第16話 『箱庭の鍵』



 先輩と話したことで気持ちの整理がついたのか、昨夜は憂いもなくぐっすり眠れた。

 そのおかげという訳ではないが、またも夢の中に出てきたカイム君達が、非常に興味深い買い物をしていたのを目撃できた。

 久々に浮き立つような気分で目覚めた俺は、タブレットを引っ張ってきて――うっかり所持金欄が視界に入って遠い目になったが、まあ、こっちの金はあって無いような金だし、FXの方だって……あれだ、こっちは棚上げしとこう。

 そんな一幕もありつつ、目的の商品を検索した。


 いつまで経っても薄汚れたままちっとも綺麗にならないカイム君と妹ちゃんだったが、その原因は粗悪な石鹸だけでなく寝床にもある。

 彼らは相変わらず最初に見つけた洞窟の中で寝起きしていたが、その洞窟というのが岩の隙間に出来たようなものではなく、普通に土の斜面に横穴掘っただけ、みたいな、洞窟というより洞穴といった方が正しいような場所なのだ。

 当然ながら足元も石ではなく土の地面で、いつも冷たく湿っている。夏場でも栄養失調の子供がそんな所で寝てりゃ、そりゃ風邪も引くわ。

 カイム君達もお金に余裕ができてからは布を買って下に敷いたりしていたんだが、まあ、寝返り打ったりしてぐちゃぐちゃになっちゃったり、それでなくとも湿ったような土だからな。普通にしてても泥が染みてくる。

 この寝床問題を解決しなければ、いくら体を洗ったところで綺麗にならないと気付いたカイム君は、マーケットボードからとあるアイテムを購入した。

 細い鉄の輪っかに装飾の施された鍵が1本と、シンプル鍵が1本、計2本の鍵が吊るされたキーリング。それが、妹ちゃんも俺も大興奮した『箱庭の鍵』というアイテムだった。

 このアイテムは鍵に魔力を流すことで所有者登録ができ、鍵の所有者は適当な空間に鍵を挿して捻る動作をすることで、『箱庭』という世界から切り離された空間に転移することができる。

 ちなみに2本の鍵のうちちょっと豪華な方がマスターキーで、こちらの登録者が『箱庭』の所有者となり、他の子鍵を回収したり、その魔力登録を抹消したりと色々な機能を備えているらしい。

 この『箱庭の鍵』、ダンジョンに潜る冒険者がよく使用するダンジョン産のアイテムであると、ここで脳内解説が入ったのだが……。あるのか、ダンジョン……。確定でドラゴン含めヤバいモンスターも山ほど居そうだし、これバグが酷くなったらヤバくない?世界が消去される前に普通に人類滅びねえ?これ先輩に報告案件だな。


 まあ、今はその話は置いておいて。

 冒険者は一般的に4~6人でパーティーを組むため、使用する『箱庭の鍵』もパーティー人数に合わせた本数の鍵がついているものが人気らしい。なので、鍵の本数が4本以上の物は、相場が人数×1000万程度とかなり高価な買い物になる。

 しかし、鍵の数が3本以下の物は主な購入層の冒険者達からはあまり人気もないため、人数×100万円とお買い得価格で売られているようだ。

 ただし、それは最低価格の話だ。

 『箱庭の鍵』は主にダンジョンで見つかるアイテムらしいのだが、入手したばかりの『箱庭』は真っ新な土地が広がっているだけの空間らしい。

 マーケットボードで売られている『箱庭の鍵』には、この真っ新な物の他、歴代の所有者が手を入れ、居心地のいい住居や庭を作り上げた物も存在する。そして、当然ながら後者の方が価格は高価になる。

 鍵2本の2人用の『箱庭の鍵』は真っ新な物であれば200万円程度で売っているが、カイム君達が購入したものはその3倍以上の値が付く、700万円以上するアイテムだった。

 これは熟慮の結果の購入というわけではなく、カイム君の検索の仕方が拙く、たまたま最初に目に付いたものを買っただけだったのだが、結果としてこの買い物は大正解であった。


