第13話 『自分の心と向き合ってみる』



 試験期間に入って1日目の月曜日。

 大学のテストは高校までと違って通常の講義の時間割通りに行われるので、余裕のあるスケジュールになっている。教科によってはレポートのみで評価をつけたりするので、テスト自体が行われない教科があったりもするのだが、月曜の講義は既に提出済みのレポートのみで成績をつける科目ばかり集中していたため、本日の予定は午後の4限目のテストのみとなった。

 降って湧いた午前休に本来なら2度寝でも決め込んでいたいところだったが、俺は現在、神妙な顔で正座しながら、目の前のテーブルに置いたスマホと、その上に浮かせたタブレットを眺めていた。


 スマホのFXアプリに表示されている現在の資金、約9億円。

 タブレットに表示されている現在の所持金、約160億円。


 待ってくれ。ちょっと言い訳させて欲しい。俺だってこんなつもりなかったんだ。

 先週は流石に少しは真面目にテスト対策しなくてはと、参考書を読み返したり休んだ日のノートを写させてもらったりと勉強に励んでいた。その合間にスマホを弄っていたんだが、最初はちゃんと取引金額を確認していたものの、どんだけ適当にやろうと決して損失を出さずに俺の資産を守ってくれる豪運パイセンにすっかり心を許してしまった俺は、後半になるにつれほぼ惰性で画面も碌に見ずにポチポチしていた……結果がこの数字。

 レバレッジというシステムは、元手を証拠金にしてそのX倍分の資金を運用できる仕組みで、俺は当たり前のように当選していた宝くじの当選金100万ちょいのうち、50万を元手に20倍で運用を開始したので、つまり初っ端から1000万円分の資産を運用していたことになる。そこで、例えば1%、10万円の利益を出したとして、普通の運用では1010万円になるだけなのだが、レバレッジの場合10万は証拠金の方に加算されるため、運用資金は1200万円になるのだ。まあ損失が出るとそちらも証拠金から減算されるため、かなりハイリスク・ハイリターンな投資法なのだが。

 取引履歴を改めて確認すれば、豪運効果のおかげで損失も出さずにひたすら利益だけを積み上げて、倍々ゲームの運用を行っていたらしいここ一週間の記録が出てきた。

 あの、ホント、こんな金額になるまでやるつもりはなかったんです……。


「……誰に言い訳してんの、俺」


 言い訳ついでにタブレットの方も説明させてもらうと、こちらも稼ごうと思ってこんな金額になった訳ではなく、なんと言うかちょっとした善意のつもりだった。

 最初に砂糖を売却した時、大量にあった砂糖は出品した瞬間、間髪入れずに買われていった。それが気になってマーケットボードを一通り調べてみたのだが、出品中の商品の中に、砂糖は元よりハチミツ等の甘味料やお菓子類も一つもなかった。それを見て、向こうってよっぽど砂糖足りてないんだろうなぁ、もしかして甘いものなんて食ったこともない人ばっかなんじゃね?なんて思ってしまったのだ。

 もしかしたら俺は、甘いという概念すら知らなかった人達に、もう二度と手に入らないだろう砂糖の甘さを教えるという罪深いことをしてしまったんじゃ……。

 一度そんなこと考えちゃうとね、もうね、追加で売らないという選択肢なんてないじゃん……。

 FXで利益が出始めて資金に余裕があったのもあって、それ以来スーパーに行く度、店や他の客に迷惑にならない程度に上白糖からグラニュー糖、ブラウンシュガーの類まで大量買いしてタブレットで出品しまくった。それでも足りずにネットで問屋を探し、通販で1000kg分以上買ったからな……。トラック一杯に積まれて運ばれて来たから。

 流石にその量をエレベーターもないアパートの3階まで運んでもらうのは申し訳ないので、というか部屋の床が抜けかねないので。全部駐車場に降ろしてもらってから、人目がないか確認しつつ、車の荷台に積み込むフリしてマーケットボードに出品した。

 あ゛ぁ~、エレベーターのあるとこ引っ越してぇな……。いや、それよか、もうちょっとセキュリティしっかりした部屋に住まないとマズいんじゃね?

 あまりに現実感のない事態だったためあんまり自覚なかったけど、俺って今かなり金持ちなんだよな。ヤバい、急に怖くなってきた。夏休み入ったら実家帰る予定だから親にも相談してみよう。

 というか、このままアプリに大金突っ込んどくのも怖すぎるな。ネットバンクじゃない普通の銀行に移しとこう。アプリには1億くらい残しとけばいいか?

