第32話 ヒトになれない少年と少女 〜その7〜

 さっきはマジで危なかったが、魔獣化していると代謝が上がって大概の怪我は治っちまう。

 かなり長い時間飛んでいたと思う。

 すっかり赤い夕日が差している時間だ。

 途中何度も落っことされそうになりながら、たどり着いた先はモクシュンギクが呑気に仲良く咲き乱れる丘だった。

 

 乱暴に降ろされて醜くと唸っていると、ヒトと比べるとかなり巨大になってしまったオレの側に更に巨大な竜種が寄ってくる。

 その後には所在なさげにモクシュンギクの花びらをちぎって花占いをしているタッドさんが見える。

 「今回の騒動の賠償を請求される……されない……される……されない……あ、されるんだ。」と無情な判決は下ったようだ。

 

「ガル今戻すね……」


 消え入りそうなで小さいのに絢爛な音楽を奏でた竜種の身体が縮んでいく。


 側にいるヒトの心を映し出しそうな程、透き通って輝きを放つ金糸は頭の少し高い位置の左右でまとめられて両肩まで垂らされて。

 少し吊り上がってはいてもそれが愛嬌になる碧眼。

 白シャツの上にピンク色のカーディガンを羽織って、ピンクに白色のチェック線が入った膝まで届くスカートと紺色のロングブーツ。

 魔導王の世継ぎフェイと並び立つ莫大な魔導力を持ちながら、年相応にヒトを好きになって、二言目には「しゅきぃ」だ。

 ザ•乙女、金髪ツインテールのゴスロリお嬢様……それがマーガレットだと思っていた。


 先程までオレよりずっと大きかった姿が、今はヒトだった頃のオレより小さい、女の子の姿だ。

 ドス黒く醜い魔獣姿で、自身でも鼻が曲がってしまいそうな獣臭を発するオレの頰にマーガレットの小さな手が触れる。

 何でか知らないが操る魔素ですらピンク色。

 少女趣味の強い魔導がオレの身体全身を巡る。

 魔獣の姿である時にはいつも感じている、ぐるぐると気持ち悪くまとわりつくように感じていたモヤの様な感覚が晴れていく。

 ジャザリーと名乗った女にかけられたしゅによって複雑に絡み合って糸のように状態異常を起こしてしまっていたオレの聖紋。

 がんじがらめにしていた糸が解かれていく様な感覚。

 巨体を構成していたオレの身体が徐々に小さくなり、マーガレットよりは大きいヒトの姿に戻っていく。


 何となくまた殴られるんじゃないかと身を硬直させて構えていたら特にその必要はなかったらしい。

 いや、違う、マーガレットに殴られるのを期待してるとか言う特殊な癖はない。 マジで。

 ……自分の心にまでいちいち言い訳するのも面倒だから白状する。

 オレはまた殴られてヒトに戻されるのかと思って身を硬直させただけで、マーガレットの手に触れられるのは怖くなかった。

 殴られて、痛みを作り出された強烈印象を持つその手が。


 制服はあちこち破れちまってるが、ヒトの姿に戻ったオレの頬からマーガレットの手が離れ、小さな少女の様子をオレは伺う。

 視線をあたふたとオレから逸らして、口を開いては閉じていかにも何を話していいか分からないと言った風情だ。

 もちろんオレも分からない。

 ある程度こっちで補完しちまってるが情報が少な過ぎるし、核心に触れる事でまたマーガレットを傷つけてしまうかもしれないかと思ったからだ。

 こういう時は、タッドさんを頼っちまおう。

 本人もきっとそのつもりで着いてきてくれたんだろうしな。

 

「んじゃ、 仲直りするなら俺は邪魔だな。 向こうで兄ちゃんへ借金依頼の手紙書いてるから終わったら呼んでよ。 お前らのせいで俺が返さない借金が増えるから兄ちゃんがかわいそうだよ。 まったく。」

 

