第159話
「おかわり、いるか?」
空になっている柊のグラスを目で指して宗司が問う。柊は微かに頷いた。
頭の中は、宗司の話が渦巻いていた。
咲が子どもを亡くした直後、どんなふうに過ごしていたのか。そして、死にたいとすら思った気持ち、それをどう乗り越えたのか。
自分にはわからないことだらけだった。
「ちょっとお前には重すぎる話だったか」
一点を見つめて一言も発しない柊の様子に、宗司もさすがに心配になったが、柊は黙って首を振った。
「その後、離婚したんですね」
「離婚、というか、家出のような、お袋たちが追い出したような感じだったけどな……。実家に戻るって聞いてたのに、そうじゃなかったって知った時は焦った。でもその時は、何の手掛かりも無かったから見つけられなかったんだ」
宗司の話を聞きながら、柊は去年の出来事を思い出す。あの時もそうだった。突然前触れもなくいなくなった。
あの時、柊は、自分が嫌われたと思ってその考えにばかりに執着していた。咲が何を考えてどんな決意でいなくなったのか、会えない間どうやって過ごしているのだろうなどとは想像が及ばなかった。
まして、死ぬかもしれないなどと。
「……怖く、なかったですか。いなくなった咲さんが、また、とか」
「何度も考えた。その度に気が狂いそうになった。でもな、あるとき気が付いたんだよ」
先祖代々の相川家の墓。普段は彼岸や盆の時期しか人が訪れないそれが、常に綺麗に掃除され、花が絶えないことを知った。
考えるまでもなく、咲だと思った。相川の先祖にではない、誠に会いに来ているのだ、と。
「生きているって確信出来た。だから、もういいと思ったんだ。俺が追いかけていくことで、相川の家と関わらせることになったらいけないと思ってな」
しかしまさか、こんな近くにいるとは思わなかった。そして自分が弟のように可愛がっていた柊と親しくなっていたなどと。
改めて宗司は柊を見つめ返す。自分が教えた様々なことを、この少年は咲ともしたのかもしれないと思うと、やり場のない熱が腹の底で湧き上がるのを抑えることが出来ない。
向かい合っていると何かを察知されそうで、宗司は再び立ち上がった。
「お前には荷が重すぎるだろう、彼女は」
宗司の問いかけに、柊は耳だけ反応した。
「いつまたどこかへ行っちまうか分からない人だ。お前が好きになっても、しんどいだけじゃないか?」
柊は返事が出来なかった。無言の室内は、エアコンの音と遠くのサイレンが微かに響いてくるだけだったが、何かの回答を自分に迫ってくるかのようだった。
息苦しさに耐え切れず、柊は何も言わずに宗司のマンションから出て行った。
◇◆◇
「ほえ? なに、こんな時間に」
柊は自分の家に帰るより先に、楓の家のインターフォンを押していた。迎え入れてくれた楓の母は、あらどうぞどうぞー、と言って、断りもなく楓の部屋に柊を招き入れた。
「ウチ勉強してたんだけどー」
「嘘つけ」
片手にアイスを持って、部屋の中ではテレビもついていた。柊は呆れて、中に入り勝手にスイッチを切る。
「今日、咲さん家に行って来た」
唐突に切り出す柊に、眉を上げながら楓は黙って先を促す。
「……宗司さんがいた」
「え、相川先輩? なんで……?」
楓も宗司のことは知っている。高校のOBで帝東大生で元生徒会長、長身イケメンのバスケ部エースだった。陰キャの柊を明るくしたらこんな感じだろう、と思っていた。
「咲さんの、別れた旦那さんが、先輩のお兄さんだって」
「マジで?」
不思議な縁に楓も驚く。だが、それだけで柊がこんなに暗い顔をするとは思えない。
「でも良かったじゃん、咲さんのこと相談出来る相手が出来て」
ほれ、とスナック菓子が山盛りの皿を柊にも勧める。しかし手をつける様子はなかった。
「俺、どうしたらいいんかな……」
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