 これ確実に確定申告いるよな……。ゼミ担に会計事務所紹介してもらおっかなって思ってたけど、自分で探した方がいいな。ゼミ担悪い人じゃないけど、大金は簡単に人を変えるからな、あんまり間に人を挟まない方がいい。



 他に何か言い訳しとかなきゃいけないことってあったっけか……。あ、あとアレだ、石鹸やら何やら色々売ったな。

 あれ以来、夢で度々異世界の情景っぽいものを見ることが多くなった。

 見たこともない中世外国風の街の日常風景なんかを見ることもあったが、大半は最初に見たカイム君と妹のアミィちゃんの生活風景だった。

 お金を得てギリギリの生活から脱した彼らは、まずは栄養を取って身なりを整えようと、食料や服なんかをマーケットボードで購入しだした。しかし、綺麗な服を買ったはいいものの、そのままではとても着れない。それ以前の問題として、体が酷く汚かったのだ。

 薄汚れてるってもんじゃねーんだよな、頭から泥被ったってこうはならんだろってレベルで。肌に汚れが染み込んでしまっている。初めて地表に出た地底人ってこんなんかなって思うような、ちょっと人間かどうかも疑わしくなるくらいに汚れていた。

 よって、まずは体の汚れを落とそうと水辺に向かった彼らは、マーケットボードでやたらとデカくて赤黒い、変種のエンドウ豆みたいな物を購入すると、その実を取り出し水で濡らしてこねこねし、それで体を洗いだしたのだ。何あれ……。ヘチマスポンジみたいな?

 俺が唖然としているとすかさず脳内解説が入り、あれはデボネの実という濡らして揉むと泡の立つぬめぬめした果汁?のようなものが出てくる、あちらの世界では石鹸代わりとして一般的に流通している果実だと知った。

 しっかし、全然綺麗になってねーんだよな……。元々が汚すぎたのもあるかもしれないが、そもそもこちらの石鹸と比べて洗浄能力が段違いで低いのだ。毎日あれで頭の天辺からつま先まで洗っているのに、若干?綺麗に?なっ、た……???という程度しか変わっていない。

 そんな彼らを見ていたら、俺のやることは一つだよな。ちゃんと環境に優しそうな気がする牛乳石鹸を選んだのは褒めてほしい。まぁ、時間差で大量に売ったのにカイム君たちの手には一つも渡らなかったけど。

 あとさ、彼ら最近ちゃんと料理するようになって。

 最初とか酷かったからな。あのタロ芋みたいな、ポル芋?あれを生のまま齧ってたから。

 今では焚火の上に鉄板みたいな物を乗せて、ちゃんと加熱調理して食べるようになったんだよ。すげー進歩じゃね?

 でもさ、でもさ……調味料がな!塩しかない!あと鉄板焦げ付きすぎ!油しいてって言いたいけど油売ってねーし!それなら串焼きでもいーじゃん!!もー、ホント俺がその場に行って2人共丸洗いして美味しいものお腹一杯食べさせてー!!!

 という見てるだけしかできないこのもどかしい気持ちが暴走して、目に入った油やらスパイスやら片っ端からマーケットボードに突っ込んだ結果が、その、このザマです……。


「……だから、誰に言い訳してんだ、俺」


 ……いや、止そう。自分に言い訳するのは、もう止めよう。

 いつの間にか頭を抱えてテーブルに突っ伏していた俺は、そろそろと顔を上げ、実は最初から目の前にあったそれにようやく目を向けた。

 色とりどりの種の入った、ジャムの空きビン。ここ1週間、見つけるたびにコツコツ買い足していたステータスアップの実だ。


 初めてステータスボードが現れたあの時、俺は今まで感じたことのないような根源的な恐怖を覚えた。当たり前のように存在していた地面がある日突然消えて無くなり、底なしの暗闇の中へと永遠に落ち続けるような、そんな恐ろしさを。

 気づかないフリをして目をそらし続けていたが、それ以来その恐怖は消えることなく続いている。

 どんな金持ちも、権力者も、武力を持った存在も、何もできない。どうすることもできない終わりが、じわじわと迫ってきている。そんな確信と無力感が、あの日から俺の中に根付いていた。

 罪悪感で砂糖を売ったのも、カイム君達を心配してあれこれしたのも嘘ではないが、こんな大金に膨れ上がるまでエスカレートしてしまったのは、焦燥感が暴走した結果だと認めざるを得ない。

 慣らし慣らし食べようと思っていたドラゴン肉も、チルドにあった分は全て食べてしまったし、一つだけでもバカ高いステータスアップの種をこんなになるまで集めた。数万程度の儲けならラッキーと喜べても、億を超える金など持っていても喜びよりも恐怖の方が勝る自分が、増えていく桁数から目を逸らしながら稼げるだけ稼いだ。

 それでも。

 何をやっても、どうにもならない。こんなものに何の意味もないと気付いてしまう。

 世界の内側でどれだけ足掻いても何の意味もない。


 俺の恐怖の源は、世界の外側に存在するんだから。


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