5.銀の髪の少女
「…………」
気が付いた時、かもめは探偵事務所のソファに座っていた。いつ頃帰ってきたのか、どうやって帰ってこれたのか、何も覚えていない……。警察に保護されて、何か質問されたような気はする。でも、何を聞かれたのか、何を答えたのかはなにも覚えていない。
「まぶし……」
窓の外を見ると、既に日は真上まで昇っていた。確か、事件を解決して帰ろうとしていたのが夜だったから、朝に帰ってきていたとしても相当な時間ここで座っていた事になる。しんと静まり返った事務所を見渡してみると、昨日出かけた時から物が動いている様子はない。普段なら、トウカがコーヒーでも啜りながら書類を整理してそうなものなのに。
「あ、そうか……」
そこでようやく、かもめは昨夜の事を思い出した。
路上に倒れた少女、突っ込んできたトラック、そして飛び出したトウカ。かもめが気づいた時、既にトウカの体は冷たいコンクリートの上にうつ伏せになって倒れていた。即死だった。それから、自分が呼んだのか誰かが呼んでくれたのか警察がやってきて、事情聴取を延々とされ、朝ごろにようやくこの事務所に戻ってくる事ができたのだった。
「このあとどうしたらいいんだろ。お葬式とか、何したらいいか全然わかんないや」
(そういえば、あの銀の髪の子無事だったかな。すごい怪我してたっぽいけど。まぁ警察が来てたんだし、なんとかしてくれたよね。そうでなきゃ、兄さんが無駄死になるもんな)
「……兄さん…………」
ぼんやりと考えていたかもめは、そこでようやくトウカの死を実感した。
「なんだよ、私には異世界に行きたいなんて言うなとか説教垂れておいて。自分が死んでたら元も子もないじゃん。大体、一度異世界転生してた話も初耳だし……ますますどの口が言うのって話じゃん」
かもめは、トウカの唯一の遺品であるボロボロの手帳に向かって呟いた。おそらく、トラックと衝突した際にポケットから零れ落ちたのを咄嗟に拾ったのだと思う。だがやはり、今のかもめには拾った時の記憶も、テーブルに置いた記憶も曖昧だった。
「……こんな事なら、もっと話しておけばよかった。今更知りたいなんて、思うんじゃなかった」
兄の大きな背中が、かもめの脳裏にフラッシュバックする。かもめはソファの上で膝を抱えて蹲り、そして静かに泣いた。
だが、どんなに泣いても兄は帰ってこない。そして、この事務所の時間が再び動き出す事もない――――。
「…………ひとりは、いやだ」
と、その時である。不意に、事務所の扉がゆっくりと開き、小さな足音がかもめの側まで近づいてきた。
「……ここ、鳩羽探偵事務所?」
(まさか、兄さんに依頼しにきたお客さん……?)
急いで涙を拭き、顔を上げる。
「ごめんなさい、今日は事務所はお休みで――――」
しかし、そこにいたのはかもめも知る意外な人物であった。
「あ、あなた……」
そこにいたのは、トウカがトラックからかばったあの銀の髪の少女だった。
「よかった、無事だったんだ。もう怪我はいいの? えっと……」
どうやら、兄の死は無駄ではなかったらしい。かもめは少しだけ心が救われた気がした。
「フェリィ」
(フェリィ……珍しい名前。外国人さんかな)
「私はかもめです、よろしくフェリィさん。それでフェリィさん、どうしてここに……?」
「お礼を言いに来たの。鳩羽トウカという人に。わたしの事、助けてくれた人。ここの事務所の人だって、警察の人から聞いたから」
「あ……」
「いないの?」
「うん……トウカは――――兄さんはもう、ここには来ないよ。遠いところへ行っちゃったからね」
少女─────フェリィは、トウカが死んだ事を知らないようだった。トウカが跳ねられた瞬間、倒れて気を失っていたから。かもめは、思わず少女から目を逸らし、口を噤んだ。何より、自分がまだトウカの死を受け入れきれていなかったのだ。
「そう……」
フェリィは、特に驚きもせずに淡々と呟いた。なんだかぼんやりした子だな、とかもめは思った。
しかし次の瞬間――――かもめの頭に、衝撃が走った。
「じゃあお願い。鳩羽トウカさんを探して」
「え……!?」
「……どうして驚くの? 探偵事務所って、人を探してくれるところなのでしょう?」
「い、いや、あのね、そういう事じゃないの。つまりその、遠いところっていうのは…………」
「異世界のこと、でしょう?」
「!!!!」
その言葉は、かもめにとって天啓だった。
(そうだ……なんで気づかなかったんだろう。なんで諦めてたんだろう。この世界には、異世界転生なんて非常識な概念があるのに。つい昨日、実際にそれを見てきたっていうのに)
本当に転生しているかどうかは、正直わからない。死体だってあったのだ。だが、そこに生まれたわずかな希望は、失意の底に沈んでいたかもめの心を突き動すには十分だった。
「……わかった。受けるよ。その依頼。この私――――鳩羽かもめが!」
時計の針がふたつ合わさり、昼を告げる鐘を鳴らす。
――――そして、二度と動くはずのなかった時間が、再び動き出した。
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