第15話 『結局4限は遅刻した』



 俺が自分の気持ちに折り合いをつけて、なんとかもそもそと昼食のサンドイッチを食べ終えても、先輩の興奮は未だ治まっていなかった。

 現在は日本語のステータスと異世界言語のステータスを紙に書き写し、どの文字列がどの日本語に対応するのかを調べて翻訳を試みているらしい。

 先輩の手元を眺めていると紙をこちらに寄せてくれたので、ちょっと失礼して見せてもらったが、アラビア数字なら一文字で表せる数字が、異世界言語だと複数の記号で構成されているようで、なかなか翻訳の難易度が高そうだ。というか先輩、知識と精神めちゃくちゃ高いな。

 書き写された内容を見る限り、先輩に見えているのはステータスボードのみのようで、マーケットボードに関する内容は記されていなかった。これ、俺から情報提供するべきかな……。いや、今話すと興奮して手が付けられなくなりそうだな。4限のテストを受けられなくなるのは避けたいし、話すにしてもちょっと時間を置いてからにしよ。

 食後のコーヒーを2人分煎れて戻ってくると、ようやく落ち着いたらしい先輩が礼を言いながらマグカップを受け取った。


「なんとも奇妙なものだな。宙に浮かんでいる原理が全くわからんぞ、この……ディスプレイ?」

「俺はタブレットって呼んでますけどね」

「なるほど、そちらの方がしっくりくる。私にだけ見えているのなら幻覚を疑うところだが、君にも推定同じものが見えているというのなら、私の頭がイカレたわけでもなさそうだな」


 そこからは怒涛の考察が始まったが、どうあっても「結論、意味わからん」にしかならないため、適当に聞き流しながらコーヒーを啜っていたのだが……。

 ふと、普段は身振り手振りの大きな先輩が、今日は随分と控えめというか、しきりに自分の腕を擦っているのに気付いた。

 この研究棟は冷房の効きが悪く、半袖の俺でもじんわり汗が滲んでいるくらいなので、長袖のワイシャツにカーディガンまで羽織っている先輩が寒さを感じているということは無いと思う。

