第94話

 昼過ぎに来た客を伴って、桐島父子が外出してから、福田はキッチンに立って呆然としていた。

 何もおかしなことはない。知人を食事に連れて家族で食事に行っただけだ。


『夕食はいらないので、福田さんも今日はゆっくりしてください』


 出がけに忠道に掛けられた言葉を反芻する。その時自分が受けたショックも同時に甦る。

 自分用のインスタントコーヒーを淹れて自室へ向かう。何故ショックを受けたのかは考えたくなかった。


◇◆◇


「すみません、ご馳走になってしまって」

「とんでもない。息子がずっとお世話になってたんですから、これくらいは」

「また行こうよ! 旨かったよね、今日の店」

 こら柊、と、運転席から息子を宥める。しかしそれ以上は黙って見ていた。

「そんなご迷惑は」

「え?! 迷惑なんかじゃないよ! な、親父」

「むしろ柊が甘えてご迷惑かけてしまうのではないかと心配なんですよ。よろしければまた行きましょう」

 父が自分に同意してくれたことで柊は勢いづく。遠慮しつづける咲を押し切って、次の約束まで決めてしまった。

「親父もこの日は出掛けるなよ、家にいてくれよな」

「分かったから車の中で暴れるな。危ないぞ」


 そして忠道は、恐縮する咲から住所を聞き出し、彼女のマンション前まで送り届けた。

 車から降りて、車内の父子に頭を下げる。

「すみません。本当はお詫びに伺ったのに、ご馳走になった上に送っていただいて……」

「いーんだよ全然! また行こうね!」

「柊くん……」

「こら、お前は少し黙ってろ」


 息子を再び窘め、車から降りて咲の近くへ行く。慌てて一緒に降りてくる息子を視界の端に認め、内心笑いが止まらない。

「受験生のくせに夜間フラフラ遊び歩いてるような息子です。もしご迷惑をおかけするようなことがあればいつでもご連絡ください」

 そう言いながら名刺を差し出す。仕事用ではなく、自宅とプライベート用の連絡先を記載した個人名刺だった。咲は恐縮し両手で受け取った。

「迷惑だなんて……。こちらこそ、息子さんの勉強の邪魔にならないように気をつけます」

「邪魔なはずないじゃん! そうだ、毎日咲さん家で勉強してもいい?」

「お前、いい加減にしないと本当に怒るぞ」

 

 柊は咲に言ったつもりだったのに、父から叱責が飛んできたのでムッとする。が、咲も忠道に同調し始めた。

「柊くん、お家か図書館のほうが集中出来るでしょ」

「仕事で疲れて帰ってきてお前が居たらストレスでしかないだろう」

「骨休めに遊びに来るのは構わないから」

「まあ、週に一回程度ならご迷惑にならないかもな。でも長居するなよ」


 次々と浴びせられる小言に、特に咲からも拒絶されたような気がして急にしゅんとなってしまった柊の背を、忠道はバンバンと叩いて励ます。

「諦めるんだな。まずは受験だ」


(俺、そんなに根詰めなくても受かる自信あるんだけどな……)


 ただ、挨拶から始まって食事中の様子を見ていても、父が咲を気に入ったことは確信出来た。咲が他人から悪感情を持たれるような人柄でないことは分かっていたが、自分が絡んでいることもあり一抹の不安もあった。だが今はそれも吹き飛び、もしかしたら親公認の仲になれたかと喜んだのも束の間、受験という壁が立ちはだかった。


「では、また是非。今日はお疲れ様でした」

 立ち話を続けるのも、と、忠道が暇を告げる。咲も頷いて改めて二人に礼を言うと、まだ名残惜しそうな柊を乗せた車は来た道を戻って行った。

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