第3話 『ドラゴン肉』



 ふわふわした気分のまま午後のバイトを終えた俺は、部屋に帰り着くなり着替えもせずにベッドにゴロリと寝ころんだ。


「うーん、夢か?俺寝てた?いや、起きてる起きてる。現実だよな、これ」


 電気も点けていない薄暗い部屋で、煌々と輝くタブレットを見上げる。

 ほんとなんなんだコレ。

 昼間は慌てるあまり宙に浮くタブレットをそのままにバイト先に戻ってしまったが、誰も反応していなかったのを見るに、他人には見えない類のものらしい。やはりもう一度幻覚を疑うものの、出てきた10万円で買い物もできたのだ。やはり現実なのだろう。

 現実感のない出来事の連続で気持ちが浮ついていたせいで、バイトではいくつか小さなミスをしてしまったが、午後に来たオーナー夫人が消えた砂糖の在庫を見てご機嫌な様子で帰っていったためか、オーナーと店長からは特にお咎めもなかったのは幸いだ。

 しばしゴロゴロと転がって怠惰を貪っていたが、盛大に鳴った腹の虫に急かされてしぶしぶ起き上がる。そういえばタブレット騒動で昼も食べ損ねていたのだ。


「あー、買い物し忘れた……」


 朝の予定では、バイト帰りに食料品の買い出しに行くはずであった。肉も魚も無いし、卵も昨日使い切ってしまったしで、碌な食材が残っていない。


「米も炊いてなかったよな……。仕方ない、ちょっとコンビニにでも行ってくるか」


 冷蔵庫の中身を思い出してため息を吐きながら重い腰を上げようとしたとき、ふと未だ宙に浮いたままのタブレットに目を留める。


「マーケットボード、か」


 マーケット、つまり市場。

 最初に購入画面を見たときにファンタジーなアイテムばかりが並んでいたせいで考え付かなかったが、砂糖が売れたということは食材の取り扱いもしているということである。

 頭上に追いやっていたタブレットを手元に移動させると、『購入』タブを開いて検索ボックスに指を乗せる。


「食品、検索」


 そう口に出せば、検索ボックスの中にも『食品』の文字が現れ、右の商品一覧がぐるりと様変わりする。

 マーケットボードの使い方は大体掴めていた。頭の中で考えるだけでは作動しない。基本は指での動作と口頭での指示が必要になる。

 入力の手間がなくて便利は便利なのだが、人前では使えないのが難点だ。

 

「うーん、見事に聞いたことのない食材ばかり」


 フォレストベアの肉、グレイウルフの肉等、肉類はまだ名前から何の肉なのか想像ができる。食べる気はしないが。しかし、それ以外の品は名前を見ても、野菜なのか果物なのかすらさっぱり分からないものばかりだ。

 さすがに食べ物については訳の分からない物を口に入れるのは怖すぎる。

 唸った俺は、お高い食べ物なら安全で美味しいだろうという安易な考えのもと「ソート、値段の高い順」と指示を出した。

 その結果、商品欄のトップに踊りだしたそのアイテムに、いろんな意味で目を見開く。


「ドラゴン肉……!は?3億!?」


 骨付きマンガ肉と並んで、ファンタジー世界に行ったならば一度は食べてみたい憧れの肉ナンバーワンがそこに鎮座していた。

 視線が3億の文字と、検索ボックス下の所持金額欄を行き来する。

 バイト先にあった砂糖の在庫を全て売り払った結果、現在の所持金額はなんと29億を超えている。

 3億の超高級肉だろうと余裕で買える額だ。


「……はっ!?いや待て、ダメだ」


 無意識に購入ボタンを押そうとしていた指を、もう片方の手で慌てて捕まえる。

 どれだけ大金を持っていようが、こんな金の使い方をしていれば破産待ったなしだ。

 落ち着け、今の自分は非現実的な大金を手に入れて気が大きくなっている。3憶なんて金、食べれば消える食材に使う額ではない。慎ましく暮らせば人生3回分は働かなくても生きていける金額だぞ。

 気付けばマーケットボードのページが、商品詳細に移動している。誰だ、いつの間に押したんだ。勝手なことをする指を再び押さえつけるが、視線はタブレットに釘付けだ。

 テレビでしか見たことのないA5ランクの牛肉のような見事な霜降り。勝手にステーキ肉で想像していたが、詳細を見るとどうやら15kgのブロック肉らしい。

 15kg……想像もつかない大きさである。前にステーキハウスで食べたステーキが確か300gくらいだったから、大体50食分か?となると一食当たりの金額は600万ってとこか……って計算すんな!買わないぞ!?600万でも十分高いからな!


「くっそ、ドラゴンめ、誘惑しやがって……!あー、コンビニ。そう、コンビニ行こう!今日の夕飯はコンビニ飯だ!」


 俺はタブレットを最小サイズにして頭上に追いやると、未練を断ち切るように勢いよく部屋を飛び出した。


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