第95話

「お前、最近外泊してたのは、真壁さんのところじゃないんだな」

 車内で父が投げてきた質問に、柊は口ごもる。咲への疑念は払いたいが、ではどこに、と言われるとばつが悪い。

「咲さんのところじゃないよ。昨日は、泊めてもらったけど」

「どこへ行っているのか、話す気はないのか?」

「……とにかく、昨日以外は咲さんのところじゃない。それだけは絶対」

「分かってる、あの人は良識の有る大人だってな」


 柊としては父の信頼を裏切りたくない。黙っているのは嘘をついていることと同じだ。出来れば話してしまいたいが、宗司へ迷惑がかかるかもしれないと思うと勢いだけで話すことも出来なかった。


「まあ、いい。明日からは必ずどこへ行くかは連絡しろ。福田さんに言いたくないなら俺の携帯にな」

 柊は黙って頷く。忠道は少しほっとして、車を右折させた。


◇◆◇


 自宅へ帰り、咲は一息つく。思いがけず長時間の外出になってしまったが、不思議と疲れていない。初対面の桐島氏と食事までしたのに、きっと柊がいてくれたお陰だろうと思うと心が和む。


 入浴の準備をしようと腰を上げたところで、微かな機械音が聞こえた。耳を澄ますうちにスマホだと気付きバッグから取り出す。発信者は宇野だった。

 咄嗟に出ることを躊躇してしまう。気づかなかったふりをしようか、出ないと明日気まずいか、と悩んでいるうちに呼び出しは止まった。咲はホッとして、充電器につないだ。


『お付き合いしてください』


 宇野からそう告げられたのは昨日のことなのに、すっかり失念していた。考える時間が欲しいと言いつつ、週末かけて全く考えていなかった。それどころか思考の大部分を占めているのは柊のことばかりだ。

 それこそが自分の答えなのだと納得する。


(そもそも、今更誰かとお付き合いなんてするつもりないんだから)


 その場しのぎで返答を先延ばしした自分が悔やまれる。延ばすほど相手への傷は深くなることくらいは、咲にもわかっていた。


◇◆◇


「そうですか……」


 翌日、早速『時間が欲しい』とメールしてきた宇野に付き合って、終業後にカフェに立ち寄る。開口一番、宇野の求めには応じられないことを伝えた。明らかに落胆した様子が見ていて辛いが、だからと言って撤回は出来ない。

「誰か、他にお相手がいるとか……」

「いえ、自分にはそんな……」

「そっか……、いや、土曜日に会った時より表情が明るくなってたから、何かいいことでもあったのかな、と思って」


 咲はドキリとする。何かあった、その通りだ。柊との交流が再開したことで、知らず咲の心は明るくなっていたらしい。

「それが僕のことを受け容れてくれたからかな、とか、ちょっと期待したんだけどね。はは……、やっぱり無かったか」


 咲は、何故か彼を裏切ってしまったような罪悪感に駆られる。だが交際こそしていなかったが、仕事面であれこれ世話になっていることは事実だ。その理由が、宇野の側からすると咲への好意から出たものならば、自分は彼の好意を利用したことになりはしないかとも考えてしまった。


「そんな顔しないで」

 思わず下を向いてしまっていた咲は、ハッとして顔を上げる。

「僕の勝手な片想いだったんだから、咲さんが気にすることじゃないよ。仕事も今まで通りよろしくお願いします。男としてではなく上司として、あなたのことは信頼してますから」

 自分の思考を読まれたような、そしてそれを綺麗に否定してくれた宇野の言葉に、咲は安堵と感謝を覚えた。ありがとうございます、と、深く頭を下げる。


 うんうん、と頷きながら、しかし宇野はまた顔を引き締めた。

「僕のことはね、もういいんだ。でも一つだけ、気になることがある」

 咲も頷き、姿勢を正して宇野の言葉を待った。


「もっと自分を大事にしてほしい。あなたは素敵な人だ。きっと僕以外にも同じことを思っている人がいる」

 目を見開いてこちらを凝視する咲を、宇野も視線をそらさず見つめ返す。

「好意から逃げないで。僕はあなたが幸せから遠ざかろうとしているように見える。それが心配なんだ」


 宇野の言葉を聞きながら、咲の心の中は、誠と柊の二人が行ったり来たりしていた。

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