第173話

「一旦は、こんな感じでしょうか」


 通常業務をこなしながらの業務整理は骨が折れる。度々中断しながらも、咲と下田は、なんとか業務分担について組み立てることが出来た。


「そうね、あとはやりながら見直していくしかないわね。明日からすぐにいなくなるってわけじゃないんでしょ?」

「はい、次回は来週なので」

「じゃあひと段落ね。あー、疲れた」


 やれやれ、と伸びをしながら下田は立ち上がる。既に定時を過ぎており、オフィス内には自分達以外にも数人しか残っていなかった。


「宇野さんへの報告は明日朝一で入れてしまっていいですか?」


 パソコンで会議室予約システムを開きながら、近くにいるだろう下田に確認する。特に返事がないのを不思議に感じて振り向くと、じっと宇野のデスクを見つめていた。


「……下田さん?」

「宇野さんって、今日は接待だっけ」

「はい。以前お付き合いのあった担当者が海外から戻られたって言ってましたよ」

「ふーん……」


 予約を完了し、下田と作成した資料も添付して二人に共有メールを送る。すでに残業が一時間近い。早々に切り上げなくては、と、手早く片づけを始めた。


「下田さん、もし他にお仕事無かったら、今日は……」

「ご飯食べにいかない?」


 え? と、咲は思わず聞き返していた。


◇◆◇


「真壁さんって、夜も自炊してるの?」

「そうですね、駅の前にスーパーあるので」

「お惣菜とかは?」

「疲れている時は。でも味が濃くて、食べきれなくなるんですよ」


 下田の提案で、オフィスの最寄り駅のレストランで二人で食事をすることになった。

 昼はカフェで、夜はアルコールや食事も出すような店らしい。他の客も、自分達のような女性客のグループばかりのせいか、咲も寛げた。


「下田さんは外食ですか?」

「たまにね。お米炊くのも面倒なときとかあるし。……宇野さんってどうしてるんだろうね」

「さあ……、今日みたいにお取引先と食事することが多いから、料理するイメージはないですよね」


 以前連れ出された時も、やけにお洒落なレストランだった。きっと仕事上、ああいう店を多く知っているのだろう。


「宇野さんって、独身、だよね」

「そうみたいですね」


 食前酒代わりに、ハーフボディの白ワインを頼んだ。これなら酔っぱらうこともないだろうと、咲は口に含めながら満足する。


「彼女とか、いるのかな……」

「さあ……」


 下田の質問に、内心ぎくりとしながら知らないふりをする。少し前に宇野から求愛を受けたが、自分は断った。その後は一切そういうアプローチは無いし、こちらからも触れていない。宇野が結婚するとなれば社内ですぐ話題になるだろうし、彼のプライベートにそれ以上の関心は無かった。


「お忙しそうですし、どうなんでしょうね」


 下田は、ワイングラスを眺めながら適当な返事を返してくる咲に、若干の苛立ちを覚えた。あれだけ二人一緒に行動していて、何も知らないはずがない、と。

 むしろ。


「あんたじゃないわよね?」

「……は?」

「その……、宇野さんの、彼女、って」


 咲は目を見開いて、下田と向かい合った。彼女の語気は強かったが、しかしその瞳は小刻みに揺れていた。言葉と表情が相反していた。

 また少し以前のように下田から反感を持たれたのかと後じさりしそうな気持は、その表情でその場に引き留められた。

 咲はグラスをテーブルに戻す。


「違います」

「……そう。でも、いつも」

「違いますよ」


 二回目は、ニコリと微笑み返し、最初より心持ち強めの声で伝えた。


「宇野さんにそういう方がいるかどうかは知りません。もちろん私でもないです」

「……うん、分かった。ありがとう」


 そして下田もグラスを持ち上げる。咲と、そっとグラスを合わせる。

 咲は不確かな予想ながら、心の中で下田を応援しようと思った。

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