第35話山賊王子 〜その1〜
『魔導王も
エル神国で絶大な権力を持つ教会の人間がそう言っていたのを聞いたことがある。
エル神国の何万人もの兵士たちの頂点、
父がそう認めている以上は私は、
誰にも話したことはないが、私はエル神国が好きではない。
私がお慕いするのは、ただお一人だけ。
フェイ様以外好きになりたくない、フェイ様以上に好きになりたくない、フェイ様だけが好きでいたい、フェイ様だけを好きで、フェイ様が、好き。
別に女性が好きなわけではない。
本当は、男が怖いだけなのかも。
いつも誰に対しても気を張って攻撃的にしていないと、特に男に攻撃される気がするから。
女性でありながら歴代王を超える超絶的な魔導力を持ち、王としての冷徹な威厳と同時に誰よりも深い優しさを併せ持つフェイ様はまさしく完璧な存在。
なのに、国と男がそれを狂わせる気がしてならないわ。
女性の魔導王は別に珍しくない。
慣習がグロテスクなだけ。
魔導王になられるであろうフェイ様も女性である以上、エル神国のグロテスクな慣習に巻き込まれる。
誰よりも強いあの方を寝所で組み伏せ、矯声を上げさせるのは世継ぎを作るためだけの男。
強く、気高く美しい至高の存在を汚すのが国と男。
エル人の数は多く、大陸に暮らす人間の多くはエル人だ。
一般的には身体能力の劣るリムノス人だが、
つまり、エル神国以外のほとんどの国がリムノスに占領されている。
元は奴隷だった彼らに反旗を翻され、あまつ自分たちが統治される側に回った当時のエル人の胸懐は如何様なものであっただろう。
未だ差別意識は消えず、各地でリムノスに反乱を起こす国も少なくない。
リムノスとの和平に含まれた条件に、そんな内容が含まれているからだ。
プライドの高いこの国の教会連中は認めないだろうが、リムノスと対等でいるためには魔導王や
魔導王の血族は高い魔導力を秘めている事が多い。
しかしあくまで多いだけだ。
200年前に和平が始まってからはないが、レーヴァテインを操ることのできなかった、選ばれなかった魔導王も歴代には実際いたというし。
その時ハイ・クラスや
口が裂けても言えないが、運頼みの綱渡り政治でリムノスと駆け引きをしているのがエル神国だと思うわ。
魔導王は世継ぎの中から選ばれるため、世襲制のようなものだがハイ・クラスや
当代優れた魔導使いがその栄誉を賜る。
父の家系は元々エル神国の貴族や神官達を相手に娼館を営んでいた下級貴族の出だった。
魔導力が弱くも、男に女をあてがう事で財を成してきた家系に現れた突然変異。
外交にも内攻にも携われる特権を与えられたのはあくまで
数千の反乱軍勢を相手取っても鎮圧する高い魔導力をもつ父は、力の弱い家族や娼館で働く者を軽んじてみることが多かった。
父自身、その出自から周囲に軽んじられる事も多かったと聞いたわ。
己の実力とはなんら関係ないところでの誹謗中傷。
悔しさで歯がみしても娼館を続けなくては後世の家族の食い扶持奪ってしまうことにつながる。
侮られ、侮られる原因たる家族や娼館に何もできない父の
小さなミスも許さず、時にはミスをでっち上げてでも娼館を運営する家族を罰したの。
兵士として英雄扱いされる父は、家庭内では
歴代の
私の魔導も一般と比べては優秀でもハイ・クラス、ましてや
父のように泥の弾丸を雨のように降り注がせて、数百、数千の大軍を相手取るなんてどれほど修練を積んでもできることなどないのだから。
そんな私に父は何の期待も持っていない。
生来はっきりとした性格なのだろう。
隠そうともせずに見下した視線を私に向け、浅黒い肌の私が女としてどこかの有力貴族との婚姻に使い道があるかどうか値踏みしている程度。
私の母は
各地を旅してまわって、浅黒い肌、そこそこの容姿、そこそこの腕前の歌声で人を魅了することもあったりなかったり。
内乱を鎮圧した父が自国へ帰る前に、戦で昂った情欲を吐き出すために利用しただけの存在。
父がはっきりした性格なのは知っているからか別にそのことで嫌悪することはない。
むしろ、多額の謝礼金を受け取りながら、
しかも貴族生活は合わないとして、赤子の私を父に押し付けると、さっさとまた
つまり、私は妾の子ですらない。
父に妾はいない、父が娘として認めたため、婚外子ではなく正妻の娘として対外上は扱われている。
