第90話

 営業用のスマホが鳴動している。営業時間外だということもあるが、画面に表示されている発信者名を見て、宗司は出るか否か躊躇していた。


(常連客はありがたいが、こうもしつこいと面倒だな)


 柊が本当は高校生だと明かせば、小出沙紀も諦めるだろう。しかし確実に自分の手が後ろに回る。場合によっては柊も。

 他のスタッフを勧めてみたがまるで関心を示さない。柊以外には目もくれない様子に危うさを感じる。

 であれば猶更、もう柊に相手をさせるわけにはいかなかった。


 何度か鳴動と停止を繰り返しているうちにコールが止んだ。諦めたらしい。ホッとして立ち上がり、窓を開けた。梅雨も明けた夏の夜気が押し寄せてくる。


 そういえば、と、宗司は柊に思いを馳せた。

 最近は『家政婦と家に二人でいたくない』といって週末になるとふらりと顔を出していたのに、今日は連絡もない。

 大人しく家にいるのか。それなら安心だが、そうでないとしたら……?


 交友範囲が極端に狭い柊が、夜に時間を潰す相手が他にいるのかと想像すると、何故か気持ちが塞いだ。


◇◆◇


「あ、親父? 俺」

『お前、今何時だと思ってる』

 父の、怒っている様子はないが呆れ切ったような声音に、見えないながらも柊は首をすくめる。

「ごめん。あのさ、今日ちょっと知り合いんとこ泊まるから」

『知り合い?』

「うん」

『例の先輩か』

「違う。でさ、明日、ウチ連れていこうと思うんだけど、親父家にいてくれるかな」

『挨拶、って』

「とにかく、家にいてくれよ。昼頃帰るから。じゃ」

『おい、しゅ……』


 とりあえず用件だけ言って、父との通話を切った。ここで余計なツッコミを受けて、要らない情報を渡したくなかった。

 大人の女性の家だと言えば、いくらあの父だろうと騒がないはずがない。今から迎えに行くなどと言われたら拒否しきれない。折角咲を言い負かして二人で夜を過ごせるようにしたのに、台無しになる。

 それに、あれこれ説明するよりも、咲本人を見てもらったほうが早いと思った。自分がそうであったように、きっと父も咲を気に入り信用してくれるだろうと。


 ついでにスマホの電源も切り、リビングへ戻ると、綺麗に布団が用意されていた。

「はい、前回と同じ浴衣だけど、パジャマ代わりこれしかないから」

 手渡された紺色の浴衣に、柊は懐かしさを感じる。が、いい加減女性ものは恥ずかしい。

「いいよ、夏だし。今日は制服じゃないから」

「そのまま寝るの?」

「シャツだけ脱ぐけど、下、Tシャツだし。今度パジャマ持ってくるから置かせてよ」

「何言ってるの、そんなに何度も泊めるはずないでしょ」

「だって明日親父に会うんだろ。そしたら解禁じゃん」

「解禁?! 違うでしょ、私はお父さんにお詫びに……」

「息子さんを幸せにしますから、って?」

 ついそんな場面を想像し、柊はにやける。まるで結婚の挨拶だ。そうなっても自分は構わないのだが、男女の役割が逆なのが気に入らない。


 自分が咲の両親に、同じように挨拶をする場面も妄想する。きっと年齢差に驚くだろうし、反対されるかもしれない。

 それでも、いつかそんな日が来ればいい。自分は死に物狂いで努力して、自信を持って「幸せにする」と言い切れるようになる。何年かかろうと、咲もその家族も納得する男になる。


「バカなこと言ってないで、洗面所で着替えてきて。早く寝なさい。明日は柊くんのお家行くんでしょ?」


 妄想爆走中だった柊は、咲の冷静な声に現実に引き戻される。慌てて浴衣を受け取り脱衣所へ向かう。

 明日が楽しみで仕方がない。もう咲のことを、自分の咲への気持ちを隠さなくてよくなるのだと思うだけで、今夜は眠れそうになかった。

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