第131話
『自分で咲さんに連絡しなよ』
それだけ言い置いて、夕方、楓は帰って行った。
(あいつ、結局勉強するより菓子食ってる時間のほうが長かったな)
空き袋やジュールのコップを片付けながら、楓の新品の参考書を思い出す。しかし今日は、勉強は口実で、昨日の自分を心配して来てくれたのだろうと察すると、この程度では安く感じるくらいだった。
ひと段落して机に座る。時計を見るともうすぐ六時だった。
咲の仕事が終わる時間だった。
(自分で、って、どうすれば……)
咲に言えばいいのか。昨日の件、改めてよろしくと?
電話で? メッセージアプリで? それとも。
柊自身の希望は、無論咲と会うことだ。でも面と向かって話すとなると、さっき楓に『嬉しい』と告白した時の恥ずかしさを思い出す。咲の前で真っ赤になるなんて、どう考えても恥ずかしすぎる。楓に言わせれば『かっこつけてバカじゃん』となるのだろうが、それでもやはり好きな女性の前では少しでも格好つけたいというのが男の本音ではなかろうか。
(先に親父に言ってからにするか)
ふとそんな考えも頭をよぎったが、一瞬で振り払う。それは先延ばしするための口実でしかないと自分で気が付いた。
楓のアドバイス、父の考え、咲の思いやり、そして自分の気持ち。
色んなものが交差する頭を抱え込む。
そして、何かを吹っ切るような勢いで立ち上がり、柊は先のマンションへ向かった。
◇◆◇
「……柊くん?」
咲は買い物を済ませて自宅に着くと、エントランスに佇む柊を目にとめた。
先日、母親代わりを申し出て以来だ。ずっと連絡も取っていなかった。どうすべきかと悩んでいたところに当人が現れたので、さすがに驚いた。
声を掛けられて、柊は気恥ずかしそうに近寄ってくる。咲の手から買い物袋を取り上げた。
「お疲れ様。うわ、重いね、たくさん買ったんだ」
「あ、うん。卵とかお醤油とか……。どうしたの? 何かあった?」
心配そうに見上げてくる咲を、少し上の角度から見つめ返す。
咲の目線は、きっと既に母親代理としてのものなのだろう。それは柊も分っている。そしてそれは、柊が心から望んでいるものではない。
けれど。
(咲さんは、咲さんだ)
黙っていなくなったりしない、自分を気遣って、心配してくれる。今も追い返そうとはしない。話を聞こうとしている。
『またいなくなっちゃう気がする。今度こそ本当に』
楓の不安げな声が甦る。そうだった、自分も楓も、もうあんな思いだけはしたくない。
「柊くん?」
「あのさ、手伝うから、メシ、食べてっていい?」
想定していなかった答えに、咲は少し驚いて、嬉しくなった。頷いて微笑み返す。
「いいよ。そうだ、柊くん用のエプロン、とってあるからね」
「げ、あれやだ、恥ずかしい」
何を作ろうかと、咲は家にあるものと買ってきた食材を思い起こしながら、次々とメニューを思い浮かべた。
◇◆◇
「なー、これもう火止めていいの?」
「まだ、中まで火通ってないよ。鶏肉はしっかり焼かなきゃだめ」
「焦げそうだよ」
「まだだ丈夫だから。あ、火加減は気を付けてね」
「気を付けるって、どういうふうにすれば……」
恥ずかしいと駄々をこねたが無駄だった。件のエプロンを身につけ、咲の手伝いと称してキッチンに並ぶ。手際よく料理の下ごしらえをする咲の指示どおりに柊もチャレンジするが、『肉を焼く』というただそれだけが、こんなに神経を使うものとは思わなかった。
「横から見て。ほら、火が強いでしょ。つまみをスライドして、そう、今くらいが中火。ここまで落としたら、日本酒入れて、蓋して待つの」
「蒸すの?」
「そうそう、そういうこと。理解が早いね」
褒められてちょっと得意になる。そんな自分と同じくらい、咲も嬉しそうにしている。
(そうか、こういうことか)
ふと、柊の腹に何かが落ちた。
そうすると、自然に言葉になった。
「お袋代わり、よろしくお願いします」
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