第166話

 幸いとばかり、咲は楓の母に挨拶をした。楓からずっと話を聞いていたため、咲が恐縮頓首するほど、初対面なのに感謝され歓迎された。

 柊が自宅へ咲を連れて行こうとすると、楓ではなく母のほうに引き留められるくらいだった。


「またいつでもいらしてください。なんだったらこの子がいなくても」

「なんで?! ウチの友達なのに!」


 咲は何度も頭を下げて岸川家を辞する。ふう、と一息つくと、柊がこっそりと耳打ちした。


「楓んとこのおばさん、いいひとだけど、真似しなくていいからね」


 言われて逆に、なるほど、と思った。とても自然で分かりやすい手本が向かいの家にいるのは好都合だった。


「ありがとう、参考にするね」

「えっ?! 違うよ、だから!」


 柊は必死で取り消しを願うが、咲は笑いを返すだけだった。


◇◆◇


「……そうですか、よかった。うん、こちらこそよろしくお願いします」


 やっとのことで忠道に事の次第を報告出来た。柊が恥ずかしがって何も言おうとしないので、咲が代わりに説明したのだった。これも、無理にでも柊に言わせたほうが良かったのかどうか、咲には判断が付かなかった。


「でもそうですね、確かに、だからって何をしてもらえばいいのか……」

「以前、桐島さんの代わりに学校の面談に同席したので、そういうことでのお手伝いなら……」

「え?! 柊、そうなのか?」


 忠道は驚いた声を上げ、その反応に咲も驚いた。柊が話していないとは思わなかった。柊は、しまった、という表情で横を向く。


「お前……、いつのことだ。そもそも面談があったなんて聞いてないぞ」

「……去年だよ。だって親父、平日なんて無理だろ?」

「前もって分かっていれば時間くらい作れる。全く……、すみません、こんな感じなんです。先回りして勝手に動く。それが心配で」

「よく分かります」


 頷き合う大人二人に、柊は一言いちごんも無い。柊にしてみれば忙しい父の手を煩わせず、かつ咲との繋がりを深められる名案だと思っていた。ただ、何が『気遣い』で、どこからが『勝手な先回り』なのか、境界線が分からないのだった。


「柊くん、そういう時、これからはまず私に聞いて? 一人で決めないで、一緒に考えよう。そういうのは、ダメかな?」

「ダメじゃ、無い……」


 むしろ、ことあるごとに咲に相談が出来る。柊にとっては願ったり叶ったりだ。

 息子の様子を横から見ていた忠道は、既に変わりつつある柊に目を細めた。何より反省しこれからの対応を改めるべきは自分なのだが、咲に任せれば柊の軌道修正は問題ないと確信出来た。


「じゃあ、折角だから柊くんのお部屋見せてくれる?」

「え、え? なんで?」

「だって、どんなお部屋か見たことないし」


 こっちでいいんだよね、と、さっさと立ち上がって歩き出す。柊が後を追うのを、忠道はただじっと見守っていた。

 その様子を更に遠くから観察する者の存在は、すっかり念頭から消えていた。




「結構綺麗なのね。男の子の部屋ってもっと散らかってるのかと思った」

「……掃除、してもらってるし」


 なるほど、あの女性のことか、と、玄関で挨拶をした桐島家の家政婦を思い浮かべる。シーツもカーテンも清潔そうで、余程こまめに、気の利く人なのだろうと察した。


「じゃあ、安心だね」

「本当は、部屋に入ってほしくないんだけど、俺掃除って苦手だし……」


 念のため福田には、触ってほしくないところは指示してある。約束は守ってくれているようだが、やはり帰ってきて掃除された痕跡に気づくと落ち着かない。

 咲は少しだけ表情を曇らせる。家政婦への距離が、柊独自のものなのか、思春期男子のよくある行動なのかが分からなかった。


(もし誠が高校生になってたら、私もこんな風に避けられてたのかな……)


 ふと思い浮かんだ空想につい笑い出しそうになる。そして、こんな空想すらずっと自分に禁じていたことに、その時初めて気づいたのだった。

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