第96話

「じゃあ、これが今月分の給料だ」

 宗司の事務所で、今月分のバイト代を受け取った。いつもは銀行振込だが、『辞めたい』と申し出たところ、顔を出せと言われたので来たところ、手渡しされた。

「すいません、なんか……、散々お世話になったのに」

「気にすんな。受験生だしな。それ、退職金代わりに少し色付けてあるからな」

 柊は手元の封筒を見遣る。道理で何やら厚みがあるはずだった。


「バイトじゃなくてもたまには顔出せ。勉強も教えてやるしな」

「いいんですか。ただの高校生が出入りして」

「良いも何も俺のオフィスだ。どうせ家でも落ち着かないんだろ?」


 柊は微かに頷く。咲の家で勉強したい、と言ったのも、咲と一緒にいたいという願望が第一ではあるものの、父が帰宅するまで家政婦と二人という状況が気詰まりで居たくなかった、という理由もある。たまに楓がやってくるが、彼女も予備校もあったりして毎日ではない。


「なんか……なんでですかね。たまに口うるさいけど、勉強の邪魔してくるほどじゃないのに、なんか……」

 宗司は柊を優しく見つめる。年齢相応に頼りなさげな部分を見て、またしても独占欲が頭をもたげる。

「真面目に勉強に専念することになったらいいことだ。親父さんが家に居ろと言うわけじゃないなら、好きにしたらいいんじゃないのか」


 柊は頷く。そして仕事へ戻るためにパソコンを開く宗司の傍らで、早速甘えて参考書を開いた。次に咲に会える日に遠慮なくのんびりできるよう、それ以外の日はしっかり勉強しようと思った。


 宗司が、そうだ、と声を上げる。

「無いと思うが、万が一今までの客が個人的に何か言ってきてもスルーしていいからな。後で俺に言え。こっちから手を回すから」

 笑顔で頷いて参考書に向きなおる柊を見ながら、宗司の胸には小出沙紀が暴走しないか、懸念がぬぐい切れなかった。


◇◆◇


「ずーるーいー! おじさんと咲さんの三人でご飯たべたの? ずーるーいーよー! ウチもーー!!」

「うるせえな、お前は俺に隠れて咲さんに会ってた時期があるだろ」

「でもその前はあんたが咲さん独占してたじゃんー」

「そもそも俺の知り合いなんだよ!」

「ウチは別ルートで知り合ったから平等なんですぅー! 残念でしたー」


 笑いながらベロンと舌を出す不気味な形相の楓に、柊は盛大に舌打ちをする。あれからずっとこの調子だ。


(こいつのこと明るくて優しいって咲さんが言ったこと、絶対教えてやんねー)


 大体どうして楓がそこまで咲に執着するのが疑問だった。自分は男として咲に恋しているのだから当たり前だと思っている。だが、楓は。


「お前さ、好きな男とかいねーの?」

「何突然」

 どこから持ってきたのかポッキーを何本もくわえながら振り向く。

「いや、女子って寄ると触ると男の話してんじゃん。何組の誰がカッコいいとかさ」

「あんたもそこそこ人気あるよ。怖いって思われてるから誰も告らないだろうけど」

 誰が怖いんだよ、とムッとする。しかし関係ない方向へ話が飛ぶところを見ると、いないらしいと憶測する。


「いい年して彼氏くらい作れよ」

「別にいーじゃん。欲しいとか思わないし」

「お前に男出来たら俺が楽になるんだよ」

「何言ってんの。散々ウチの世話になっといて」

「世話?! 俺がお前の?!」

「あー自覚ないのかー。いいや、今度また咲さんに愚痴ろ」

「だから、それっ……!」


 怒鳴り返そうとして、止めた。柊はため息をつき、もう一度楓に問いかけた。

「なんでそこまで、咲さんを好きなのかなって、さ」

 好きになってしまう気持ちは分かる。だが自分とは動機が違うはずだと思うと、聞いてみたい欲にかられた。

「……ウチだって、あんな人初めてなんだよ」


 ポリポリ齧っていた菓子を口から離し、やけにしんみりとつぶやく楓に、何故か柊はそれ以上突っ込むことが出来なかった。

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