 あえなく期待は裏切られる。

「正直に話せばガルはわかってくれるよ」とマーガレットの頭を撫でた後、ボンクラ王子は懐から取り出した筆と紙を持ってそのまま距離を取って、うんうん唸りながら故郷への手紙を書き始める。

 突然の放任かい。

 

(何しに来たんだよと思ったが、 下手くそか……めちゃくちゃこっちの様子伺ってんじゃねえか。)


 魂胆は分かった。


 タッドさんに触れられて「しゅきぃ」ってならない程取り乱してんのに。

 まずは二匹?二人?で何とかしてみせろって事だろう。

 

(マーガレットが心配なんだな。 またオレに泣かされないか。)

 

 保護者のようなタッドさんが聞き耳を立ててる。

 そう思うと益々何を話していいかわからなくなる。

 このモクシュンギクの丘に連れて来られるまでの間オレは何を考えてたっけ?

 助けてもらった礼を言おうとしたんだっけ?

 それとも傷つけた謝罪?

 シェリを探しに行きたいから大学を辞めようとと思ってる事?

 ……マーガレットがどんな存在なのかを聞いちまっていいのかを考えてた事?

 きっと言いたくないから隠してたのに俺が無闇に刺激しちまったんだよな。

 やっぱりまずオレがすべきは謝罪だ。

 と、心が決まったと同時だった。

 

「ガル……ごめんなさい。」


「あ?」


 オレがあれこれと逡巡していると、赤く薄い唇を開いたのはマーガレットの方だ。

 話し始めるきっかけを探しあぐねてはいたが、こいつがなぜオレに謝る必要があるのだろう。

 謝ろうとしていたのが先に謝られて、意図が分からず素っ頓狂な声で応答してしまう。

 

「私……竜種なの……怖くて黙ってた。」


「いや、 さすがにここまできて疑わねぇだろ。 怖いって何が?」


 俺の顔か?

 

 存在は確認されていても絶対数が少なく、目撃される事もほとんどない伝説上の生き物に近い竜種。

 一つ一つの個体がハイ・クラス並みかそれ以上に高い魔導力を有していると聞く。

 魔導王と竜種の戦いは有名ってか知らない奴はいないだろう。

 レーヴァテインを持った魔導王ですら竜種と互角に渡り合うのがやっとだったんだから。

 曰く最強の種族である竜種は巨大な体躯と翼を持つドラゴンである。

 曰く竜種は時にヒトに近しい姿で人里に現れる事もある、とか。

 そんな最強種族のマーガレットが何を怖がるんだ?

 オレの顔ってそんなに怖いのか?

 なるべく目を吊り上げないように意識してるんだが……。


「私……ガルに軽蔑されるのが怖かったの……」

 

「一体何の話だ……オレがなんでそんな事をしなけりゃならねぇんだよ?」


 長い睫毛を伏せてオレと目を合わそうしないマーガレット。

 こいつはさっきから何の話をしているんだろう。

 オレが軽蔑?

 化け物のオレをヒトの姿に戻して、ヒト並みの生活を与えてくれて。

 ……言ってねえけど感謝してるに決まってんだろ。

 

「何年も前に私、 気づいたらここにいたの。 竜種の姿で。何も知らなくて……私以外竜種がいなくて……自分が竜種である事も……人に近しい姿になれる事も……何も分からなくて……」


 マーガレットは目を伏せながらその表情はどんどん悲痛なもんに変わっていく。

 そんなに言いたくねぇなら言わなくていいと言う資格すらオレにはない。

 何も話さない彼女を見苦しく追求したのはオレなんだから。


「お腹が空いたら食べられる物は何でも食べたわ。 ここは色んな生き物がいるの。 私強いから何でも食べられたの……ガルが今考えた物は全部食べたんじゃないかしら……この辺りエーテル鉱の採掘場があって人間もよく通るの……だからね……」


