第120話
「かえでー、柊くんよー」
咲の家から戻り、早朝に起こされた分を取り戻すように自室で朝寝を始めた途端、部屋の外から母が呼ばわる声が聞こえた。
「入るぞ。おい……、まだ寝てんのかよ」
夏布団に絡まるようにベッドに横になっている楓を見て、柊は呆れた。そろそろ昼食の時間だというのに。
「乙女の部屋に勝手に入るなー、ばかー」
「誰が乙女だ」
柊は呆れながら、勝手知ったる楓の部屋で勉強机の椅子に腰を下ろした。
「昨日、いなかったろ、お前」
「ふっふっふー、実は焼肉デートだったのだよ」
「なんだそれ! 俺も呼べよ!」
「デートだっつったじゃん」
「相手咲さんだろ」
「なんだ、バレてたか」
むっくりと起き上がった楓は、母が運んできたジュースを一気飲みした。
「……なんか、言ってたか」
「なんか?」
「だから……、その、俺のこと……」
恥ずかしそうにもじもじする柊など、付き合いの長い楓もなかなか見ることが出来ない。きっと柊自身も滅多にない経験だろう。そこまでして咲の反応を知りたいのかと思うと、気持ちは分かるものの、昨夜の話を思い出すとおいそれと伝えることも出来ず、楓は悩んだ。
「ウチより、おじさんに聞いたら?」
何気なさを装いつつ、親子で話してもらおうと促す。咲の話では言い出しっぺは桐島父だというし、それが理に適ってると思ったのだった。
しかし、それを聞いて柊の顔色が変わった。
「なんで、親父……?」
「え? だって、おじさん咲さんと二人で会って話したって」
「わかった」
「ちょ、柊? ちょっと!」
真顔のまま楓の部屋を出ていく。その後でやっと、楓は自分の失態に気が付いたが、言った言葉は取り消せない。追いかけたところで無駄だと悟った。
◇◆◇
家に駆け戻るが、世間的には平日で、当然父は会社だった。そして平日の父の帰宅が深夜近いことも思い出し、不安と苛立ちは高まるばかりだった。
(二人で会った、って……。なんでだよ、いつだ? 親父と咲が知り合ったのなんてつい最近なのに。俺の知らないところで? 俺に言わずに?)
咲の予定全てを把握しているわけでは、当然ない。それは父に対しても同じだった。大人二人が自分の知らないところで気が付かないうちに予想してない行動をとっていると知り、今まで想定していなかった世界が開いた気がした。ただしそれは、柊にとっては真っ暗闇の、中に何があるのか分からない世界だった。
咲から何か連絡がないかとスマホを見るが、当然何の連絡も来ていない。あの日からずっとだった。そして今、彼女も勤務中だった。
(二人とも仕事で、会社にいて……。でも、本当に……?)
今さっき開いた真っ暗な世界を覗き込むように、違う可能性が頭に浮かぶ。仕事だ、残業だと言って、二人が会っているということはないのか。事実、自分が気づかないところで、二人は会っていたのだ。
財布とスマホだけポケットに突っ込み、柊は再び外へ出た。そしてまっすぐ、父のオフィスへ向かった。
◇◆◇
それほど大きなオフィスではないが、高校生が無断で入り込むことは出来ない。受付で自分の名前と父の名を告げる。約束はあるのか、と最初に問われたが、息子だと言うとすんなり取り次いでくれた。
「このバッジをつけて、四階までおあがりください。そこで社長がお待ちです」
柊は頷き、言われた通りにエレベーターに乗った。ポーン、と音がして扉が開くと、そこで父が待っていた。
「珍しいな、お前がここまで来るなんて。なんかあったか?」
確かに普段は用事があっても帰宅まで待つか、電話で済ませてしまっていた。しかし、今日の柊はその選択肢すら思いつかなかった。じっと待っているなんて、出来そうになかった。
「親父、咲さんと会った?」
どこか別室に向かって歩き出す父の背に、すぐに用件を突き付ける。通りすがる社員が父と自分に辞儀をしてくるが、それに返事をする余裕は無かった。
ん? と言いたげな顔で振り返る父の顔を、無意識に睨みつけていたらしい。それを見た忠道は思わず苦笑を漏らした。
その瞬間、柊の脳内で何かが弾けた。
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