3.転生の法則


「ん……あれ…………?」


 小波ミサキが目を覚ましたのは、何もない真っ暗な空間だった。右も左も黒一色に塗りつぶされ、上も下もわからなくなりそうな暗黒。辛うじて、地面の冷たさだけがはっきりと感じられた。


「ここ、どこ……?」


 ミサキが戸惑っていると、どこからともなく声が降ってくる。


「目が覚めましたか?」


 そこにいたのは、透き通った髪色に、純白のドレスを纏った女神のような女性だった。この世のものとは思えぬその美しさに、ミサキは思わず見蕩れてしまった。


「……天使」


「なんでわかったの?」


「えっ……いえ、そういうつもりじゃ」


 つい漏れてしまっただけだ、とはミサキには言い出せなかった。そんなミサキの事はお構いなしに、自称天使は勝手に話を進めていく。


「まあわかってるならその方が話は早いから、こっちとしては助かるわ。んん。

……小波ミサキさん、あなたは一度死んでしまいました」


「えっ!?」


「あれ、わかってたんじゃないの? あ、いや、んん。

……申し訳ありません。何かの手違いで、あなたの死の運命が捻じ曲げられてしまったのです」


「……そうですか」


「​─────狼狽えないのですね?」


「いや、あの……起きてしまったんなら、仕方ないですよ。私、昔から運悪かったですし。それに、しばらく引きこもりで、お母さんお父さんにも迷惑かけちゃってたから……きっと、天罰だったんですよ」


(はぇ〜めんどくさ……なんで転生者ってこうシャキッとしないヤツらばっかりなのかしら。あと、みょ〜に達観した雰囲気出してくるのも絡みづらくて苦手なのよね。

……いや、ガマンよアナトラ。この子をさっさと異世界に送っちゃえば晴れてノルマ達成、これで私は女神に昇格なんだから! とりあえず、いつも通り適当に持ち上げてこの場を凌ぎましょ)


「……あなたは優しい人なのですね。私たちを責めないなんて」


「責めるなんて、そんな」


「安心してください、私があなたを生き返らせますから。ただし、この世界には復活させられない決まりなので……」


「も、もしかして異世界ですか……!?」


「え、えぇ……」


 ぐいっと身を乗り出してくるミサキ。思わず、天使アナトラは半歩引く。


(でましたこの待ってましたみたいな感じ! やりづらいったらないわ~。大体最近の連中ときたらこなれすぎよね。死んでんのよ、一応!?)


 その様子にうんざりしながらも、ミサキの魔法陣のようなものを準備していくアナトラ。その魔法陣が徐々に緑色の光を帯びていき、いよいよ転生が始まるのだとミサキの胸を高揚させた。


「……まぁでも、私の担当の最後に女の子が来てちょっとホッとしたわ」


「そうなんですか?」


「ええ、そりゃもう男ばっかだったわ。それも最近はおっさんばっかでさ~」


「悪いな、最後もおっさんだ」


「!?」


 何者かの声と共に、それまで暗闇だった空間に鋭い光が差した。ミサキとアナトラが光の方を見やると、そこにスーツの男と特に飾り気のないパーカーの女が立っていた。トウカとかもめだった。


「その転生は中止だ」


「だ、誰!?」


「探偵だよ、ただの」


 トウカは、目の前の非現実に対して不敵に笑って見せる。一方のかもめは、その陰から恐る恐る顔を出しながら呆然としていた。


(うわー、マジで転生前の儀式じゃん、女神様じゃん。くっそキレイだし……。やっぱり異世界って本当にあるんだ)


「た、ただの探偵がいきなり天使の結界に殴り込みに来るわけないでしょーが! どうやってここに辿り着いたわけ!?」


「こいつのおかげさ」


 トウカがアナトラに突きつけるように取り出したのは、ボロくなった一冊の手帳。そこには、何かの名称と思しき文字と、それに伴って数字の羅列がびっしりと書き込まれていた。


「こいつは各転生トラックのナンバープレートだ。苦労したんだぜ、こいつを作るの」


「な……気づいたの、法則に」


「ああ。このナンバーで担当と転生先を振り分けてんだろ?


『サハラ急便 〇|〇-1800』なら『ルクバール』

『ヤマネコトマト R-246』なら『ルーナティア』


……こんな感じにな。で、ミサキさんを轢いたトラックは

『クリムゾン運輸 Φ-555』、行き先は『ガルド・ソレアナ』。

────そう、お前の担当する転生先だ。トラックのナンバーは、コンビニの防犯カメラで確認した。店長と仲よくしといてよかったよ。あとは、転生のゲート……つまりここの事だが、そいつは必ず事件現場に生成されるから────というわけだ」


「ななななな……なんでただの人間がそこまで知ってるのよ……。いやてゆーか、それでもここに入ってこれる理由にはならないでしょーが!」


 かもめも、アナトラと同じ疑問を抱いていた。確かに、このアナトラという天使がミサキさんを転生させようとしている事まではわかるかもしれない。だが、人智を超越した天使の作り出す空間に割って入るなんて、普通の人間には不可能なはずだ。そしてかもめの知る限り、トウカは普通の人間のはずだった。

