延々と言い訳並べて屁理屈並べて詭弁を弄して

前世の俺は、とにかく言い訳ばっかりだった。自分がやりたくねえことについては延々と言い訳並べて屁理屈並べて詭弁を弄して、とにかく、


<自分がやらなくていい理屈>


をでっち上げようとしてた。『自分は外で仕事してるから』とか『女房は楽してるから』とか、ひたすら<平等>ってもんを盾にして、


『自分はこんなに苦労してる! 大変な思いしてる!』


ってのをアピールしようとしてた。


けどなあ、惚れた女が大変そうにしてたら労いたくなるのが<人情>ってもんじゃないか? そう思わないのなら、そりゃあ単に、


『愛してない』


からだろ? 何でもかんでも全部自分が背負う必要はないにしても、分単位、一円単位で、<仕事>ってもんを評価して、


『自分と女房の負担が一緒じゃなきゃ自分はやらねえ!』


とか、そこまで拘るか? そこまで拘らなきゃいけないものか? 


前世の俺は拘ってた。女房のことも娘のことも愛してなかったからな。愛してもない相手のことに煩わされんのが嫌だったんだよ。


だが、今は違う。リーネのこともそうだし、まだ会って間もないトーイのことだって、労いたいと思うし気遣うことを負担とは感じねえ。それは結局、リーネやトーイのことを『愛せてる』からだろうな。


女房や娘だけじゃない。結局、誰のことも愛してなかった。それこそ、自分自身さえ愛せてなかった自分を客観視したら、いたたまれないんだよ。


身勝手な奴のことを、


『自己愛が強い』


なんてことを言ったりもするが、正直、今の俺の実感はちょっと違う。本当に自分のことを愛してて大事に思ってるんなら、なんで家族に愛想尽かされるようなことをする? そんなことをしたら自分にとってはマイナスになることくらい、大人として普通に仕事ができる程度の頭がありゃ想像できるだろう? 実際、定年退職後の俺は女房やゆかりやリサからも見捨てられて、施設の職員をいびり倒すことくらいしか楽しみを見付けられないような人間になっちまったじゃねえか。


それのどこが、


『自分を大切にしてる』


って? 自分で自分を不幸にしてるだけじゃねえか。施設の職員にまで嫌われて、陰口をたたかれて、人生の晩節がそんなんで満足か? 嬉しいのか? 幸せなのか? 


んなワケねえだろ!


そんな大失敗をやらかした自分自身の間違いにさえ向かい合えなくて偉そうに大人面してんじゃねえよ! 俺!!


そう思うから、リーネやトーイを労わるんだよ。それの何がおかしい?


百年も生きてきてこの上、同じ過ちを犯せってか?


ふざけすぎだろ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る