第139話

 部屋は、当然ながら咲と楓、忠道と柊、という組み合わせで二つに分かれる。一見家族連れのようだが、本当の家族は自分と父だけで、女性二人に窮屈な思いをさせるわけにはいかない。だがそれでも、寝ている間は咲と時間が共有出来ないことがたまらなく寂しかった。


 他人と同じ湯に入るのが嫌で、父に大浴場を勧められたが断った。部屋についている露天風呂に一人で浸かる。

 今頃咲は楓と一緒だろうと想像すると、この瞬間のためだけにでも、女性に生まれ変わりたいくらいだった。


 見上げると数えきれないほどの星が輝いている。眩しすぎるように感じて目を閉じると、思い浮かぶのは昼の咲の姿だけだった。

 そして面影だけでなく、自分の腕や胸に、咲の体温や感触が蘇ってくるような気がした。

 

 この旅行で何か一つでも思い出が残せれば、あとは楓の言う通り、咲の気持ちを最優先に考えて彼女の期待に応えようと思った。そう、気持ちを切り替えられる自信もあった。

 だが、そんなのは絵空事でしかなかったと、今なら分かる。


 一度味わってしまった悦びは、更に強いものを求め続けてしまう。もっと一緒にいたい、咲と二人で特別な時間を過ごしたい、そう出来るのではないかと。もしかしたら咲もそれを望んでくれるのではないか、と。


 明日は丸一日一緒に過ごすことになる。

 父から勉強もするように言われているから、起きている間中ずっと、と言うわけにはいかないだろうが、それでも今日よりはまだ時間がある。

 楽しみなような、今よりも余計な期待が自分の中で膨らんでしまうのが怖いような気もしないではなかった。


 湯から上がり、部屋に用意されている浴衣を身につける。合わせをどうするかとか帯の結び方がどうだとか、そう言えば前に咲に教えてもらった気がしたが、すっかり忘れてしまった。とりあえず羽織ってベルトを締めるように帯を体に巻き付ける。ジュースが飲みたくなって、財布を持って部屋を出た。


◇◆◇


「あ、おーい、柊ー」


 土産物店を冷かしていたら、自分を呼ぶ声がした。考える間もなく、楓が駆け寄ってきた。


「あ、お土産? ウチ、あのチーズケーキがいいなあ」

「一緒に来てんのに、なんでお前に買うんだよ」

「じゃあ誰? 福田さん?」

「……お前が買ってけよ」


 ただ物珍しくて眺めていただけだったが、そう考えると自分には旅行先の土産を買って渡したくなる相手がいないことに気づき、我ながら物淋しくなった。

 本来なら真っ先に思い浮かぶのは咲だが、今回は一緒なのだ。


「えーとね、じゃあ咲さんなら、あっちのガラスのティーカップとかは?」


 まるで柊の心を見透かすような楓の言葉に、飛び上がって驚いた。


「お前、エスパーかよ」

「アホだねぇ、あんたの考えることなんて一つじゃん。誰でも分かるわ」


 柊は言い返せない。そして『バカ』が『アホ』になった。何故か更に格下げされたようでムッとした。


「咲さんだって一緒に来てるじゃんかよ」

「お土産じゃなくて、普通にプレゼントでもいいんじゃないの」

「でも、誕生日とかでもないのに……」

「アホ。何でもない時にもらうから意味があるんだよ。これだからぼっちは……」


 あーあ、とため息をついて、柊を置いて店の奥に入っていく。楓は友人が多い。家族も含めて色々買っていく予定があるのだろう。


(何でもない時だから意味がある……)


 目からウロコの気分だった。そして改めて店内を見回す。

 楓が指さしたティーカップ以外に咲が喜んでくれそうなものは無いか考え始めると、途端に気持ちが上向いていった。

 

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