第14話 『センパイ』


 部屋に一人でいるとどうにもドツボに嵌って鬱々としてしまうため、昼食ついでに早めに大学に向かう。

 ちょっと人の多い賑やかなところに居たくて学食に向かったが、どうにも気分が上がらず、結局生協でサンドイッチを仕入れていつも通りゼミ室に行くことにした。

 そろそろ昼休みも終わり3限が始まる頃だ。皆出はらって無人であることを予測して開けたドアの先には、こちらに気付かず一心不乱に手元の書類を読みふける華奢な背中があった。

 珍しい人を見かけたものだと、少々興をひかれて立ち止まってその背中を見つめていると、ふいに、彼女は何かに気付いたかのように勢いよく顔を上げ、


「うぴょあ!」


 素っ頓狂な声を上げながら飛び上がった。

 垂直に浮かび上がるように跳ねて机の裏に膝を思いっきり打ち付け、そのまま椅子ごと後ろにひっくり返りそうになっているのを見て、慌てて駆け寄って背中を支える。敏捷上がっててよかった。


「何やってんすか、センパイ」

「お、おぉ、君か!スマン、助かった」


 あとセンパイはやめろといつも言っているだろう、と眉をしかめながら膝をさする彼女に、癖なんで、と返せば別の意味で眉を顰めてため息を吐かれる。

 彼女、五津木塔子は俺の中学時代の先輩で、いつの間にか同級生として大学に通い同じゼミに所属することになっていたゼミ仲間だ。

 と言っても、彼女の姿をこのゼミ室で見かける機会は少ない。

 好奇心と知識欲溢れるこの先輩は、空き時間があれば別の学科の講義に潜り込んだり、よそのゼミのフィールドワークに何食わぬ顔で参加していたりと、やりたい放題大学生活を満喫しているのだ。あまりに堂々と我が物顔で参加するため、今まで一度も突っ込みをいれられたこともないんだとか。

 そんなアグレッシブな人が、なんでインドア派のうちのゼミに所属したのか聞いたことがあるが、なんでも模擬裁判で「異議あり!」をやってみたかったらしい。俺も学園祭の模擬裁判は見に行ったことがあるが、そんなセリフ一回も出てこなかっただろ。あとうち刑法ゼミじゃねーから。税法ゼミだから。

 まあ、そんな面白い人なので、中学時代一度だけ委員会が被っただけの俺の記憶にも、その存在感はきっちり焼き付いていた。

 大学の入学式で同級生として再会した時は驚いたが、どうも高校でもこのフリーダムさと好奇心の旺盛さを発揮

し、興味の赴くままに授業とは関係のない勉強ばかりに没頭した結果、気付いたら留年していたらしい。

 そんなことを考えながら先輩の背中を押し、無事椅子を安定させたところで、当の本人がせっかく着地させた椅子を蹴倒しながら、興奮気味に詰めよってきた。


「そんなことより篠崎君!君、これ、これを見てくれ!」

「ちょ、近い近い。まって、ちょ、顔を寄せるな!」


 背伸びまでしてうっかり接触しかねないレベルで近づいてきた顔を鷲掴んで、力を籠めすぎないよう慎重に引きはがす。

 この人、中身は変人だが、それを補って余りある程に顔が良いのだ。化粧っ気も洒落っ気もなく、長い黒髪を適当にうなじで纏めただけの外見を一切気にしていない今の姿でも、恐ろしく人目を引くからな。もうちょっと自覚を持って欲しい。

 引きはがされた先輩は、何をするんだと言った顔で(こっちの台詞である)不満げにしていたが、気を取り直して、改めて何もない虚空を指し示した。


「これが見えるか?」


 その動作で、もしかして、と流石の俺もピンときた。なるほど、俺の想像通りなら、先輩がここまで興奮するのも納得である。


「もしかして、緑色の、半透明のディスプレイみたいの浮いてます?」

「そうだ!君も見え……見えてないな?」


 先輩も俺の様子を見て察したらしい。俺には先輩の指さす先にあるものは見えない。俺に見えるのは自分のタブレットだけだ。

 夢の中ではカイム君のマーケットボードは一緒に見れたので、もしかしたらタブレットを出せる者同士ならお互いのタブレットも視認できるのかと思っていたが、どうやらあれは夢限定のサービスらしい。


「どうも、見えるのは自分のディスプレイだけみたいっすね」

「なるほどな。ということは、君もこれ持ってるな?」

「まあ、先週突然見えるようになって……。あ、それ口頭指示で日本語表記にできますよ」

「なんと!」


 俺の言葉に大興奮で「日本語!」「さっきの!」「日本語!」を連発し、その場でくるくる回りながらキラキラした目でタブレットを観察している先輩を横目に見ながら、俺は手近な椅子にどかりと、崩れ落ちるように腰かけた。

 普段は視界に入らないようにしているが、ちょっと視線をずらせば俺のタブレットは相変わらず傍らに浮いている。未だくるくる回っている先輩の、その視線の先にも、これと同じものがあるらしい。


「あー、くそ……」


 この異常事態に遭遇しているのは自分一人ではない。

 その事実に、俺は腰が抜けるほどの安堵を覚えていた。


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