「……エル神国貴族出身でタッドさんの人質ってのは?」


「全部嘘っぱちよ……私化け物なの。 化け物だから人間に退治されそうになってるのをタッドが助けてくれたの。」


 マーガレットの悲痛な表情は、悲惨なものに変わっている。

 両手を握りしめて小刻みにも震えている。

 だから話を逸らしてやろうと、ダサいオレは実践してみる。

 それすら今また彼女を傷つけた。

 彼女は決意して自分の事をオレに話そうとしてくれている。 

 これ以上水を差すような真似も出来ず、黙って聞くことしか出来ねぇのかと逡巡していた。


「最初ガルを見た時に私嬉しかったの。……私と同じ様な存在が居ることが。 勝手に名前まで考えてしまっていたわ。 仲良くしたくてあなたに色々してあげたいんだと最初は思ってたわ。 でも……」

 

 感情の波、いや津波に耐えきれず碧眼から涙がこぼれている。


「人間の中にいる化け物が私だけじゃないって思って……ガルを化け物扱いしてたの。 それを知られて軽蔑されるのが怖くて……気づいてしまったらあなたに何も言えなくて……私あなたに嫌われるのが怖かった。」


「……化け物じゃねぇよ。」


「そうね……ガルは人間だもの。 ごめんね。 ガルのしゅは複雑すぎて完璧には聖紋を戻してあげられない。 それでも私とは違って……」


「ちげぇよ! マーガレットが化け物なんかじゃねぇって言ってんだよ! 相変わらず話が通じねぇな!」


 傷つきたがりの自惚れ屋、知性は高いのに察しの悪い鈍感女にオレは一喝する。


「オレだって嬉しかったに決まってんだろ! 痛みと憎悪しか無くなって、 助けると誓った妹の存在すら忘れちまってた! 人殺しの化け物に成り下がってたオレをぶん殴って救ってくれたのはマーガレットだろ! いちいち傷つきたがんじゃねぇ! ヒトと違ってるからって化け物とは限らねぇだろうが!」


 マーガレットに言っているようで自分に言い聞かせてるのかもしれない。

 だけどヒトと違うという少数派なだけで化け物扱いは真っ平だ。

 お互いに許されざる罪も犯した。

 その罪に向き合う覚悟はマーガレットの方がオレよりあるように感じられる。

 純粋で純真で、だからこそ傷ついてしまい易いマーガレットが化け物なんてオレには納得できない。

 声を荒げたオレをマーガレットがデカい目を更に見開いてきょとんとした様子で頓珍漢な質問をしてくる。


「ガルは私の事嫌いじゃないの?……すごく怒ってたから許してくれないかと思って……悲しかった。」


「あぁ!?……嫌いなわけ……いや……そう思おうとしてしまったような……嫌い……じゃ、 ない……悲しませたの……か……オレ……ごめんな……」


 ありゃ?なんか急に自分でもびっくりするくらい、しどろもどろになっちまった。

 普段凛としてる姿から想像できないくらいの姿だ。

 隙だらけにつーか好きだらけじゃなかった、小首を傾げる様が愛らしいというか、何言ってんのオレ。


 突如様子のおかしくなったオレを見たマーガレットは近づいてくる。


「私は怒られて当然。 ずっと黙っててごめんなさい。 でもタッドには謝って欲しいの。 ずっとガルの事心配してたから。」


「謝るよ! お節介でカッコよかった王子サマには後できちんと! それより近いな!」


「離れたいの? やっぱり嫌いなの?」


「だから……嫌いなわけじゃなくてなくて……! もういいだろ! 一回離れてくれ!」


 なんなのこいつ。

 ヒトの心がわかんないっていうか男心わかんないのかよっていうか。

 頭いいくせに男心検定あったら落第すんじゃねぇの?

