第103話

 何度か来たことがある都内のRホテル。沙紀のお気に入りであることは知っていた。

 もう来ることは無いと思っていたが、指定された上階の部屋まで迷うことなくたどり着いた自分にため息をつきながら、柊は呼び鈴を押した。


「時間通りね。早くても良かったのに」


 内側から開いた扉の向こうには、既にシャワーを浴びたようなバスローブ姿の沙紀が待ち受けていた。人目につくのを恐れ、答える間もなく中へ入る。


「何か飲む? それともシャワー浴びる?」


 備え付けの冷蔵庫から飲み物を取り出しながら柊を振り返ると、居心地悪そうに部屋の真ん中で立ち尽くす姿が目に入った。


「約束通り来ましたよ。で、俺はどうすればいいんですか」

「……そんなに身構えないで。じゃあ先にお話しましょうか」


 沙紀は美しく磨かれたグラスを二つ並べ、黄金色の炭酸飲料を両方に注ぐ。柊は小さな気泡が立ち上るのをじっと見つめていた。


◇◆◇


「会ってくれなかった間、色々調べたのよ」


 優し気に微笑みながら、しかし沙紀が口にした言葉は、柊をぎくりとさせる。


「大学の試験なんて、そんなに長くかかるものじゃないでしょ。。だからマコトくん、何してるのかなぁ、って」

「……勉強、してたんですよ」

「そうみたいね」


 グラスを持ちながら立ち上がり、柊の隣に座る。バスローブ越しでも体温が伝わってきた。


「仕事柄、帝東大に知り合いは多いのよ。もちろん現役の学生もね」


 柊は諦めの吐息をつく。そういつまでも誤魔化せるものではないと思っていたが、まさかわざわざ調べる客がいるとは思わなかった。


「有名な進学校ね。成績も上位なんですって? がり勉しなくても十分合格できるって聞いたわよ」

 学歴が嘘だということだけでなく、今の柊の成績まで知っていることに、内心驚いたが、顔には出さないよう気を付ける。

「お父様も立派な方ね。いつかお取引してもらえると嬉しいのだけれど」

 またも驚いて目を見開く。まさか父に迷惑をかけるわけにはいかない。

「大丈夫よ、お父様にマコトくんの話はしないから」

 グラスをテーブルへ戻すと、そっと両手で柊の頬を包む。ゆっくりと自分のほうへ向けると、鼻がぶつかりそうな距離まで近づいて来た。


「そして、あの人……、私と同じ名前の人は、ご親戚?」


 今度こそ柊は全身の血の気が引いた。この数日で、咲の名前まで調べたというのか。


「優しそうな人ね。お料理上手なんですってね。美人なのに独身で……、ああでも、会社の上司にプロポーズされたらしいわよ?」


 柊の目に驚愕の色が浮かぶのを、沙紀は面白そうに眺めていた。そして目の前に自分がいるにもかかわらず、きっと頭の中はあの女でいっぱいなのだろうと思うと、急に不快感が込み上げてきて無理矢理柊に口づけした。


「……っ、なんですか、急に。むっ……」


 舌を絡めとるような深いキスを数度繰り返し、やっと溜飲が下がった沙紀は、少しだけ柊と距離を取った。


「だから私の指名を受けたのね」


 突然声のトーンが下がった沙紀に、柊は後じさる。しかし狭いソファの上だ、すぐに距離を詰められ、のしかかられた。


「抱けない女の代わりに、名前が同じ私を選んだ……。大抵の我儘は飲んでくれたのは、そのせいだったのね」


 柊は慌てて身を起こそうとするが、両脚の動きを封じられて何も出来ない。気が付けば沙紀はローブを脱ぎ、柊のシャツに手をかけていた。


「沙紀さん、俺は……」

「とりあえず、一回」


 再び長い口づけを交わす。口腔を舐られ、柊は酸素不足もあって頭がぼんやりしてくる。沙紀は柊のベルトに手をかけた。


「いつもみたいに、して。もうマコトくんじゃないといけなくなっちゃったんだから」


 目の前の女に嫌悪感を抱きつつ、柊はそれ以上抵抗出来なかった。

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