよ。最新の版ではありませんが、基本的な部分はそんなに変わってないはずですから。ちょっとお待ちください」


 言い置いて、忠道は立ち上がる。おそらく本を取ってこようとしているのだろうと、咲も後を付いていく。更にその後ろを柊が追った。

 その様子を見ていた楓は、三人の姿が見えなくなったところで吹き出す。


「楓さん?」

「ん? あ、福田さんありがとう。ほら、柊がワンコみたいじゃない? 咲さんにぴったりくっついて離れないよ」


 飲み物のお替りを持ってきた福田に楓は同意を求める。いかにも楽し気に話す楓とは反対に、福田は無表情に影に目線を送った。


「あの方、最近よくいらっしゃいますね」

「咲さん? そうだねー、これからはしょっちゅう来るんじゃない? 柊のママになるんだし」


 楓は話しながら買ったばかりのスマホケースを箱から出して早速付け替える。思っていた通りいいデザインだと満足し上機嫌になり、福田の顔が見たことも無いほど歪んでいることには全く気付かなかった。




「……この辺りを読んでみたらいいかもしれませんね。昔若い奴にも勧めたことがあって、分かりやすかったと評判が良かったので」


 忠道が書棚から取り上げた本は、ソフトカバーでそれほど分厚くなかった。辞書のような本が出てきたら、と想像していた咲はホッとし、有難く借りることにした。


「助かります。すぐお返ししますので」

「差し上げますよ。古本で申し訳ないけど……、他にもありますから、よかったらどうぞ。ああ、帰りはお送りしますので」

「いえ、これくらいなら」


 自分で持って帰ります、と言いかけたところで、柊が口を挟んだ。


「そうだ親父、夜さ、四人でまた飯食いに行こうよ! いいだろ?」

「四人、って……ああ、楓ちゃんもか。咲さんがいいなら、もちろん」

「咲さんは親父がいいなら、って言った! じゃあ俺予約してくる」


 そして階下へ駆け下りていく。

 楓は? と聞きかけたが、二人の間では了解が取れているのかもしれない。親しいだけじゃなく相手の気持ちをよく理解している。その上でべたべたしすぎない距離を保っているように見えて、咲は少し羨ましく感じた。


「何か入れる袋探しますね」

「すみません、何から何まで……」

「いえ、こちらこそ。柊があんなに懐いてるんだし……」


 それに、と付け加える。


「そろそろお互い他人行儀はやめましょう。迷惑かけあうくらいがちょうどいいと思ってください」


 戸惑う顔を上げる咲に、忠道は笑いかけながら続けた。


「人に甘えることが出来ないのは、もしかしたら咲さんも、じゃないですか?」

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