 そんな検定あんのか知らんけど。


 近い、お綺麗なだけに見えた顔立ちが、今は何だかそこに新たな要素が加わって見えちまっているような。

 咄嗟に目を逸らしても、逸らした先にまた綺麗なお顔に目鼻立ちのはっきりとした碧眼が追いかけてきやがる。

 オレが顔を逸す。

 マーガレットは追いかけてオレの顔を覗きこむ。

 その様が実にあざとい。

 いやもはや狡猾な凶器だ。


 何度か滑稽なやりとりを繰り返すとマーガレットは突如察したと言わんばかりに碧眼を輝かせる。

 ぽんと両手を叩いて鳴らし、シェリが昔「いい事思いついた」と言ってオレには全くいい事ではない事を思いついていた時の事を思い出す。


「私、 あなたがわかっていない事がわかるかもしれない。」

 

 オレの顔を自身の胸元に引き寄せる。

 マーガレットの金糸が揺れてふわっと石鹸の様な香りと直感的に艶めかしい香りがオレの鼻口をくすぐる。

 ものすごい力だったので瞬間オレに痛みが走るが憎悪は湧かない。

 というより混乱が先立つ。

 突然やわらかなものに包まれて、慌てたふためいたオレは状況確認に思いついた単語を口から吐き出していく。


「おい……何してんだよ。」


 努めて冷静を装えたと思う。

 頬に当たるふくらみの感触に全神経を集中させている身としては。

 確かここがアガルタって場所なんだっけか?

 生命の起源ってやつ。


「きっとこうして欲しかったのよ。 私もそうだったから。 ガルはきっと寂しかったのよ。」


 全然違う。

 そりゃ、痛くて苦しかったよ?

 オレ以外にオレみたいな奴が居なくて、切り刻まれる時とぶっ殺す時しかヒトに近づけなくて。

 だからこうやって誰かに触れられたのなんて……ずっとなくて。

 あれ?もしかしてオレ?

 え?ちょっとマジで嫌だ。

 こんな冗談みたいに適当な流れで他者の温もりを感じるのは。

 だけど、なんでか動けないこの感覚に囚われていたいような。


 危うく一生ここで暮らしてしまう覚悟を決めかけたオレはマーガレットを振り払う。

 少し流れてしまった涙も、振り払った流れでうまいこと拭き取ってもおいた。

 

「あ……」


 突然身体を引き剥がしたオレを見て寂しそうに碧眼を伏せるマーガレット。


「……私やっぱり違ってた……?」

 

 もう全然ちげぇよ!

 確かに寂しかったのはオレもそうだったみたいだよ!

 だから他人の温もりを感じられて感情が揺さぶられたよ!

 でも、それだけじゃなくて……オレはまず男で……マーガレットは穢れないおつむを持ちながら、神漏美かむろみの寵愛を受けたかの様な容姿端麗な女の子で。

 ていうか結構なものをお持ちで……。

 似たもの同士ってだけで家族みたい思っちまってんのかもしれないが、まずはそこをしっかり理解してくれよ。

 お前タッドさんの事好きなんだろ。

 ん、そういえばチラチラとこっちの様子を伺ってたお節介王子はどんな顔してんだ?


 だらしねぇニヤケ顔を披露しちまった可能性を感じて悪寒が走り、タッドさんの姿を探す。

 声にならない葛藤を抱えながら。


「おい……マーガレット。 タッドさんはどこに行った?」

 

 能天気を地で行く王子様が見当たらない。

 さすがにこのタイミングでいきなり旅に出る事は能天気王子でもしないだろう。

 代わりに嫌な感じがする。

 黒猫を見たあの時と同じだ。

 いや、オレはあの時に感じた感覚をもっと前に知っている。

 思い出したから。

 モクシュンギクの丘に着いたばかりの時はなかった感覚が急遽現れていた。


「久しぶりね。 ヒトになれない獣アドマイヤ•ブルート憎くて大嫌いな私の子。」


 腰まで伸びた燃える様な赤髪と深紅の瞳。

 肩口から胸元にかけて大きく開いた漆黒のゴシックドレス。

 スカートの裾は短く、下にはガーターベルト、相変わらず男を惑わす様な扇状的な雰囲気を纏っている。


 それが義手の女ジャザリーとの再会だった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る