第126話

 咲たちが家から出て行ったことを二階の窓から確認すると、柊は一息ついて部屋から出た。

 叱られた子どものようだが、実際今は二人とは顔を合わせたくなかった。


 トントン、と階段を降りていくと、同じく自室から出てきたらしい福田と鉢合わせた。こっちとも会いたいわけではなかったが、どうでもいい存在である分、今の柊にとっては気が楽だった。


 珍しく穏やかな表情ですれ違っていく柊を見送りつつ、福田はつい声をかけた。


「お父様、再婚なさるんですね」


 柊は驚いて勢いよく振り向く。その目は驚愕で見開かれていた。その表情で、福田は改めてその事実を確信した。


「……良かったですね」


 やっとの思いでそれだけ言うと、動けなくなっている柊の横を通り過ぎてキッチンへ向かった。


◇◆◇


 柊は再び走って自室へ戻った。はあはあと荒い息遣いは自分のものなのかどうかも分からない。


(再婚、って、やっぱり……)


 そうか、母親代わりとはそういうことだったのか。自分が無意識に否定し続けたのはこれだったのだ。だから……。

 

 今も二人は一緒にいるだろうと思い出すと、叫び出したくなった。

 父が咲を気に入ったのはそういうことだったのか。ずっと自分を避けていたはずの咲が突然『母親代わり』などと言い出したのは、そういうことだったのか。

 楓が『これで咲は幸せになれる』と言ったのは、再婚するからなのだ。


 気が付けば両目から涙が流れていた。それだけでは我慢できず嗚咽までもれそうになって、慌てて顔をベッドに押し付ける。今、家は自分一人ではない。家政婦にこんな無様な自分を見られるなどまっぴらだった。


『忘れる一択だろ』


 宗司の言葉が耳の奥で甦る。一時はそれも覚悟した。でも再び会えた時、また気持ちは逆戻りしていた。もう一度あの辛い覚悟を固める自信は、柊は持てそうになかった。


◇◆◇


「息子のことで毎回お手を煩わせて、本当にすみません」


 忠道は前を見据えつつ、助手席の咲に声をかける。笑って首を振る気配を感じた。


「柊くんみたいないい子でも、お父さんの手は煩わせてしまうものなんですね」

「いい子? あいつがですか?」

「あれ? 違います?」

「うーん、まあ、手がかからない奴ではありますけどね……」


 父一人子一人になってからも、忠道は仕事のペースは変えなかった。変えることが出来る状況ではなかった。

 周囲に再婚を薦められたのも、一度や二度ではない。今でもごくたまにだが、写真と釣り書を差し出されることもある。

 逃げた妻にはこれっぽっちも未練はないが、かといって再婚にも興味は無かった。

 忠道自身が仕事に没頭していたこともあるし、柊にてこずった記憶もないからでもある。


「言わなくても宿題も勉強もやるし、放っておいても学校に行きます。通知表を見ても悪いことが書かれていることはなかったし、他所のお宅に怒鳴りこまれたこともない。確かにあいつは、いい子だったと思いますよ」


 ゆっくりスピードを落とし、静かに車を停車させた。咲のマンション前に到着していた。


「いい子でいなきゃいけないのと、いい子に育つのは違うんだと、今更気づきました」


 どうしてこの女性の前だと、こんな気恥ずかしいことまで口にできるのか忠道は分からない。ただ、柊や楓があれほど懐く理由は実感していた。


「あいつのことですから、大学まで出せば後は一人でやっていくでしょう。私が父親として何かやってやれるとしたら、あと数年です。その仕上げをお手伝いいただきたい」


 咲はしっかりと頷き返す。

 後は、柊本人に受け入れてもらえれば。


 車を降りて部屋へ入る。ふと気になってスマホを見るが、柊からは何の連絡も入ってなかった。

 おやすみ、の一言でも送ろうかと思ったが、今日はそっとしておこうと思い直した。

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