第102話
自室へ戻り、ふう、と、一呼吸ついた。
最終的に咲を楓にさらわれたが、明日の朝また会えると思うと、やはり幸せが込み上げてきた。
ブブブ、ブブブ。
窓越しに楓の家を、咲がいる方向を見つめていたら、離れたところで電子音が聞こえた。もしや、と期待したが、示されたメッセージは小出沙紀だった。
◇◆◇
「マ・コ・ト・くん」
スーパーで遭遇した時は全身の血の気が引いた。もう二度と顔を合わせることは無いと思っていたし、あのバイトも辞めたから、その偽名も忘れていたくらいだった。
「やっと会えた。すごく嬉しい」
「連絡先教えて? あの社長さん、絶対教えてくれないんだもん」
「一緒にいた人、誰? お母さんじゃないよね、お姉さん?」
強張って動けない柊に、続けざまに言葉を投げ続ける。
どうしてここにこの女がいるのか、咲の姿を見られたのか、早くいなくなってくれないか、咲が戻ってくる前に。
色んな思いが頭を駆け巡り、返事が出来ずにいる柊に、徐々に沙紀の目線が冷たく強くなっていく。言葉を発さなでいると、沙紀は更に体を近づけてきた。周囲に見えないようにそっと手を握ってくる。相変わらずキツい香水が、余計に柊を警戒させた。
「連絡先、教えて。もちろん個人の。そうしたら今は消えてあげる」
聞いたことが無いほど低く冷たい沙紀の声音に、柊は彼女の本気を感じた。黙って見つめ返すと、チラリと柊の背後を見遣る。
「さっきの人に見られたくないでしょ? 早く教えて」
柊は震える手でスマホを取り出す。出来るだけ静かに連絡先の交換を終えると、全身から力が抜けた。
「じゃ、またあとでね」
するりと柊の頬を撫でると、何事も無かったかのように沙紀は去って行った。その数分後に咲が戻ってくるまでに、元の自分に戻れていたことが奇跡のように感じた。
◇◆◇
『久しぶりに会いたいな。Rホテル、いつならいい?』
沙紀からのメッセージに、柊は目の前が暗くなる思いがした。
会いたくなんかないし、返事をしなければいけない義理もない。宗司に相談すればいいのかもしれないが、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
それに何より、小出沙紀は咲を目にしている。もし自分がこのメッセージを無視することで咲に危害が及ぶようなことがあれば……。
あり得ない想像をしたら、体が震えた。絶対にあってはならない。それくらいなら。
『土日は無理です。来週の平日で』
そして目を瞑って、送信をタップする。即座に返事が来て、会う約束が成立した。
◇◆◇
「そういえば今日福田さんいなかったな」
楓の部屋に来客用の布団を二人で敷きながら、楓はポツリとつぶやいた。
「福田さんって、もしかして柊くんのお家の」
「うん、家政婦さん。住み込みだからいつもいるんだけどねー」
咲は柊の家を思い出す。広いのに隅々まで掃除が行き届いていた。確かに通いではあそこまでは無理だろう。
「まいいか。里帰りとかかもしれないしね。ね、明日は何して遊ぶ?」
「遊ぶ、って、楓ちゃん、勉強は?」
「ぐっ……、いやなこと言わないでよー、いいじゃん咲さんが来てる時くらい」
「でも二人とも受験生なんだし」
「あ、だったらさ、おじさんと二人で出掛けてきたら? ドライブとかさ」
「お仕事でお疲れなんだから、大人は土日はゆっくり休むものなの。ほら、私たちももう寝よう」
まだまだ話し足りない楓はむくれる。出来ることなら二人で女子会みたいに盛り上がりたかったが、やはり楓に対して咲は保護者的態度を崩そうとしない。
(やっぱり大学生になるまでは子どもか、ウチも、柊も)
お互い頑張ろうぜ! と、楓は心の中で柊にエールを送り、大人しくベッドに入って目を瞑った。
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