第4話 『初めての買い物』



 勢いで飛び出してきてしまったせいでうっかり手ぶらだったことに気付き、人気のないところでこっそりタブレットから1万円引き出した俺は、会計中、ふと、自分の出した紙幣が気になった。

 あの金、どっから出てきた金だ。

 そう思った瞬間、ザっと血の気が引く思いがした。

 恙なく会計を済ませ、ぐるぐると思考を巡らせながら帰路に着く。

 タブレットから何故か引き出せる日本の貨幣。

 既に半ば確信しているが、このタブレットは異世界由来の物だろう。

 俺が砂糖を売った相手、あるいはドラゴン肉を出品している相手は、恐らく異世界に存在する人間で、この世界の物と異なる貨幣を使っている可能性が高い。

 それが、何故か俺は、この異世界産タブレットを使って日本円で取引し、日本の貨幣を引き出している。

 この日本円は、一体どこから現れた金なのか。

 考え込んでいるうちにアパートに帰り着いていた。急いで部屋に入ると、タブレットから引き出した一万円札と、財布の中に入っていた一万円札を並べて見比べてみる。

 タブレットから出る紙幣は全てピン札であるため、折り目のついた俺が元々持っていた方の紙幣と見分けがつきやすい。しかしそれ以外では、紙の手触り、カラフルな特殊インク、透かしにホログラム、マイクロ文字に至るまで、双方全く見分けがつかない。


「……出金、100万円」


 どさりと出現した100万円札には帯も付いておらず、テーブルに落ちた瞬間斜めに崩れたが、パラパラと捲ってみれば通し番号が連番になっている。


「うーん、どっちだ?いや、どっちにしろヤバいことに変わりないか……」


 タブレットから日本国貨幣が出現したカラクリについて、俺は2種類の可能性を考えていた。

 ひとつは、この世界に実際に存在している貨幣がどこかから転送されてきている場合。

 異世界産タブレットがこの世界の金を合法的に所有している可能性は低いので、この場合どこぞの金を無断で拝借していることになる。つまり普通に窃盗だ。俺が盗んだわけではないが、使っているのは俺なのだ。普通にヤバい。

 もうひとつの可能性は、出金する際にタブレットがその場で貨幣を作り出している場合。これはもっとヤバい。普通に通貨偽造である。

 一見したところ本物と寸分たがわぬ造りに見えるが、機械を通るかは不明だ。通し番号が全部同じなんてことはなかったが、これがまだ刷られていないはずの番号だったり、どこかの銀行に保管されていることが明確になっている番号だったりするとまずい。

 俺が考え付かないだけで他の可能性もあるかもしれないが、どちらにしろ言えるのは、気軽に使える金ではないということだ。

 問題なのは、既に数万円分の出自不明の万札が世に出回ってしまっていることなのだが、


「……まぁ、詳細な真贋鑑定なんて日銀でもないと出来ないだろ」


 今更悩んでも仕方がないので、俺はそう楽観視しておくことにした。

 心配事を棚上げすることで肩の荷を下ろすと、どっと現実が押し寄せてくる。

 出していた100万円を入金で仕舞って、空いたテーブルに突っ伏した。


「俺の29億……」


 昼間から上がりっぱなしだったテンションが、地の底まで下落する。

 降って湧いた大金。豪遊するとか、働かずに遊んで暮らすとか考えていた訳ではなかったが、全く使えないとなると流石に落ち込む。

 冷たいテーブルに頬を張り付けながら、俺はポツリと呟いた。


「ドラゴン肉買お……」








「やばい、想像してた数倍はデカい」


 自棄になって買ったはいいが、正直、15kgのブロック肉という存在を甘く見過ぎていた。

 100均で買ったペラいまな板から半分もはみ出ている。これまた100均で買った切れ味の悪い包丁が刺さりそうにないくらい分厚い。


「そうだ」


 俺はタブレットを手元に引き寄せると、包丁を検索し、一番高価な包丁を購入する。

 20万円もしたのだが、作業台に現れた包丁は想像していたより随分と大味というか、粗雑な造りをしていた。


「なんか微妙だな……」


 値段からして日本刀のような美しい刃を期待していたのだが、持ち上げてみた包丁はやけに分厚く重たい。100均の包丁よりは切れそうに見えるが、比べる対象が悪すぎる。正直日本でこんなものが20万で売られていたら川に投げ捨てるレベルだ。

 まぁ、今回はこれで我慢するしかあるまい。

 俺は買ったばかりの包丁を念入りに洗剤で洗うと、巨大な肉塊に刃を入れた。

 苦労してなんとか切り分けた肉は、一枚を残して3分の2を冷凍庫に、残りを冷蔵庫に突っ込み、いよいよ調理開始である。

 あんまりレアな肉は好きじゃないので、表面を強火で炙った後は弱火にしてホイルをかぶせて蒸し焼きにする。

 肉自体の味がどんなものか不明なため、今回の味付けはシンプルに塩コショウのみである。

 焼き上がりを待つ間に、使った包丁を洗って再びマーケットボードに投げておいた。正直切れ味の方も100均の包丁と大差なかった。


「うわぁ、やば、匂いだけで分かる、やば」


 狭いキッチンスペースに暴力的なまでの芳しい香りが充満する。よだれが溢れて止まらなくなるような匂いだ。ご近所へのメシテロが過ぎる。社畜の多いワンルームマンションの住人は、夕飯には遅いこの時間帯でもほとんど留守にしているが、これがもう少し遅い時間帯だったら誰かしら怒鳴り込んできてもおかしくないレベルだ。

 香りの暴力にいよいよ待ちきれなくなって、未だミディアムレアくらいだろう肉をフライパンから取り出す。

 メインのステーキにコンビニで買ってきたおにぎりとサラダを添えて、ワクワクとした気持ちが抑えきれないまま肉にナイフを入れた。生だった時の切りづらさは何だったのかと思うほど、焼いたドラゴン肉は柔らかく刃を通す。すんなりと一口サイズに切れた肉を、ゆっくりと口に運ぶ。


「あぁあー……、やば、うま……」


口の中の肉と一緒に、語彙力が融けた。






 1枚目のステーキをぺろりと完食し、結局追加で2枚も焼いてしまった。合計で1kg近くは食べた気がする。

 15kgの肉など消費しきれるのかという心配は、あの肉塊を全部食べ切ってしまった後、今までの粗食で耐えられるのかという心配に変わっている。

 舌はもっともっとと騒いでいるが、これ以上は腹具合が限界。

 はち切れそうな腹をなでながらカトラリーを置いて、ご馳走様と手を合わせた、その時だ。 



≪ドラゴンステーキの効果により全基礎能力値が+5されました≫


≪基礎能力値の変動によりステータス機能が解放されます≫



「うわっ!?」


 突如聞こえてきた謎の声と共に、最小サイズで頭上に浮かせていたタブレットが光を放った。


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