第163話
宗司から聞かされる話はどれも衝撃が大きすぎて、咲は心と理解が追い付かない。頭の中を整理したくて、目を閉じる。
初めて会って時の柊、突然勤務先に現れた柊、警察に呼び出されたり、叔母のふりをして学校の面談に同席したり。たまたま知り合った少女と幼馴染と知った時は驚いた。素直で賢そうで、少し恥ずかしがり屋で。片親だという話は最初から聞いていたが、特に珍しい話でもない。だから自分の目から見た柊が彼の全てだと思い込んでいた。
柊の母親のことは、忠道からも聞いている。離婚後一切柊と連絡を取らなかったのは本当だろう。それに対して柊が本心ではどう思っていたのかは、咲も想像がつかなかった。しかし母に捨てられたことが理由で女性全般を嫌っているというのは納得できる話でもあった。
そして、もう一つの柊の顔。
自分とは縁のない世界。そこで柊が何をしていたのか、宗司の話からやっと想像が追い付いた。
『そこまで母親を憎んでるあいつの母代わりなんて、本当に務まるの?』
宗司に念を押され、今一度自分に問う。闇、と呼ぶと軽々しいが、柊にしか分からない辛さを抱えていることは確かだろう。それも含めて、いつか自分も柊に憎まれるかもしれないリスク込みで、彼の母親役が出来るだろうか。
咲はゆっくりと目を開き、顔を上げた。
「少し、考えてみる……。色々ありがとう」
そして立ち上がると、引き留めようとする宗司を躱して店から出て行った。
◇◆◇
「また来たのー?」
もうすぐ十二時近いというのに、起きたばかりのような顔と姿で現れた楓に、柊は無表情になる。こんなのしか頼る相手がいない自分も大概だな、と反省しながら。
「顔洗って着替える間は待ってやる。今日のノルマこなすぞ、浪人したくなかったらやれ」
はーい、か、わーい、か聞き取れないような適当な返事をしながら、楓は洗面所へ向かう。あれでも一応女子だ、着替えが終わるまでは待ってやろうと、岸川家のリビングに腰を下ろした。
「ごめんねぇ、ほんとに。あの子、本当に受かるのかしら……」
既に諦めかけたような楓の母の言葉に苦笑する。口では厳しいが、楓の好きにさせようとしていることが伝わってくる。
「まあ、あいつが本気で受かりたいなら俺は手伝いますよ。普段世話になってるし」
「逆よ、逆。柊くんがいなかったらもっとバカになってたわ、あの子」
柊が今の高校に進学先を決めたと聞いたときから猛勉強を始めた中学生の頃を思い出す。今でもきっと偏差値なら二十くらい差があるだろう。さすがに大学まで同じところは目指せないだろうが、ここまで引っ張り上げてくれた柊に、母としては感謝しかない。
「柊くんも自分の勉強あるんだし、楓の相手は適当でいいからね」
じゃあよろしくね、と言うと、廊下へ出て、何やら楓を叱っている声が聞こえる。柊は笑いながら、出してもらった麦茶に口をつけた。
「で、本当の用事はなんなのよ?」
参考書を開いて向かいに座った途端、楓が口を開いた。
ともすれば怠ける自分に、押しかけてまで勉強を教えてくれるのは有難いが、しかしそれだけが目的のはずはないと睨んでいた。
「まあ、一つしか思い浮かばないけどさ」
「……分かってんなら協力しろよ」
「協力も何も、昨日言った話は答え出たわけ?」
咲が柊の母親役を受けた理由について、だ。言われるまでもなく、柊もあれから考え続けた。しかし、咲が優しいから、ということ以外に、自分で納得できるものが思い浮かばなかった。
「だから、それが分かんねーんだよ」
「あんた、相川先輩の話、全然聞いてなかったんじゃないの?」
あーあ、と大袈裟に溜息をつく。柊は言い返せず黙るしかない。
「聞いてたけど……」
「じゃあさ、もしあんたが死んじゃった咲さんの子どもだったら、どうしたい?」
投げかけられた楓の言葉に、柊のグダグダしていた思考は止まった。
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