第118話

「わーい、咲さん家にお泊り、ひさしぶりーい!」


 用意された客用の布団に、ぼふん! とダイブすると、手足をパタパタさせる。咲は静かにするように注意すると、枕元の目覚ましをセットした。


「咲さんも明日会社休もうよー。ウチもう夏休みだし、そしたら一日中遊べるよ?」

「用事もないし病気でもないのに休めないのよ、会社は。学校だってそうでしょ」

「えー、ウチ休みの日は午後まで寝てなきゃいけないのに」

「いけない、って……。明日は私と一緒に七時に起きようね」

「早!」


 文句たらたらの楓を前に、咲は自分のスマホを手に取って暫し考える。楓はそれを見てちょっとした頼みごとをする。


「一人で空しく受験勉強してる柊に、がんばれーってメッセしてあげて?」


 言われて咲は、それもいいかもしれない、と考えた。しかしいざ送ろうとして、忠道からの依頼を思い出した。


「でも、私から連絡しないほうがいいんじゃないかな……」

「んなわけないじゃん、待ってるよ、あいつ、スマホ握り締めて」

「んー、実はね」


 悩んだ末に、相談出来るのは楓しかいないと思い、例の話を打ち明けた。

 聞き終わった楓は、咲以上に考え込んでしまった。


「おじさん、なんでまたそんなことを……」

「だから桐島さん的には、柊くんの今後を考えて」

「それはそうなんだろうけど、でもなんで『母親代わり』? 柊が咲さんを好きなのはわかり切ってることじゃん。なのに」

「さあ……。私が相手なら、柊くんも甘えやすい、とか?」

「いやいやいやいや、そんなわけないじゃん」


 慌てて咲の考えを否定したところで、楓は大人たちの致命的な勘違いに気が付いた。

 ごろ寝状態だった布団から起き上がり、寝る準備をしている咲のところへハイハイして近づく。


「あのさ、咲さん、柊のこと好き?」

「何? 突然」

「いいから。好き?」

「もちろん、好きだよ」


(軽……)


 本心だろうが、これは自分が、ましてや柊が期待しているものではない。ということは、柊の父も咲と同じような見解なのだろう。

 楓は頭を抱えた。


(確かにママ代わりはいるにこしたことはないけど、折角頼むなら咲さん以外の人に頼んで欲しかった。おじさーん!)


「楓ちゃん? どうしたの?」


 思わず蹲ってしまった楓に、心配そうに声を掛ける。楓はカメのように首だけ動かす。


「じゃあさ、あのおじさんのことは? 会社の、何だっけ、宇野さん?」

「宇野さんは、上司だから」

「好き?」

「うん、尊敬してるし……」

「それは、彼氏とかそういう好きとは別?」

「そうね……、そういう感じはしない、かな」


 なるほど、とつぶやいて起き上がり、今度は胡坐をかいて腕を組み、うーん、と考え込み始めた。


(そりゃ大人から見たら高校生からマジ惚れって想像出来ないだろうし……、かといってウチから柊の気持ち伝えるわけにはいかないし)


「どうしたの?」

「ん? んー……、咲さん、柊のママ代わりになって、って言われて、どう思った?」

「楓ちゃん、今日なんかいつもとは別人みたい」

「へ? どこが?」

「言うことが全部鋭い、っていうか」

「そかな……。で、どう思った? 誤魔化そうとしてもダメだよ?」


 チッチッ、と指を立てて振るという芝居がかった仕草で、咲の逃げ道を塞ぐ。やはり普段の陽気なだけの楓とは一味違う。まるで同世代の友人と話しているようだと思った。

 胡坐をかいている楓の前に座り直し、咲は正直に話そうと思った。


「ほんとはね……すごく嬉しかった」


 色々感じた感情の中から、一番強かったものを選び取って言葉にする。そうだ、驚きと困惑と不安と逃げ出したい気持ち、色んなものが沸きあがる中で、真ん中に柱のように突き立っていたのは、疑似であっても母になれる、という喜びだったのだ。

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