第9話 『Ex.異世界の夢1』


今回8話と9話を同時更新しています。

最新話としてこちらに直接飛んできた方は8からどうぞ。

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 辺境の村では、ここ数年毎年のように不作が続いていたが、今年の夏の日照りは特に酷く、凶作と言っていい有様であった。

 夏に入ってから既に20日は雨が降っておらず、実る前に枯れた作物が、乾いてひび割れた地面に汚れの様に張り付いている。

 そんな畑を横目に遠くの小川へ向かったカイムは、小指程の小魚を家族の分だけ捕まえて、なんとか今日を食いつないだ。

 こんな状況がいつまで続くのだろう。

 不安とひもじさを抱えて眠りについた翌朝、カイムは幼い妹と共に、どことも知れない森の中で目覚めた。

 口減らしのため捨てられたのだ。



 それからの日々は、文字通り草を食み、泥水を啜るような生活であった。

 幸いなのは、近隣の食糧不足により草食、雑食問わず、森の危険な獣が軒並み狩り尽くされていたことだ。

 おかげで元は熊か何かの巣穴だったのだろう洞穴を住処にすることができた。

 カイムにはもう一つの幸運があった。

 それは、村では僅かな人しか使うことのできないマーケットボードという異能を持っていたことだ。

 神の奇跡の一つと言われるその能力は、町に行けば使える人はそれなりにいるらしいが、村ではカイムの他は村長とその息子しか使えない。

 カイムは一度村長が町へ行商に行くのに着いて行ったことがあり、そこで何をしたわけでもないが、村に帰って来た時にはこの能力が使えるようになっていた。

 この二つの奇跡が、辛うじてカイムと妹の命を繋いでいる。



 カイムは地面に落ちている枯れ草や小枝を集めては、マーケットボードに出品していた。

 一抱え2セルムほどにしかならないが、焚き付けや畑の肥料として購入する者もいるのだ。

 カイムの村がある地域では一帯で不作が続いているが、遠方では豊作の地域も多いのか、マーケットボードでは例年通りの価格で作物が売られている。僅かな収入をかき集めて、なんとか食糧を購入しているカイムには有難いことだ。

 辺り一帯の地面から枯れ草が消え、土が剥きだしになったころ、ようやく50セルムが貯まった。50セルムあればポル芋が2つ買える。

 ポル芋は子供の握り拳ほどの小さな芋で、この辺りでは主食としてよく食べられている。50セルムで買えるのは種芋にしかならないような最低品質の物だけだったが、今のカイムに買えるものと言ったらこれが精一杯であった。

 萎びた小さな芋を両手で大事に抱え、住処としている洞穴に帰り着いたカイムを待っていたのは、湿った土の上に倒れ伏した小さな妹の姿であった。


「アミィ!」


 あれほど大事に持っていた芋が零れ落ちるのにも構わず駆け寄ると、カイムの妹は赤らんだ顔で苦し気にか細い呼吸を繰り返していた。


「アミィ、アミィ!しっかりしろ!」


 子供らしい柔らかさを失い骨と皮だけになった手を握りしめながら声をかけるが、妹の反応はない。

 ただの風邪なのか、もっと重篤な病なのかも分からないが、既に弱り切った体が熱で更に衰弱すれば、幼い命など一晩で消し飛ぶことは明らかだった。

 カイムは涙を零しながらマーケットボードを操り熱冷ましを探したが、熱冷ましの薬は安いものでも1000セルムはする。都会なら子供の小遣いでも買えるようなその金額は、毎日50セルム稼ぐのでやっとなカイムにとっては大金と言っていい金額だ。しかし諦めるわけにはいかない。夜になる前になんとか売れるものをかき集めなければ。

 急いで立ち上がり洞窟を出ようとしたカイムは、そこでマーケットボードの表示が何かおかしいことに気付いた。

 商品欄ではない。所持金を表示する箇所だ。

 ポル芋を購入したことで0になっていたそこには、見たこともない数字が表示されていた。

 故障だろうか。カイムは焦った。

 マーケットボードは熱を出して倒れている妹は元より、自分にとっても生命線なのだ。これが壊れてしまえば薬も食糧も手に入れる術が無くなってしまう。

 しかし、おかしくなっているのは所持金欄だけだ。


(もしかして……)


 故障したが故の誤表示だったとしても、所持金欄には確かに数字が表示されている。

 マーケットボードがおかしくなっていても、いや、おかしくなっているが故に、もしかしたらこれで薬を買うことができるのではないか。

 カイムは震える指で病に効く薬を探した。

 元々購入しようとしていた熱冷ましではない。どんな重い病でも立ちどころに快癒するという途轍もなく高価な薬だ。

 見つけた薬の価格はカイムの計算できる桁を超えていて、実際どれほど高価なものなのかは分からない。しかし、所持金欄にある数字より桁が1つ低いため、この所持金が利用できるならば問題なく買えるはずだ。

 購入ボタンを押せば、薬は呆気なくカイムの手に収まった。

 土や草の汁で元の肌の色が分からないほど汚れた手には不釣り合いな、豪奢な装飾の施された美しいガラス瓶。

 すぐさま妹に薬を飲ませれば、効果は瞬く間に表れた。

 熱が下がって頬の赤みはひき、呼吸は穏やかに落ち着いている。張りを取り戻した瞼が微かに震えて、意識のなかった妹が目を開いた。


「あ、あぁ……アミィ!よかった……よかったッ!」






 状況が理解できず呆然としている妹はもとより、彼女をきつく抱きしめて涙を流すカイムも知らぬことだが、カイムのマーケットボードの異変は異変ではなく、正真正銘彼の所持金が増えていただけの話であった。