 カイム君とアミィちゃんが早速手に入れた鍵を使用してみると、一瞬の空白の後、目の前に広がったのは、青い空と緑の大地、そしてその奥に鎮座する山小屋風のコテージであった。

 そのまま牧畜すらできそうな草に覆われた大地は途中で途切れ、その先は濃い霧に包まれたように不自然に見通せなくなっているが、それでも、その限られた空間は学校のグラウンド程度の広さがある。

 2人は歓声を上げて草原で転げ回った後、満を持してコテージに入った。

 恐らく前の所有者はきちんと掃除をしてから売りに出したのだろう。コテージの中はすぐにでも使えるくらいに綺麗で、壁をくり抜いただけの窓から光を取り込み明るく輝くようであった。窓にはガラスも鎧戸もないが、世界から切り離された空間の中では雨も風も関係ない。むしろドアがきちんと付いていることの方が不自然なことだったが、そこは建築者が常識を捨て切れなかった結果だろう。

 部屋の広さは40畳ほどで、仕切りのない1部屋のみの空間であったが、部屋の奥半分に中2階のロフトがあり、寝室として利用していたのだろうそこにはフレームだけのベッドが二つ並んでいた。これ、後でマットレス買わないとだけど、カイム君達マットレスの存在を知ってるんだろうか……?心配だ。

 1階の手前は木製の机と椅子が並ぶリビングスペースになっており、部屋の隅には暖をとるためというよりおそらく調理用だろう薪ストーブと、滾々と水の湧き出る湧水の水瓶という魔道具が備え付けてあった。この『箱庭』が高額になった理由の大半が、この魔道具にあるようだ。まあ、納得の理由である。

 前の所有者は調理だけでなく、洗濯や行水もここで済ませていたのだろう。この一角だけ床や壁がタイル敷きになっており、排水機能も完備していた。

 密閉された空間で流れた水は一体どう処理するのかと思ったが、排水は裏口を出て少し離れた所に建っているトイレまで流れており、そこで纏めて下水を消滅させているらしい。魔道具で。この魔道具も高そうだな、とか、質量保存の法則とか大丈夫なのかとか、色々と突っ込みどころはあったはずなのだが、中世的な世界観に突如現れた自動消滅機能付き水洗トイレというハイテクな存在に気を取られて突っ込み損ねてしまった。まあ、見てるの俺だけだし、カイム君達に声が届くわけでもないので、突っ込む意味もないんだが。

 そんなこんなで、くつろぎスペースというには少々家具が足りないが、今までの生活とは天と地ほども差がある住環境を手に入れた2人が、早速新しいキッチンで調理をし始めたところで、今日の夢は終わった。料理の完成まで見守れなかったのが残念である。是非とも今日で半分炭みたいな料理からは卒業して欲しい。


 で、目が覚めた俺は着替えも朝食も後回しにしてベッドの中でタブレットを手繰り寄せた。

 『箱庭の鍵』、あれは絶対に欲しい。

 先ほどチラッと考えたように、このまま世界のバグが進行すれば、あちらのモンスターがこちらの世界に出現するだなんて可能性も十分考えられる。そんな事態に備えて家族の避難場所は絶対に必要だ。

 それでなくともこの日本は、災害大国などと揶揄される程に天災も多いのだ。不便や危険も多い避難所に行くより、この『箱庭』の方が安全で便利だろう。

 俺の家族は両親と姉夫婦、甥姪にペットの猫が2匹居る、7人と2匹家族だ。猫が鍵を使えるかどうかは分からないが、荷物扱いで持ち込めるかもしれないし、絶対一緒に避難したい。

 母方の祖父母は存命だが、色々あってうちの家族とは折り合いが悪いし、長男夫婦と同居してるので考えなくてもいいだろう。

 あと、できれば正仁も心配だから鍵渡しときたいし、現状で唯一事情を共有している先輩にも渡しておきたい。家族にもそれぞれ一緒に避難したい人も居るかもしれないし……余裕を持って20人用くらいを探してみるか?いや、もう面倒だしいつものアレでいいな。


