第122話

 小腹が空いた柊は、レジでカップラーメンを買って、ブースに戻って食べ始める。


(あんま、旨くねえな……)


 考えてみれば、これが人生で何度目かの『カップラーメン』だった。家に帰れば家政婦が食事を作っているし、学校では学食がほとんど、宗司と一緒なら飲食店に連れていかれるし、咲となら……。

 思わず、箸が止まった。


(咲さんが作るものって、なんであんな旨いんだろ)


 自分の好物のオムライスだけではない。ただの味噌汁やサラダ、目玉焼きだって、今啜っているラーメンの何倍も旨い。


(咲さんのメシ、食いてー)


 しかし今の自分には、何よりもそれが叶わない願いだとも分っていた。頭を振って考えを中断し、のびる前に食べてしまおうと食事を再開した。


◇◆◇


「すみません、お仕事でお疲れのところ」


 楓からの連絡を受けて飛んできた咲と、恐縮して出迎える忠道のやり取りを後ろで聞きながら、楓はイライラしながら途中で我慢出来ず割り込んだ。


「そういう時候の挨拶みたいのいいから。咲さんごめん、柊に電話してもらえる?」

「私が?」


 咲は驚いた。父である忠道が掛けてもつながらないというのだから、自分など尚更出てくれるはずはないのでは、と言うと、楓が大仰に否定した。


「んなわけないじゃん! ウチもおじさんもダメなんだよ、うざいと思って絶対無視してる。でも咲さんを無視するわけないから! 絶対出る! だから掛けて!」


 言うと、勝手に咲のバッグを覗き込みスマホを探す。赤い皮のカバーが付いたそれを見つけると、ほらほらと咲に押し付ける。


「代理ママのお仕事第一弾だよ! 頑張って!」


 咲は戸惑う。ダメ元で自分が連絡をするのは、現時点では順当かもしれない。しかしそれでも出てくれなかった時、自分が恐らく大きくショックを受けるだろう、ということは予想出来た。そしてその可能性のほうがずっと高いと思った。


「私からもお願いします。何かあいつに誤解させたままのような気がして。実の親父がこんな体たらくでお恥ずかしい限りですが……」


 だが、ついに忠道にまで頭を下げられてしまい咲は観念し、柊の携帯へ電話を掛けた。


◇◆◇


 無理やり食べ終えたカップラーメンの後始末をし、適当に雑誌を手に取って戻る。確かここは二十四時間営業だったはずだが、いつまでいていいものか、いつまで我慢できるかと、悩み始めていた。


 ふと、微かな振動音が耳についた。他人のものかも、と思いつつスマホを手に取り、柊は驚きで息が止まった。


(咲さん……)


 刹那、色んな感情と情報が渦を巻いて柊に襲い掛かる。週末のデート、途中で突然帰ってしまった咲、それから何の連絡も取れないままなこと、自分に黙って父が咲と二人で会っていた事実、そしてカッとなって父を殴り、結果として今ここでこうしていること。


 コンマの間か、またはもっと長かったのか、柊にはわからない。ただ、震え続けるスマホをじっと見つめながら、気が付けば応答ボタンを押していた。『咲』の表示に、目の前に彼女がいるような錯覚をおぼえ、無視しきれなかった。


「……もしもし」


 自分の声に続いて聞こえてきた咲の声は、ここ数日の不安を木端微塵に吹き飛ばすほど温かく優しかった。




『柊くん? あの、今どこにいるの?』

「……駅前のネカフェ。っていうか、どうしたの、電話とか」

『楓ちゃんから、柊くんが帰ってこないって聞いて、それで……』


 柊はまたしても楓に助けられたことに、自分の不甲斐なさを感じて天を仰ぐ。こと咲に関することは、いつも楓のお蔭で切り抜けている。


「まだ八時じゃん、心配すんなってあいつに言っといて」

『だって、お父さんとケンカしたんでしょ?』


 柊は息を飲む。そんなことまで知っているのか。誰経由で聞いたのか、父がいの一番に咲に告げたのなら、それがそのまま二人の距離の近さに思えて、再び柊の胸の温度が下がる。


「咲さんに」

『帰ってきて、お願い』


 関係ない、と続けようとして、遮られた。もう一度柊の心が温かみに包まれる。


『待ってるから。ね?』


 咲が自分に頼みごとをするなど、初めてではないだろうかと、柊は驚きと併せて喜びに浮足立ちそうになる。ただ、素直にうんと言えない性格がもどかしかった。


「メシ」

『え?』

「咲さん、なんか晩飯作ってよ。そしたら帰る」


 スマホ越しに咲の安堵したような吐息が聞こえ、気が付けば柊の顔もほころんでいた。


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