 カイムの所持金が増えたタイミングは、彼の知らぬ異世界で、ひとりの青年がドラゴン肉を購入したタイミングと一致していた。つまりドラゴン肉の売却金額がカイムのマーケットボードに入ってきていたのだ。


 無論、ただの子供であったカイムがドラゴンの肉など出品できるわけがない。

 ならば何故このような事態になったのか。その答えはマーケットボードの相続に関する仕様にあった。

 マーケットボードに所持金や出品商品を残したまま死亡すると、その所持金や商品はマーケットボードを持つ2親等以内の親族に均等分割される。商品はそのままでは割ることができないため、売却完了の時点で売上金が均等割りされることになる、のだが。この商品が売却されて金に変わる前の状態……つまり出品中の状態では、相続人のマーケットボードには何の表示もされず、出品されている商品があるのかどうかすら分からない仕様となっている。そして、マーケットボードを持つ2親等以内の親族が居なかった場合、相続の対象は3親等、4親等と広がっていき、血縁が途絶えた場合はマーケットボードを持つ全ての存在に均等に分配されることになる。



 今ではほとんど知る者のない話だが、かつてドラゴン討伐という偉業を成し遂げた冒険者が居た。

 生態系の頂点に君臨する魔物の王、ドラゴン。

 当時討伐されたのは、ドラゴンの中では比較的倒しやすいと言われるフォレストドラゴンの幼体であったが、この討伐以降、現在に至るまで300年に亘ってドラゴンの討伐記録は無いと言えば、それがどれ程の偉業であるかは分かるだろう。

 ドラゴンは莫大な魔力を持った生き物であり、普通の魔物であれば一部の部位のみが残るドロップアイテムも、ドラゴンに於いては死体全てが残ることで有名だ。

 その肉体は血の一滴、骨の芯に至るまで魔力の塊であり、様々な薬や魔道具、武器防具の素材として利用できる。

 討伐されたドラゴンも余すところなく解体され、その素材は目玉の飛び出るような高値でマーケットボードに載せられた。

 どれ程高価でも、これを逃せば二度と手に入らない素材だ。

 どの品にも瞬く間に買い手がつき、冒険者は巨万の富と名声を得たが、ひとつだけ売れ残った物があった。

 それこそが、問題のドラゴン肉である。


 この世界では魔物の肉は食糧と認識されており、強く、内包する魔力の多い魔物の肉ほど美味であるのは子供でも知っている一般常識だ。強い魔物の肉ほど美味しい――そう、美味しいだけ。

 無論、ただ美味しいだけの肉でも、その味を求め買いたいという人間は一定数存在する。しかし、そんな彼らもマーケットボードに表示された金額を見て即座に手を引いた。

 マーケットボードがドラゴンの肉に付けた価格は、日本円にして約2000億円。

 とてもではないが〝ただ美味しいだけの肉″に出せる金額ではなかった。

 魔物の脅威と常に隣り合わせのこの世界では、どれほど財力のある人間であっても、贅沢品に金を使うより武装や兵力の増強に金を使うことを好む。王侯貴族であっても過度な贅沢は批判や蔑みの対象となるのだ。


 ここでもうひとつ、マーケットボードの仕様について補足を入れる。

 マーケットボードは商品の市場価値に加え、その商品の持つ価値を詳細に鑑定し、その品質、内包する能力を全て加味した金額を自動で算出し、出品価格として掲示している。しかしマーケットボードに記載される商品の説明には、〝出品者の持つ商品の知識″の中から、更に正確な情報のみしか記載されないという欠陥がある。

 出品者の知識が間違っていたり、偽物を本物と信じて出品したりした場合でも、出品欄には正確な情報のみが記載される利点はあるが、出品者の知り得ぬ情報については一切記載されないのだ。

 ドラゴンを討伐した冒険者が一切れでもその肉を食べていれば、その効果によりドラゴン肉の持つ真価が理解できただろう。そうして出品者である冒険者がドラゴン肉の能力を理解していれば、その知識はマーケットボードに反映され、2000億円という価格の妥当性は万民に受け入れられていたはずだ。

 しかし、売れば2000億という肉を、自分で食べてみようと思うような奇特な人間はそうそういない。むろん冒険者も味見すらせず肉を売りに出してしまったため、ドラゴン肉の真価は異世界において誰にも知られることはなかった。


 このような要因で売れ残ってしまったドラゴン肉であったが、既に巨万の富を得ていた冒険者はそれに固執することもなく、むしろマーケットボードに放置したままの商品のことなどすっかり忘れてその生を終え、相続対象である子孫に本人のあずかり知らぬところで引き継がれていった。

 そして300年の間売れることもなくジリジリと値段を下げ続け、ついに3億円という価格となって、冒険者の遠い遠い子孫であるカイムのマーケットボードで密かに購入される時を待っていたのだ。

 この日この時、異世界において〝ただ美味しいだけの肉″に3億という大金を出す奇特な人間が存在したことが、カイムにとっての一番の奇跡であったかもしれない。



 この後カイムは自分のマーケットボードの売却履歴を見て、この所持金欄の金額が真実自分の財産であることに気付いて仰天することになる。

 奇跡の様に舞い込んだ金で窮地を脱した二人は、十分に栄養を取って体力を回復させ、遠くの町に旅に出ることにした。

 この兄妹は後に凄腕の冒険者として名を馳せることとなるのだが、その話はまた、別の形で語られることになる。




Ex.異世界の夢1 『ドラゴン肉売ったら億万長者になったので、妹と二人で幸せに生きる』

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