「『箱庭の鍵』、ソート、価格の高い順」


 安心と信頼の高い順検索でトップに躍り出た商品に、俺は思わず2度見した。いや、2度見じゃ足りずもう1回見た。背景に宇宙を背負った猫ってこういう気持ちか、なんだか以前にもこんなことあったな。あれか、ドラゴン肉の時か。しかし、今回はドラゴン肉の比じゃないパンチの効き方だ。


「117おくえん……」


 実に、俺のタブレット貯蓄の約8割を吹き飛ばせる金額である。

 うっそでしょ。その次に高いのでも10億ちょいだぞ。

 よっぽど大人数用なのかと思って詳細を見てみるが、鍵の数は30個。30人用である。

 人数×1000万円なので、通常なら3億円が適正価格であるはずなので、残りの114億はオプションにかかる金額のはずだ。


「よっぽど凄いもん持ち込んでんな、これ」


 詳細を見ても鍵の数以外情報がないため、これを購入するのはかなりの冒険になる。

 情報があまりにも少ないし、価格の高さも相まって、普通の神経してたらまずこれは買わないだろう。

 しかし、俺は悩んだ。

 ここ数日マーケットボードを眺めていて気付いたのだが、ここに出品される商品はかなり偏っている。

 アクセサリー類だけ見てみても、ただの装飾品を除いたステータスに影響するようなアクセサリーは、『豪運の○○』といった基本のステータスアップ系7種以外にも幾つか見かけたことがある。しかし数が少ない。

 基本7種系が常時数百点は出品されているのに対し、その他のアクセサリーは両手にも満たない数しか出品されていない上、性能も微妙な物が多かった。

 恐らく基本の7種より、その他のアクセサリーの方が貴重なのだ。そしてそういった貴重な品で特に性能の良いものは、マーケットボードで取引せず、店舗等で直接取り引きしたりオークションに出品したりするのだろう。

 考えてみれば当たり前だが、マーケットボードは自動で価格が設定され、自分で商品に値段をつけることができない。自動価格設定は様々な情報を加味して適正価格が付けられているが、人や事情によってはその倍出しても買いたいという商品もあるだろう。

 カイム君の『箱庭』にあった水瓶やトイレ、ああいったアイテムはまずマーケットボードでは見かけないが、あれらが有ると無いとでは『箱庭』の便利さは段違いだ。できれば俺もああいった機能がセットになっている商品が欲しい。

 あと、この『箱庭の鍵』がいつから出品されていた商品かも気になる。

 先ほど、普通の神経をしていればまず買わないと考えたが、同じことはドラゴン肉にも言えた。

 あれも実際のアイテムの性能に対し説明が少なすぎたせいで、数百年も買い手が付かなかったために価格が暴落し、超お買い得商品になっていたのだ。

 この『箱庭の鍵』にもそれと同じようなニオイを感じる。ドラゴン肉をお買い得価格で手に入れた俺の勘が言っている、これは買いだと。


「……まあ、あんまり使い道もない金だしな」


 不安を紛らわすため貯められるだけ貯めていたが、ステータスアップの実を購入する以外使うあてもなかった。ここが使い時ということだろう。

 流石に緊張して、商品詳細を何度も確認しながら購入ボタンを押す。

 指がタブレットに触れた瞬間、ガチャンと、金額に対しあまりも呆気なく商品が出現した。

 手の中に現れたそれを持ち上げてみるが、鍵が30個もついているとかなり重い。それと、カイム君が購入した鍵と比べて装飾が相当豪華になっている。マスターキーに至っては宝石まで付いてるんだけど。

 やべえもん買っちまったかもしれないと思いつつ、それでも胸は沸き立っていた。

 俺は魔法が使えるならゲームの攻撃魔法なんかよりもハリ〇タ派、一番心躍ったのはファン〇ビの魔法のトランクだった男なのだ。

 早速試してみようとワクワクした気持ちでマスターキーを手に取って――


「……魔力流すって、どうすりゃいいわけ?」


 今更なことに気付き、俺は頭を抱えた。


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