第93話
「真壁さんと柊の事情は理解いたしました。私が下種の勘繰りをしていたようだ」
「ご安心ください、それは絶対にありませんので」
忠道は頷く。この人であれば、未成年の息子と間違いを犯すことはないだろうと思えた。
しかし。
真壁咲とはそういう関係ではないというなら、度重なる外泊はなんなのだろう。
以前柊が話していた、帝東大の先輩か、または、別の?
柊自身が煙草くさかったり酒に酔っていることは一度もないので、余計な心配なのかもしれないが、何かの間違いが起こるくらいなら、この人のところへ行ってくれているほうがいいのでは、とまで思い始めていた。
「真壁さんは、明日はお勤めですか?」
「はい」
頷きつつ、すっかり忘れていた宇野の件を思い出し、気持ちが重くなる。忘れていた自分の薄情さにも驚いた。
「もしよろしければ夕食をご一緒しませんか。きっと柊もそのつもりでしょうし」
「いえ、それは急だしご迷惑では」
「こちらは一向に。無理は言えないが」
「そうしようよ! 晩飯までいてよ! 俺、家まで送ってくから!」
自室にいるはずの柊が突然飛び込んできたので、二人は驚いた。が、忠道は、柊が恐らく外で聞き耳を立てていたのだろうと推測し、苦笑いする。
「お前、部屋にいろと言っただろう」
「わりい。でもいいじゃん! ほら、前に行ったしゃぶしゃぶ屋に行きたい! 咲さん、しゃぶしゃぶ嫌い?」
「え、ううん、好きだよ」
「じゃあ決まり! 俺、予約の電話する!」
はしゃいでまたリビングから飛び出して行く柊を、大人二人は笑って見送った。
(あんな年相応な柊は、久しぶりに見たな)
やはりずっと我慢させていたのかもしれない。もう成人近い今となっては分からないが、幼かった柊には母親が必要だったのだろうと、忠道は痛感していた。
そして向かいに座る女性を見つめた。
◇◆◇
「え? あれ? 咲さん??」
柊父子と咲の三人で食事へ出ようとしたところで、道路向かいの家から楓が飛び出してきた。
「え? え? なんで? あれ??」
「そっか、楓ちゃん、柊くんとご近所だったのよね」
「えーーっ?! もしかして遊びに来てたの?」
遊びに、という表現に咲は苦笑する。この年頃だと知人の家を訪うことをそう言うのだった。
「うるせーな、これからメシ食いに行くんだから邪魔すんな」
「ちょっと! 咲さん来てるのになんで教えてくんなかったのよ!」
「忘れてた」
「わ……?! ひどっ! ねえ聞いた? 柊ひどすぎん?!」
必死に咲に訴えかけてくる楓をヨシヨシと撫でていたら、反対側の腕を柊に引っ張られた。
「予約の時間に遅れるから、じゃーな」
「えーと、楓ちゃん、また」
連絡するね、という一言を咲が言い終わる前に、柊は父がハンドルを握る車の後部座席に咲を押し込む。騒ぐ楓にあかんべを返すと、その隣に自分も乗り込んでドアを閉めた。
ゆっくりと発進した車を見送りながら、楓はとても心地よい後味に包まれていた。
◇◆◇
「岸川さんのお嬢さんともお知り合いなんですね」
岸川、という名を、楓の姓だと思い出すまで数秒を要した。ああ、と理解し、咲は運転中の忠道に背後から頷く。
「楓ちゃんもたまたま知り合って……。そんなことばかりです」
「元気なお嬢さんでしょう」
「本当に。明るいし優しいし、いつも元気をもらってます」
実際、自分と柊の間に入ってくれたのが楓でなければ、おそらく再び柊を受け容れることはなかっただろうと思う。柊も、自分が知らないところで楓に助けられているのではないだろうかとも想像した。
「両家はお親しいんですか?」
「岸川さんのご主人と私が大学の同窓なんですよ。たまたま似たような仕事をしたり、同時期に家を購入して。互いの子どもが同じ年に生まれたのは驚きましたが」
「素敵ですね、ずっとご関係が続いてるなんて」
咲の隣に座り、面白く無さそうに窓の外を見遣っている柊を、忠道はバックミラー越しに認めて笑いを押し殺す。恐らく咲が自分以外の人物を褒めるのが面白くないのだろうと察した。
(分かりやすすぎだな、我が息子ながら。だが全く当人には通じていないようだが)
父として息子の協力をすべきか、諭すべきか、少々悩ましい問題だった。
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