あくまで、対外上だ。
家庭内では違う。
正妻である奥方様と兄様にはひどく虐められたわ。
小さくて魔導も満足に扱えない私を火球をあてる練習台に使われたり、裸同然の薄着で寒空に放り出されたことは、まだいい。
もっとひどくなったのは、私の方が兄様より魔導の素養があると発覚した後のことだ。
魔導を使えるようになってもまだ幼く、何も理解していなかった私を奥方様は一族が経営する娼館に連れて行ったのよ。
『浅黒い肌で男を惑わす商売女の娘にはぴったりの場所だ』
そんな風なことを言われたと思う。
そして――
家では
その父の血を引いている幼い私は憂さ晴らしにとてもとても丁度良い存在だっただろう。
その時も随分と乱暴に扱われたものだったわ。
でも、幼い私のそばにはハクビがいてくれた。
ハクビは男の子だけど、ずっと一緒だったから怖くない。
ボロボロになっていた私を見て、泣いていた。
「奥様はどうしていつもカタリナちゃんに怒ってるの? 僕はカタリナちゃんが――」
この頃のハクビは可愛かったわね。
同じ
今みたいに割れた腹筋や盛り上がった胸筋を自慢されても怖くはないけど気色悪いとは思う。
筋肉質な上に神経質で10日に一度は散髪して、その度に私に感想を求めてくるし。
言っても聞かない癖に、何かにつけて私の評価が気になるのは何なのだろう。
でもハクビは昔、約束してくれた。
私を――
「フェイ様はぁ、 美しくてぇ、 強くてぇ、 知性があってぇ、 品があってぇ、 あ、 でも、 笑うと目がくりっとして可愛くて、 そばにいるといい匂いがして、 制服に押し隠された女性的な体のラインが妙に色っぽくて……あぁ……あの方を前にするとどうしていつも正気でいられなくなるのかしら……お慕いしています。 フェイ様……」
「フェイ様を前にしていなくても十分正気を失っているように俺には見えるぞ。 カタリナ。 何だその喋り方は?」
恍惚と憧れのあの方への気持ちを、汚れていても乙女のように垂れ流す私に目線も合わさない。
生徒会に届いた陳情書類に目を通しながら軽く流すハクビ。
エリス大学にはエル人とリムノス人双方で作られた生徒会がある。
赤い絨毯が敷き詰められ、部屋の中央にコの字に設置されたアンティークの長机と椅子。
窓には豪奢なクラシックリーフのカーテンがかけられている。
フェイ様がまだいらしていないのでエル人用に作られたこの生徒会室には私とハクビしかいない。
「ハクビは正気を失う程、 人を好きになったことないんだわ」
「お前にとって人を好きになる事は正気を失うことが前提なのか? だとしたら、 ないな……俺は絶対に物事を正常に判断する」
「フェイ様の事も?」
「それはどういう意味で言っているんだ? 俺はお前のようにフェイ様を懸想しているわけではないぞ。 だがあの方にお仕えできるのであれば、 そうありたいと思っている」
「……ハクビって、 いつから筋肉とお堅い表現のお話しかしなくなったのかしら。 昔はもっと可愛かったのに。 なんで筋トレしてる男って両サイド刈り上げちゃうの? それ以外の髪型はないの?」
両手の人差し指で自分の頭を指しながら会話を続けてみる。
7割と3割に寸分の狂いなく、ぴっちりと分けられた前髪と刈り上げられた両サイドの頭髪は軍人に多い気がする。
娼館にくる事も多い軍人なんて本当は嫌い。
……女の私よりハクビは髪型にうるさい。
動きやすい様にと、私の髪を後ろに結うように言ってきたのもハクビだし。
「両サイド刈り上げた方が肩の筋肉が大きく見えるんだよ。 あとな可愛いと言われて喜ぶ年齢でもない。 ましてやお前に……お前の方こそ、 俺以外とも攻撃的にならずにまともに話せるようにしろよ」
「だってハクビがいつも一緒にいて助けてくれるんだもん。 別に必要ないって思っちゃうのよ」
「………………はぁ。 とにかく。 俺もお前も18歳になった。 全てが子供の頃というわけにもいくまい。 次に生徒から相談があったらカタリナ。 お前が対応しろ。 フェイ様と俺以外の人間とも会話できるようになるべきだ。 あの方に仕えたいなら尚のことだな」
わざとらしく大きく溜息をついて、心底私に対して辟易した様子に見えるが、それが私を焚きつけるポーズである事なんて子供の頃からの付き合いでわかってる。
ポーズよね?
