7. 始まりが始まらない

「……何してるの、かもめ」


 寝室から降りてきたフェリィは、そこに広がる光景に困惑した。寝る前まではあんなに綺麗だった事務所のオフィスが、ペンキやら工具やらでぐちゃぐちゃに荒らされていたのだ。


「あ、おはようフェリィ。いやさ、事務所の内装、もうちょっと明るくしようと思ってさー」


 明らかに犯人であるかもめは、凶器のハケを手にしながらフェリィに笑顔を向ける。しかし、フェリィはその惨状に気を取られてそれどころではなかった。


「壁が水色……」


「空と海をイメージしてみました!」


 自慢げに胸を張るかもめ。もちろん壁だけでなく、黒のソファやテーブル、床までもがカラフルなクロスやシートに覆われている。それはもはや、探偵事務所というよりは幼稚園といった有様だった。


「やっぱ辛気臭いと気分も暗くなるじゃん? それに、お客さんも近寄りづらくなると思うんだよね」


「かもめ」


「あとは表の看板も派手なのにしちゃおっか! こうイルミネーションみたいなの付けたり」


「かもめ」


「なに?」


「こんな事してもお客さんは増えないよ」


「ぐっ……!」


 鋭い言葉の槍に胸を刺されたかもめがのけぞった。本人にもわかっていたが、”この現状”が変わらない事に焦っていたのだ。


――――あれからかもめは、トウカに代わって探偵事務所を再開させることにした。    

 理由は二つ。

 ひとつ、この事務所には異世界転生絡みの依頼人が集まってくる。ならば、様々な転生事件を通してトウカを轢いたトラック『Hole in one ツーリスト』を知る者、またはトウカの転生先の情報を持つ者も現れるのではないかと考えたのだ。


「もとに戻そう、手伝うから」


 フェリィも、かもめの“助手“として彼女を手伝っている。『トウカを探す』という依頼の報酬として、フェリィが自らそれを望んだのだ。


「うん……ごめんね」


「いいの。あんまり焦らないで」


「だ、だってそろそろ貯金がヤバくてさぁ……」


 これが、理由の二つ目。これまでは、トウカがかもめの生活費のほとんどを工面していた。だが、それがなくなり収入がゼロになってしまったという事は、いずれ貯蓄が底をつき、そこに待つのは……。

 そうなれば最悪、この事務所も手放さなければならなくなるだろう。だが、それだけは避けなければならない。


「ここは兄さんの帰る場所……だったら、その場所は私が守らないといけないの。兄さんが帰ってきた時、何も残ってなかったらトンボ返りしたくなっちゃうかもしれないし。あと、私が養ってもらえないし」


「そうね」


 ……ともかく、かもめは固い決意を胸に兄の遺志(死んでいない、はず)を継いだわけである。

 しかし、そのやる気とは裏腹に、新生鳩羽探偵事務所には閑古鳥が鳴いていた。これまでの依頼は――――なんと、ゼロ。


「あーあ、なんかいい方法ないかなあ」


「そうね」


 窓からのぞく青空を眺めながら、ひとりごちるかもめ。曖昧な返事をしながら、床のシートを容赦なく剥がしていくフェリィ。今日もまた、穏やかに時間だけが流れていく―――――







――――はずだった。




「すみませーん!」


 ふと、開かずの玄関の方から声がした。


「なんだろ、受信料の集金かなー……」


「みてくる」


 すっかり遠い目をして無気力モードに入ってしまったかもめに代わって、フェリィが立つ。


(ここを片づけたら何しよっかなー。フェリィと買い物にでも行こっか。まだ揃えてない家具とかもあるし)


 かもめはフェリィに似合う食器や服の色について思案する。今は元々の服とかもめのおさがりで凌いでいるが、あの美しい顔立ちに自分の子供っぽい服を着せておくのはあまりにもったいない……ひどい時はジャージで一日を過ごした時もあった。それはあまりに忍びなかった。


(どういう服が好きかな。食器は何色にしよう?)


 そこまで考えて、かもめはまだフェリィについてまだほとんど何も知らない事に気が付いた。好きなものや、色……それから、過去の事。仕方がなかった。兄の転生死以来、ここまで息つく暇もなかったのだ。


(決めた、今日は買い物して、それから2人でいっぱいおしゃべりしよ)


 今日のプランに思いを馳せるかもめ。そこに、ようやくフェリィが玄関から戻ってきた。


「おかえりー、なんの集金だった?」


「依頼人だった」


「ふーん、そっか」







「ん、依頼人!!!??」


 瞬間、かもめはソファから転げ落ちた。フェリィの背後には、確かに人影が見える。そう、遂に新生鳩羽探偵事務所に依頼人第一号がやってきたのだ!



「いらっしゃいませ! ようこそ鳩羽探偵事務所、へ―――――」


 だが、待望のお客さんを前にして、かもめは思わず固まってしまった。

嬉しさのせいではない。その依頼人の姿が、あまりに“異常“だったのだ。


 深紅の甲冑に、かもめの身長ほどもありそうな巨大な剣――――おおよそ現代では見る事のない中世ファッションに身を包んだその少女は、太陽のような眩しい笑顔を向けながら臆面もなくかもめとフェリィの前にその姿を曝け出した。


「ルーナティア帝国第一装甲師団団長『カナリア・Cキティ・ホーク』、鳩羽探偵事務所に依頼を申し付けたく参りました!!!!!!!!」

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