第160話
話していいものかどうか、柊は迷っていた。
宗司から聞いた話は、咲にとってあまり人に知られたくない記憶なのでは、と思った。それをなぜ宗司が自分に話したのかは、分からなかったけれど。
それをまた更に自分が楓に話すというのは、咲の触れられたくない過去を広めることになる。本人の許可なしにしていいことだろうか、と。
しかし一人で抱え込むには、今の柊には大きすぎた。
珍しく口を挟まず黙って待ち続ける楓に背を押されるように口を開いた。
話終わった時には、外がほとんど暗くなりかけていた。
しばらく沈黙が続いた。
「……で、あんたはどう思ったの?」
「それは……。ショックだった」
「どのへんが?」
「咲さんが……死のうとしたってことが」
どんなに辛かったか、葛藤があったかは知る由もない。しかし大好きな咲が、その命を自ら手放そうとしたという事実が、柊にとっては自分の世界を否定されたのと同じくらい衝撃的だった。
「でもそれ、あんたと知り合う前のことじゃん」
「それはそうだけど……」
「今は、生きてるよ、咲さん」
「そうだけど……」
むしろそれが謎でもある。家から飛び出し、見知らぬ人の世話になりながらも川へ飛び込もうとしたのに、どうして今生きていられるのだろう。生きていてくれているのだろう。自分の母親代わりなんかを申し出てくれたのだろうか、と。
「赤ちゃんが死んじゃったショックで自分も死のうとした、それを聞いてショックだった。……で? あんたはもう咲さんのことはどうでもいいわけ?」
「っ、そんなわけ」
「じゃあいいじゃん。咲さんのこと、もう一つ知ることが出来た、ってだけでしょ」
そして楓は残っていたカルピスを飲み干した。氷はすっかり融け切っていた。話している間ずっと手をつけずに聞いていてくれたからだろう。
「ていうか、ウチ、咲さんがどうしておじさんに協力しようとしたのか、よく分かったわ」
うんうん、と何度も頷く楓を、柊はポカンとした顔で見つめる。自分すらわからないことが、何故楓に分かるのかが納得できない。
「おい!」
「うわっ!」
突然ポカっと頭を殴られた。派手な音を立てた割に痛くない。楓の手が握っていたのは空のペットボトルだった。
「ウチのことバカにしたな、今」
「悪い」
「認めるな!」
もう一発殴られる。しかし連打されるとさすがに痛い。焦って楓の手からペットボトルをもぎ取った。
「それって、なんでだよ」
「あ?」
「だから、咲さんが親父に協力した理由ってやつだよ」
「アホ。自分で考えろ」
「は?」
「咲さんのこと好きなんでしょ。だったら自分で考えろ。悩め。苦しめ。それが出来ないなら咲さんはウチがもらう」
「はあ? 意味わかんねーこと言ってんじゃねーよ」
言い合いの後は物の投げ合いだ。枕やクッション、ぬいぐるみに消しゴムが飛び交う中、扉を開けて入ってきた楓の母から一発ずつ拳骨が落ちる。
「ごはんよ、って何度呼べば来るの! 片付けたら降りて来なさい! 二人ともよ!」
はーい、と大人しく返事をしたところで、二人同時に腹が鳴った。
◇◆◇
何度か掛けたが、咲は電話に出てくれなかった。宗司はため息をついて再びスマホをデスクへ置く。気が付けば灰皿がいっぱいになっていた。一時は禁煙も成功したのに、小出沙紀に呼び出されてから復活していた。
山になった吸殻を眺めながら、心は昼間の咲との一瞬を反芻していた。
ずっと好きだった。それは多分、初めて会った時から。
その時はまだ兄を敬愛していたから、その妻になる人がこの人で良かったと、心からそう思っていた。今思えば嘘のようだった。
柊も可愛い。素直で、器用なのに損ばかりしていて、人に心を開かないくせに淋しがり屋で。
柊が咲に惹かれる気持ちはよく分かる。まるで咲と出会った頃の自分と同じだから。
だからこそ、咲を支えて守るには、柊では役不足だと思った。二人をこのままにしておけば、二人ともダメになってしまう。
(俺が守る、今度こそ)
二度と傷つけさせない。兄にも、母にも、小出沙紀にも。
再び煙草に手を伸ばそうとして、既に空になっていたことを思い出し、買いに出た。
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