最近ちょっと不安なの。
だけど、確かにいつまでも人と話す時に高圧的に接してしまうのは私の悪い癖だと思う。
フェイ様は今年で15歳。
私の方が年上なのに全然フェイ様の方が大人っぽいもの。
フェイ様だって流石に呆れてるのは私にだってわかる。
(……いつまでもフェイ様とハクビの優しさに甘えてばかりじゃだめよね。 よし! 私だって生徒会の一員としてきちんと生徒の相談に乗れる所を見せてやるわ!)
思い立ったが吉日とばかりに生徒会室のドアをノックする音が聞こえる。
(きた! きっと生徒からの相談だ!)
意を決して私は入室を促す。
「いいだろう! 入れ!」
スパコーン!と小気味良い音を立てながらハクビは手に持っていた陳情書を丸めて私の頭をはたく。
「……痛いわ」
「よくないわ! 何が『いいだろう!』だ! そんな言い方されたら俺でも帰るわ! やり直し!」
頭を叩かれた事より、ハクビに見捨てられるんじゃないかと一瞬落ち込みかけて頭をさする。
……私だって初対面で今みたいな言い方を他人にされたら萎縮してしまうだろうし、いい感情は抱かないだろう。
ハクビごめんね。
今のなしにして。 ダメ?
自分史上で最大に可愛いらしくウインクを決めて謝罪してみる。
実際にやったら更に怒られるので心の中で押しとどめておくが。
「し、 失礼しましたー。 ど、 どうぞお入りくださいー」
精一杯の笑顔を顔面に貼り付けて、うわずった声で改めて入室を促す。
……私を虐めながら意地の悪い蛇のような声を発していた奥様が対外的には人当たりの良い人畜無害な顔で接していたのを思い出されて、結局顔は曇ってしまったが。
「あ、 あの失礼します。 フェイ様はいらっしゃいますか?」
入ってきたのはいかにも内気なお嬢様といった風体の女生徒だった。
ぱっつんと切り揃えられた前髪、腰まで届く少し黒が混じった金髪。
薄いピンクのワンピースの腰部分にはリボンがついている。
自己主張する様に短くしていないと攻撃される気がしてしまう私とは違ってスカートの裾も膝下どころかくるぶしまで覆いかぶさっている。
口元に手を被せながら私の顔色を伺うように問いかけてくる様が小動物の様で可愛らしい。
「フェイ様だと? 貴様フェイ様に何の用だ? 事と次第によっては……きゃん!」
スパコーンと小気味の良い音が生徒会室に鳴り響く。
(違うのハクビ。 可愛らしい子だとは思ってたの。 思わぬ所でフェイ様の名前が出たから興奮っていうかパニックになっちゃったのよ。 ああ、 そんなに怒った顔しないでよ。 見捨てないで。 最近ちょっと不安なのよ)
「あ、 あの。 すみません。 タイミングが悪いようでしたら、 出直しましょうか……?」
恫喝の様な態度をしていた相手が突然半べそをかいて捨てられそうな子犬の様に縋った目をしだしたのだ。
狂気の沙汰を目撃したはずなのに逆に気を使われてしまっている。
全く女生徒と相対できなかった事で不安が更に募っていた時だった。
「ソロルー! フェイちゃんに山賊に対して山賊行為を行うの手伝ってもらう話できたー!? 俺も入ろうかー!?」
能天気で澄んだ声色だった。
声量が大きかったのでドアの向こうからでも生徒会室に響きわたる。
言っている意味は全く理解できない。
正直パニックだ。
だから私も声を上げて応対する。
「いいだろう! 入れ!」
言い終えて表現がキツかったことに気づいて、咄嗟に両手で頭を守る、が予期した衝撃はこなかった。
私の頭は今度は叩かれなかった。
ハクビは何で頭抱えてるの?
私のせい?
不安にさせないでよ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます