ここに生きる人間の感覚
そんなことを考えながら焚火に当たっていると、
「バサッ!」
という音と共に、
「キイィッッ!」
と鳴き声が聞こえた。見れば、木の枝から蔓で何かがぶら下がってる。ウサギだ! こりゃツイてるぜ!
これまた、前世の俺は今まで触れてきたように最低のクソ野郎ではあったものの、現代日本に育ったこともあってか、生きた動物を自分で捌くなんてことはとてもじゃないができなかっただろうな。転生して子供の頃から否も応もなくやらされたからできるようになっただけだ。
で、小さい頃から否も応もなかったのはリーネも同じだからか、生きたウサギをシメて捌くことに、抵抗感や嫌悪感は見せなかった。俺が若い頃に見てたアニメとかじゃ、こういう時、ヒロインはビビったり嫌悪感を示したりするところだろうが、こっちの世界に生まれついた人間ならこっちの<常識>を持ってるのが当然だからな。それが普通なんだろう。
だから何かイベントが起こるでもなく、それどころか俺が捌いたウサギの肉を、自分から進んで串代わりの木の枝で刺して準備をしてくれた。どんなにおとなしそうに見えてもしっかりとここに生きる人間の感覚は身に付けてるということだ。今はそれがむしろ頼もしい。ここでぎゃあぎゃあ騒がれても面倒なだけだしな。さすがにそういうのを『可愛い』とも思えない。
食わなきゃ人間は死ぬんだ。文句を言ってる場合じゃない。
そんなこんなでウサギの肉にありついて、俺とリーネはそれをありがたくいただいた。イノシシの時もそうだったが、自分でこうしてシメて捌いて、それが実際に生きてたことを実感するからか、自然と、
『ありがたくいただかせてもらうぜ……』
という感謝の気持ちが湧いてくる。
もっとも、それ自体、前世との比較があるからそう感じるだけで、こっちの記憶しかなかったらやっぱりそれが『当たり前』過ぎて逆に感謝の気持ちも持てなかったかもしれねえけどな。
実際、リーネも別に感謝の言葉を口にするでもなく、いや、一応、俺に対しては、
「ありがとうございます」
と口にしてくれたもののあくまでそれは俺に対してであって、ウサギに対してじゃなかったのは間違いない。
ここの連中は、形の上じゃ<恵みを与えてくれた神への感謝>も見せるが、それすら形だけで、実は本気で感謝してるわけじゃないってのは、透けて見えてたんだよな。
人間ってのはえてしてそういうものだ。<信心深い奴>なんてのは実は一部に過ぎなくて、それ以外は『何となくそうしてる』ってのがほとんどだってのは、向こうとそんなに変わらないな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます