第29話 ヒトになれない少年と少女 ~その5~
ここは?
真っ暗だ。
さっきまでフェイと一緒だったはずだ。
そのあと、薄気味悪い猫が表れて……。
目の前が真っ暗になった……気がする。
いや、違う――
あの猫の目を見ていたら灼けつくように熱さで呼吸すら苦しくなって。
体の内側からオレの臓物が飛び出していくような感覚に襲われて。
魔獣に体が変わっていくのがわかって。
それを……フェイに見られたくなくって。
大学を飛び出したんだ。
手足なんかとっくにどす黒い獅子のようになってたから、自分でも恐ろしい位の速さで駆け抜けることができた。
おぞましい魔獣に徐々に変わっていくオレと遭遇した奴らは阿鼻叫喚の図だ。
オレ自身むせかえるような獣臭にえづいて、口からよだれが止まらなくなって。
気持ち悪くて口元をぬぐおうとしたら胸にまで届きそうな二本の巨大な牙阻まれて。
オレを見た奴らから出る言葉で自分がどんな姿なのか理解できた。
「化け物!」
誰にも見られたくなかった。
フェイには特に見られたくなかった。
鼻持ちならないクソガキが自己弁護に走ってうだうだしている時に、気持ちを切り替えさせてくれた。
マーガレットに謝ろうという気持ちにさせてくれた。
でも、あの時フェイは見ていた。
徐々に獣の様な身体になっていくオレのザマを。
どんな顔してた?
視線がばったりあっちまって。
どんな表情が張り付いてだんだっけ?
驚き、それとも嫌悪?
フェイも思ったのか?
俺の事を『化け物』って――
(違う! オレは! ……人間なんだ。)
(……人間だった……)
(もう……違うのか?)
真っ暗闇の中、うずくまって耳を塞ぐ。
そうしないと聞こえてきそうだから。
オレをヒトでない者に喩えて、オレを見て恐怖が入り混じってた、あの声が。
だから、何も聞きたくないし、見たくない。
なのにここは真っ暗で、目を閉じてるのかも耳を塞げているのかもわからない。
今の自分の姿も。
(何で、 オレなんだ……?)
(オレ、 もう嫌だ。)
(あ……)
(あぁ……あれは? ガキが二人……一人はオレのガキの頃か? もう一人は……?)
どっちも小さなガキだ。
小さい身体でもっと小さな少女の前に両手を広げて立って何か叫んでる。
少女は泣きながら、ガキのオレに縋り付いている。
「お兄ちゃん……お父さんとお母さんが……動かないの……怖いよぅ……」
「見るなシェリ! 大丈夫だ! お兄ちゃんが守ってやるからな!」
追体験だ。
いつの間にかガキの頃のオレと精神が重なっている。
ここはオレが育った家だ。
小さな村でほぼ自給自足の様な生活。
それほど裕福でなかったのに父さんも母さんも共働きでオレに史学やら、算術やら、魔導書やら色んな本を買い与えてくれてた。
シェリが甘えただから、あんまり構えなくてごめんなって。
それでも村ではひときわ優秀な成績を出すオレの事、自慢だって。
そう、言ってくれてた。
周りは炎に包まれている。
なのに凍った湖に飛び込んだ子犬の様にガチガチとガキのオレは震えちまっている。
父さんと母さんは血まみれで倒れている。
床に二人が流した血がゆっくりと広がっていくのが見える。
それでも精一杯の勇気みたいなもんを振り絞ってガキのオレは叫ぶ。
「シェリを怖がらせんな!……シェリはオレが守る!」
「へぇ……あなた……命乞いしないのね……?」
村を焼き払って、オレの両親を殺したそいつは女だった。
腰まで伸びた燃える様な赤髪と深紅の瞳。
肩口から胸元にかけて大きく開いた漆黒のゴシックドレス。
スカートの裾は短く、下にはガーターベルト、こんな状況でなければ多くの男を惑わす扇状的な雰囲気を纏っている。
だが、この女の外見的特徴を挙げるとすれば――
『義手の女』
だろう。
右腕の肩口から手首にかけてが、からくり兵の様に鋼鉄の義手を取り付けている。
もしかしたら義手に目を向けられないように、わざと扇状的な格好をしているのかもしれない。
女は身の丈程にもある巨大な鎌を所持している。
「ワタシが教会を唆して、この村を焼き払う指示を出させたの。 この腕と大鎌の
無表情に無関心に無感動で無関係な愛だった。
正気の沙汰じゃない。
女が何を言っているのか、大量殺人を行ったこの場でなぜ愛を語り始めたのか全く理解できない。
