第172話
ふと、咲の手元でスマホが鳴った。楓からのメッセージを開くと、両手で顔を押さえている柊の写真だった。
(……?)
どうやら柊の部屋で二人で勉強をしているらしい、ということは分かった。が、写真の意味が分からず首をかしげていると、続いてメッセージを受信した。
『咲さんの母校って、どこ?』
写真とは関係が無さそうだった。どうして楓がこんなことを聞いてくるのか分からないまま、返信する。
『慶清女子大ってところだよ』
ふと、十年前の自分を思い出す。あの時の自分は、十年後をどんなふうに想像していただろうか。
「……この子、誰? 弟とか?」
ぼんやり考え事をしていたら、隣から下田に声を掛けられた。手元ではまだ柊の写真が表示されていた。
「あ、いいえ、知り合いの子で……」
「ふうーん、メッセージするとか、仲良いんだね。で、ここなんだけどさ」
それだけ言って、手元の資料を差し出す。宇野と三人で話し合い、彼の今まで手掛けたプロジェクト、過去から現在にかけての取引先と担当者、会社の今後の方針と宇野が予定している仕事をすべて共有することになったのだ。咲が秘書を担当するようになって以降の分は咲が資料を作った。今、下田が見ているのは咲が作った箇所だった。
宇野は一度は反対しかけたが、下田を推して正解だったと咲は思う。関係性が悪化する前と比べると、今でも多少の棘を感じなくもない。しかし以前より話しやすくなっていると感じるのは気のせいだろうか。もしかしたら今のほうがより自然な彼女なのでは、と思うと、余計な気遣いをせずに、咲も思ったことを言えていることに気が付いた。
そして予想通り、宇野の担当分野に精通していた。だからなのか、業務分担も思っていたよりずっとスムーズに進んでいる。
「そうか、そういうことね……。って、何。なんか言いたいことあるなら言いなさいよ」
資料から顔を上げると、こちらをじっと見つめ続けていたらしい咲と目が合い、下田はぎょっとする。自分が今までのやり方に文句をつけたのが気に入らないのか、と、若干の反発を感じながら。
「いえ、さすがだな、って。宇野さんの得意領域、結構専門用語が飛び交って難しいのに、下田さん全部分かるからすごいなあって思って」
「……っ、そんなの、あんたより私のほうがこの会社長いんだから、知っててもおかしくないでしょ。文句あるの?」
「そんな、文句なんて……。良かったです、下田さんにお願いして」
にこりと微笑まれて、下田はたじろぐ。そして言い当てられたことに驚き、慌てて資料を回収して咲から距離を取った。
◇◆◇
『効果は出ているはずですよ』
そう、宗司は確かにそう言ったし、思っていた。
咲が一度は命を投げ出そうとしたこと、柊が風俗まがいのアルバイトをしていたこと。
双方にとっておいそれと許容できる事実ではないはずだ。であれば、今まで通りの関係性が続いているはずはなかった。
実際、自分が咲の部屋にいたことで、柊はショックを受けたように去っていった。咲も、自失状態で店から出ていった。
二人は自分の手のうちにいるはずだった。
しかし、あれからどちらからとも反応がないことにも、違和感を感じてもいた。
もう一押し、必要かもしれない。
(小出沙紀には触らせたくない)
沙紀は、柊が欲しいだけで、咲はどうでもいいのだ。だが咲に対してどんな行動に出るか分からず、もしも咲に何かあれば柊がどんな反応をするかまで計算しているかどうかは微妙だった。
自分は違う、自分なら二人を守れる。
二人のために、これ以上近づけないほうがいい。
宗司は、自分がしていることは咲と柊にとって正しいことなのだ、と何度も言い聞かせながら、まずは柊に連絡を取った。
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