自分の努力不足を親の所為にしてるだけだ

改めて考える。


前世じゃ、<親ガチャ>って言葉は、自分じゃロクに努力もしねえで自分が上手くいかないのを親や他人や社会の所為にする奴が自分を正当化するために使う言葉だってんで、それを使う奴を見下して嘲笑するってのが多かったな。


けどな。今、こうして客観的に前世を思い返してみるとな、それがただの決め付けでしかなかったんだろうなって気がして仕方ねえ。


前にも言ったと思うが、『自分の努力不足を親の所為にしてるだけだ』とか言って<親ガチャ>って言葉を叩いてた奴らの中には、少なからずその<親ガチャ>って言葉に心当たりのある奴が混じってたって気がするんだよな。


だってそうだろう? いわゆるニートだとか底辺の奴らだとかは、むしろ<親ガチャ>って言葉にゃ定着してもらいたかったはずだ。自分が這い上がれねえのを親の所為にできるんだからな。なのに、芸能人までこぞって<親ガチャ>って言葉を叩いてやがった。


なんでだ? なんでそんなにムキになる? <自分の努力不足を親の所為にしてえだけの奴>なんざ、<親ガチャ>って言葉ができる前からそうだったじゃねえか。しかも、<親ガチャ>って言葉が下火になってからも、親や他人や社会の所為にしてたぞ? <親ガチャ>って言葉があるから親や他人や社会の所為にしてたわけじゃねえんじゃないのか?


ムキになって<親ガチャ>って言葉を叩いてた奴らは、それで<自分の努力不足を親の所為にしてえだけの奴ら>が心を入れ替えて努力するようになるとか思ってたのか? ならなかったじゃねえか。何にも変わってねえ。<自分の努力不足を親の所為にしてえだけの奴ら>はそれから後も親や他人や社会の所為にしてやがったじゃねえか。


じゃあ、何のためにムキになって<親ガチャ>って言葉を叩いてたんだ?


そう考えると、まあ、


<自分が見下せて叩きやすい相手を叩きたかっただけの奴>


と、


<親ガチャって言葉に心当たりがある奴>


だったんじゃねえのか? 中心は。例えば、


<虐待親>


<毒親>


<不倫親>


<無職親>


<シングル>


<その他、世間からは色眼鏡で見られるタイプの親>


とかな。<親ガチャ>って言葉が定着すると困る奴らがムキになってた気がするんだよな。


で、この中じゃ俺はまあ、<毒親>と<不倫親>に該当するって感じか。その俺自身が前にも言ったとおり、


『親ガチャとかいう言葉を使う奴は、自分の努力が足りねえのを親の所為にしてるだけだ!』


ってガッツリ思ってたしな。


うん、


『俺の所為にされたくなくて<親ガチャ>って言葉を否定してた』


ってわけだ。


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