わかっているのは、妹と自分の生殺与奪は女にある事。
自分の命に換えても妹だけは守らなくては。
恐ろしくて震え上がっていても、そう決意したのを覚えている。
「さぁ、 どうかお願い。 ワタシはあなたを愛したいのよ。 ワタシにあなたを愛させて。 」
無表情なまま狂気に澄んだ眼差しで心を覗き込む様に告げる。
そして義手で大鎌を持ち上げて刃先をオレの首筋に当てる。
恐怖で涙がこぼれ落ちる。
「うぅ……シェリには手を出すな……」
歯がガチガチと音を立てて噛み合って言葉にならない。
それでも、父さんも母さんもいない今シェリを守れるのは自分だけだ。
オレが見るなと言ったから、目を閉じてオレに縋りついている。
普段、疎ましく思っていた。
仲良くない兄弟だったと思う、でもオレはお兄ちゃんだから。
シェリが今頼れるのはオレだけなんだ。
オレが……必ず。
「あなたの妹を思う姿、とても美しいわ。 あなたを尊敬する……ワタシもあなたと同じ位の年頃にこの腕を失なったの。 突然現れた賊に家族をワタシと弟以外みーんな殺されて、 無抵抗なワタシは腕を魔導で焼かれたの。 私は自分の腕の灼ける臭いを嗅ぎながら必死に命乞いしたわ。 自分だけは助けてと懇願したの……助かったのはワタシだけ。」
無感動に己が過去を語った後に突然、女の口元が笑みを浮かべて大きく歪む。
「ワタシはジャザリー。 勇敢な坊や。 あなたの名前を教えてもらえるかしら?」
「ブ、ブルートだ!」
よくわからない生存本能が働いたのかもしれない。
血の匂いと人や家が焼け焦げる臭いが立ち込める非日常。
そこに自己紹介なんて日常的な事柄が飛び込んできたから素直に名乗ってしまった。
「そう、 ブルート。 ワタシはあなたみたいなヒトが大嫌い。 妹は助けてあげる。 その代わりにあなたを切り刻んで痛めつけて苦しませて、 誰が見ても醜い存在にしてあげる。」
だがその女、ジャザリーはどこまでも日常的とは無縁で、オレには到底理解できない狂気に孕んだ回答を告げる。
ジャザリーは義手ではない左手の人差し指を何もない場所でくるくると回す。
何もなかった空中に魔法陣が書き込まれていく。
鎌で己の左手の平を切り裂くと魔法陣におびただしい量の血が吸い込まれていく。
「さぁ……シェリちゃん? こっちへいらっしゃい。 大丈夫あなたにワタシは何もしない。 お兄ちゃんと約束したから。」
「やめろ! シェリに……ぐぁ!」
ジャザリーに向かって駆け出そうとしたオレの腹を大鎌が切り裂く。
一瞬何が起きたか理解出来ずにいたが、焼け焦げる様な激痛を感じてのたうち回る。
「おいで……お兄ちゃん、 死んじゃうわよ?」
シェリがジャザリーとビクビクと痙攣しながら倒れているオレを交互に目を配る。
そして、おずおずとジャザリーへ近づいていく。
「そう……悪い子ね。」
ジャザリーがシェリの頬に手を伸ばす。
頬が血で染まる。 女の血で。
そのまま人差し指を眉間に置いてふっと魔導を込めるとシェリは意識を手放したように膝から崩れる。
義手で愛おしげに、大事そうにシェリを抱える。
そしてオレに向き直って空中に残っていた魔法陣に魔導を込める。
全部、手だ。
手が作り出すんだ。
魔法陣を、恐怖を、化け物を。
ぼうっと輝いたかと思うと魔法陣が全身を包んだかと思うと激痛が走り、オレは絶叫する。
(熱い!……身体が……灼ける……!)
「
ジャザリーは去っていく。
オレのちっぽけな尊厳、肉体、家族、村全てを奪って。
(炎がオレを灼いているのか……熱いよ……父さん、母さん……助けて……)
(シェリ……ごめんよ……お兄ちゃん何も……ここで、 死ぬのか……)
(嫌だ……オレはあんな奴の子じゃないよな? オレがここで死んでも……また父さんと母さんの子供に生まれたい……)
追体験だ。
巨大な狼の姿になって、我を忘れたオレが壊す。
辺り一面が炎に包まれている村を。
生き残っていた人々を巨大な牙で食い殺すのを。
思い出した。
(オレは……ここで死んで……化け物になった……)
オレはもうとっくにヒトじゃなかったんだ。
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