第89話
「泊まってってもいいよね?」
気が付けば夜で、盛大に腹の虫を鳴かせた柊と夕食をすませると、当たり前のようにそう告げてきた彼に咲は驚く。
「まだ電車あるでしょ」
「帰ろうと思えば歩いて帰れるけどさ」
「じゃあ帰ったほうがいいね」
「やだよ。折角会えたし、まだ話したいこともあるし」
「もう夜だよ」
「だから泊まって、明日」
「お家の人が心配する」
「今から電話するから」
ああ言えばこう言うで、柊は引き下がるつもりはないらしい。困り果てて咲は自分のスマホを取り出す。
「じゃあ楓ちゃんも呼ぼうか。三人でおしゃべりして過ごそう」
「は? なんで楓?」
柊は慌てて咲の手からスマホを奪い取った。楓なら飛んでくるに決まっている。そんなことをされてはかなわない。
「前に泊めてくれたことあったじゃん」
「あの時は……、そうだ、柊くん警察に補導されたりして大変だったし」
「今だって大変だよ」
「どこが?」
「ずっと会いたかった人に会えた。今帰ったらもう二度と会えない気がする」
「そんなこと……」
「ダメ、信用できない。一年前だって『また明日』って言ったのに居なくなった」
咲はぐっと口ごもる。その通りだった。挙句着信拒否した。先日偶然楓と出くわさなければ、今も二人とは音信不通のままだったろう。
「でも……」
「意識した?」
急に悪戯めいた目つきで、柊が近寄ってくる。咲の視界を遮るように壁に追い詰めた。
「俺のこと、男だって意識したよね。だからダメなんだよね」
「……男の子だってことは分かってるわよ」
柊は力が抜ける。やっぱりあの程度じゃ咲には通用しないのか。
(子、ってなんだよ)
ふいに常連客の小出沙紀を思い出す。彼女にしているようなことを咲にしたら。
柊の脳内で沙紀と咲が入れ替わる。思わず目の前の咲を見て、頭が爆発しそうになった。
「どうしたの?」
「な、な、何でもない!」
「じゃあ、帰るのね?」
「それは嫌だ。咲さんを信用できないから帰らない。これは咲さんのせいだからね」
顔を真っ赤にしながら帰らないと言い張る柊に、咲が根負けした。確かに自分のせいで信用できないと言われれば、言い返す術がない。
「仕方ないな、じゃ、私がお家に連絡するから、電話番号教えて」
「え、いいよ、俺から親父に言うから」
「だめ。もう二度目だもん、私からご挨拶したい」
挨拶、という言葉を聞いて、柊はひらめいた。
「それ、明日にしようよ」
「明日?」
「外泊するって言う連絡は俺がする。その代わり明日俺ん家来てよ。日曜だから親父いると思うし。ていうかいてくれるよう頼むから」
思わぬ提案に咲は考え込む。挨拶と言ってもわざわざ訪問するほどのことはないと思っていたが、未成年者を預かるなら、親としては身元確認も含めて自分を確かめておきたいだろう。
すでに一度心配と迷惑をかけているのだ、ここで逃げるわけにはいかないと決意する。
「分かった、じゃあ、明日お父さんにご挨拶に行く」
「やった! 約束だからね!」
「じゃあ、今日のところは」
「帰らないってば、だから」
「そうじゃなくて。もう寝なさい、十一時だよ?」
「まだ、だよ」
「子どもは寝る時間です。ほら、お布団出すから手伝って」
「あー、俺家に電話しなきゃー」
「こら!」
舌を出しながら笑って電話を掛け始める柊に、咲も笑いながら睨み返す。そしてローテーブルを片付け、リビングに客用の布団を用意し始めた。
押入れから、前回柊が泊まった時にもパジャマ代わりに着せた浴衣を取り出す。引っ越しの時、何故か捨てることが出来ずに持ってきていた。その時点ですでに自分はこうなることを期待していたのかもしれないと気付き、ひとり苦笑いを浮かべた。
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