第177話
柊達と夕食を共にし、忠道の車で送ってもらって自宅に着くと、既に夜の十時を回っていた。
結局丸一日彼らと過ごしたことになる。しかし咲は、疲れをほとんど感じていなかった。
風呂に入り寝る準備をしたが、何故かいつものようにスムーズにベッドに入る気が起こらない。気が赴くまま、忠道から譲られたビジネス書を開く。
著者は外国人だから、それを和訳した文章は独特だ。日本語の書籍を読むのとは異なる違和感を感じつつページをめくり続けた。
読みながら、忠道の言葉が思い浮かんだ。
『人に甘えることが出来ないのは、咲さんも、じゃないですか?』
言われてみて気づいた。
自分は、誰かに甘えたことはあっただろうか、と。
もちろん子どもの頃は親や周囲の大人に甘えただろう。意識的に甘えたことも、子ども故の非力さで大人の力を借りていたことも。
今だって、自分一人で仕事をしているとは思っていない。宇野や下田、その他同僚に助けられてばかりだ。今日だって忠道から本をもらい食事をご馳走になり車で家に送ってもらった。
だが、咲や忠道が柊に求めている『甘え』とは、そうしたものとは少し違う。
手助けや援助ではない。もっと能動的で、柊自身が望む形でこちらに働きかけて欲しいのだ。
手助けは、求めれば与えられることを知って欲しいのだ。
無論、常に与えられるわけではないけれど、だからこそ助け合う関係が貴重なのだと知って欲しい。
自分は、誰かを助ける力があること、誰かの助けを得て望みをかなえられるのだ、と。
しかしわが身を振り返り、自分が出来ていないことを柊に求めているのでは、ということにも気が付いた。
柊に、どうやって甘えればいいのか、と聞かれて的確な提案が出来なかったのも、そのせいかもしれない。
(甘えるって、難しい……)
相手への遠慮もある。迷惑をかけることにならないか、と。そうした懸念は子どもでも感じるだろう。
でもそれだけではない。
甘える、頼るということは、自分の出来ないことや欠点を受け容れて向き合い、それをカバーしてくれる相手に委ねることだ。
そう簡単に出来ることではないのだ。
本を閉じ、ソファに身を預けて目を瞑る。
自分が、もし甘えるとしたら。
それは、誰に対して、だろうか。
どんなことをして欲しいと望むのだろうか、と考えながら。
◇◆◇
(コイデって、言ってたよな)
昼間、書店で会った咲の同僚だという女性が漏らした名前。
一瞬、聞き間違いかと思った。
だが、その後に続くその人物についての描写が、沙紀を指しているとしか思えない。
(なんであの人が、咲さんの会社の人と……)
咲自身と関りがあるのだろうか。
咲の会社が何をしているのか、沙紀の会社が何をしているのか。
柊はそのどちらも知らないし、大人の世界がどんなふうに繋がっているのかも想像がつかない。
だから、自分の思い違いかもしれない。
しかし、もしもそうでないとしたら。
考え事をする時の習い性でベッドに横になっていたが、ガバッと起き上がると勉強机に放り出したスマホを手に取る。
自分以外であの二人とつながりがあるとしたら、それは一人しか思いつかない。
履歴からたどれるくらい連絡する頻度は高い。すぐに番号を表示したが、発信する手前で指が止まる。
もし宗司に問い質すことで、逆効果になったら?
宗司には、これ以上咲と親しくしないほうがいいようなことを言われてから、連絡を取っていない。
柊自身のための忠告かと受け取っていたが、それが逆の意味だとしたら。
番号を表示していた画面を消して、もう一度ベッドに戻る。
もう一つの手段を取るかは、少し時間をかけて考えたかった。
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