 かもめたちが固唾を呑んで見守る中、トウカはネクタイをキュッと締めなおしてから茶化すように笑ってこう言った。


「探偵に不可能はないんだよ」


 やっぱり詐欺師だ。かもめはそう思った。


「ぬああああああ何にも説明になってないし!!! とにかくこっちは今超大事な仕事で忙しいの!! 邪魔しないでほしいんですけど!?」


「心配しなくてもすぐ帰るから安心しな。そこにいるミサキさんを返してもらったらな」


「わ、私……?」


 自分の名前が知らない男の人から出てきて、当惑するミサキ。トウカは、そんなミサキに警戒されないよう、努めて穏やかな声色で話しかける。


「ミサキさんだね。ノゾミさんの依頼で、君を迎えに来た」


「お母さんの……?」


「そうだ、ノゾミさんはこの2週間、ずっと君を探してたんだ。さあ戻ろう、ノゾミさんが待ってる」


 ゆっくりと手を差し伸べるトウカ。だが、ここにきてなぜかミサキはその手を取ろうしない。いや、正確には手を伸ばそうとはしているのだが、あとちょっとのところで引っ込めてしまうのだ。

 そこに、割って入るように純白のドレスが二人の行く手を遮る。アナトラだった。


「相手を追い詰めて悦に浸ってるところ悪いんだけど、この子、帰る気はないみたいよ? さっきまで異世界に行けるってはしゃいでたもの。ねぇ?」


 その問いかけに、ミサキはさらに視線を落として俯いてしまう。


「そ、そんな! なんで、ミサキちゃん!」


 かもめも思わず叫ぶ。それに対しミサキは、消え入りそうな声で答える。


「だ、だって……私みたいな出来の悪いヤツに、居場所なんてないし……」


「何言って……!」


「それに! こんな引きこもり、いなくなった方がお母さんたちもきっと幸せだもん……」


 少しの沈黙。かもめはミサキの意思の硬さを痛感し、愕然としていた。アナトラも勝利を確信し、ほくそ笑む。だが、その沈黙を破ったものがいた。トウカだった。


「悪いな、ミサキさん」


「え?」


「探偵の仕事は依頼人の依頼を果たす事……だから、君が現世に留まる事を嫌がろうとも、俺は君をここから連れ出して、ノゾミさんのところに連れていく」


「……」


「だけどな、ひとつ言わせてもらうと……本当に居場所がないなら、君を探してくれる人なんていないと思うけどな」


「え?」


「どんなに手がかかろうが、子を想わない親なんかいない。君がどう思っているかはわからないが、少なくともノゾミさんは君を愛してるんだ。世界で一番な。だから……いない方が幸せだなんて、絶対言っちゃダメだ」


 再度の沈黙。しかし、再び時間が動き出すのにさほど時間はかからなかった。


「……お母さん、怒ってた? 突然いなくなって」


「泣いてたよ。それから、ずっと君の事だけ考えてた」


 それを聞いたミサキは、ようやく顔をあげた。そして、今度は躊躇う事なくトウカの手を取った。


「やった!」


 勇気を出して誘惑を断ち切ったミサキに、思わず飛びつくかもめ。しかし、その大団円に水を差すものがひとり。


「いや……いやいやいや! 何勝手に一件落着みたいなムードになってるんですかね!? この子はもう、一度死んだの。だから異世界に行くしか生きる道はない! 悪いけど、余計な口出しはしないでくれる!?」


 先ほどまでの荘厳なキャラを作る事も忘れて、威圧的な態度でトウカに迫るアナトラ。だが、トウカがその程度で今更ひるむはずはない。


「いいや、帰れるさ。でなきゃ、俺も今ここにはいないはずだからな」


「どういう意味……まさか、あなたも転生経験者?」


「もう随分前の話だけどな。まぁ俺の話は今はどうでもいいだろ」


 よくない。かもめは心の中で叫んだ。だが、今はミサキを連れて帰る事が先決だと考え、ぐっと飲みこんだ。


「ああああもうなんなのよどいつもこいつも!!! 何の権利があって神に歯向かってるのか知らないけど、こっちは大事な出世がかかってるの!!! わかったならその子置いてさっさと帰って! いや、帰れ!!」


 それまで魔法陣から漏れていた緑色の光がアナトラの掌に収束し、彼女の身長よりも長い槍のようなものが現れる。どうやら力づくでもミサキを転生させるつもりのようだ。


「なるほど、最近やたらと転生トラックが増えたのはその出世のため、ってわけか」


「兄さん、アレ大丈夫なの……!?」


「かもめ、ミサキさんの事は頼んだ」


 一方のトウカも拳ひとつで身構える。かもめから見れば、明らかにトウカに勝ち目はなさそうに見えた。だが、トウカの表情には微塵も臆する様子はなく。


「そっちこそ、何の権利があってその子をノゾミさんから奪うつもりだ? 例え神が許しても、この俺、鳩羽トウカはお前を許さない」


 二人が同時にとびかかる。そして――――勝敗は、一瞬で決した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る