 理由に見当がついた俺はここで指摘すべきかどうか少し迷ったが、このまま放置して1人で居る時に自覚してしまう方がキツイだろうと、結局口を開いた。


「――ということは実は宇宙人にアブダクトされていた可能性も否定できない!」

「センパイ」

「ん?」


 気づいたら思考が宇宙まで飛び出していた先輩に声をかけ、地上まで引き戻す。


「怖いっすか?」


 きょとんと、完全に虚を突かれたといった様子で先輩は動きを止め、何か言おうとして開いた口は結局音を発することのないまま引き結ばれた。

 緩々と伏せられた視線が、無意識に自分を抱き込むように二の腕を擦っていた両手に行きつき、数度瞬きを繰り返す。

 時間にして数秒ほど、その姿勢のまま固まっていた先輩は、なるほど、と一つ頷いた。


「なるほど、確かにこれは恐ろしいな。完全に無意識だった。無意識に、考えないようにしていたのか……」

「センパイ、さっきからこの現象を科学的に実現するならとか、それが不可能ならすわ宇宙人かとか、色々考察してましたけど……」

「ああ、完全にこの宇宙の、いや、この世界のというべきか。その内側の理でしか考えていなかった」


 これも無自覚だったな、と静かに呟く。


「自覚してしまえば答えは明白だ。これは世界の外側の理以外では考えられん。本能がそう理解してしまっている」


 そう、ステータスボードが出現した瞬間、俺が感じた恐怖や納得も同様のものだった。

 可能性としては、先輩が言及したように、オーバーテクノロジーを持った地球外生命体や、超常の力を持った人間による仕業という説も考えられるだろう。

 しかし、一度この恐怖心を自覚してしまえば、それらの可能性は頭の中から消え去る。

 理屈ではない、本能で理解してしまうのだ。これが、世界の外側から、この世界をどうとでも操れる存在の手によるものだと。

 それと同時に感じるのは、このステータスボードやマーケットボードというものが、本来こちらの世界にあってはならないものであるという、強烈な違和感と不安感。

 規則正しく回っていた歯車に不純物が挟まり軋み始めたような、整然と並んでいた文字列に文字化けが生じ、段々と増えていくような。

 凪いだ世界に投じられた石が波紋を大きくするどころか、沈殿していた汚泥を巻き上げ、世界そのものを泥水に変えようとしている。

 しかし、この恐怖の本質は、世界が歪んでいくこと、それそのものに対するものではない。


「このステータスというやつは、この世界が作り物であること、それを作った存在が居ることを知らしめてしまった」

「おまけに、今この世界は確実にバグってる」

「うむ」

「あー……、俺このタブレットが出現してから、夢を見るようになったんすよ。異世界の」

「異世界?」


 少し悩んだが、やっぱりこの情報も今出しておくことにした。


「俺の想像力じゃ作り出せないようなリアルな異世界の夢なんすよね。最初の頃は見ない日もありましたけど、ここ数日は毎晩見てます」

「なるほど、君はこのタブレットが、その異世界由来のものであると見ているのか?」

「そーなんじゃねえかなって思ってますけど。……いや、確信してます」

「ほぉ?その夢の内容に、君が確信に至るような何かがあったのか」


 俺が自分の持つマーケットボードのことと、それが夢で見た異世界では一般に普及している『神の奇跡』らしいことを説明すると、案の定先輩は目を輝かせて食いついてきたが、時計を示して今話すには時間が足りないと納得させる。

 今話したいのはマーケットボードのことではなく、異世界のシステムがこちらの世界に混ざってしまったのではないかという可能性の方なのだ。


「例えるならアレだな。同じパソコンに異世界ファンタジーRPGと学園恋愛SLGを入れておいたら、いつの間にか学園SLGの方にRPGのシステムが流入するバグが起きたような感じなのだろうな」

「あ~、そんな感じ……?いや、微妙に分かりづらくないっすか」

「何故だ、これ以上なく分かりやすいだろう。学力やら魅力やらを上げるだけだったステータス画面が、気付けば戦闘能力メインに切り替わっていたんだ」


 生憎こちらはパソコンゲームに馴染みがないのだ。だが、まあ、言いたいことは分かる。


「問題は、そのパソコンの持ち主が、バグったゲームをどう処理するつもりかってことっすよね」

「ああ。この、今感じている恐怖の本質はそこだな」


 先輩の言う通り。バグった世界、その世界を創造した大いなる何某の存在、そしてその何某かにこの世界の命運が握られていること。

 それが、ステータスボードを認識した瞬間、理解し確信してしまった恐怖の全てだ。


「バグだけ修正して元通りにってのが最善なんすけど」

「私ならそんな七面倒臭いことはせんな。再インストールか、丸ごとゴミ箱行きか……」

「ゴミ箱行きも勘弁っすけど、再インストールしてビックバンからやり直しってなっても笑えないっすよね」


 そう言ったきり、お互いに次の言葉が出てこず、部屋に沈黙が落ちた。

 正直、俺はゴミ箱行になる可能性が高いと思っているし、先輩も同様なのだろう。

 だからこその恐怖。これも理屈ではない、本能で感じている危機感だ。

 今この瞬間にでも世界が終わりを迎え、最初から何もなかったみたいに、死体も存在も何も残せず消え去ってしまってもおかしくない。そんな現実に、恐怖に、人間は真正面から立ち向かえない。

 だって抵抗などしようもないのだ。先輩の先ほどの例えで言うなら、ゲームの登場人物がプレイヤーに対し、次元を超えて危害を加えられないのと同じこと。ゲームシステムに縛られた存在に、システムを超えた動きなどできないのだ。

 本来なら。


「このまま世界のバグが深刻になっていけば、あるいは切れるカードが増えるってこともあるかもしれないっすね」

「そうだな。それが現状、私たちが持てる唯一の希望か」


 気持ちを切り替えるように、先輩がすっかり冷め切ったコーヒーをぐいっとあおった。


「つまり、人類の今の手札ではどうにもならんということでもある。ここでぐだぐだ悩むだけ無駄だろう」

「ま、それもそっすね」


 俺も僅かに残っていたコーヒーを飲み干し、ため息を吐く。

 状況は絶望的だし、現状それに対して取れる手段もない。

 しかし、不思議と何とかなる、何かできる気もしているのだ。

 状況打開の切っ掛けになるような何かの鍵を、気付かないうちに手に入れていたような、そんな気が。


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