第28話 ヒトになれない少年と少女 〜その4〜

 マーガレットが借りてくれた家には帰れない。

 彼女を非難したクソ野郎がどの面下げて帰られるものか。

 オレが着ているエリス大学の濃淡ない白い制服どころか、大学費用だって彼女が負担してくれている。

 そんなオレが大学校内をウロついてるのだっておかしな話だ。


 だが、とにかくオレは今苛立っている。

 絡んできた奴がいたら、誰でもいいから当たり散らしてぶん殴りたい。

 そして、ぶん殴り返してでもいいからオレを止めて欲しいという矛盾を抱えながら、だだっ広い大学内の並木道をウロつく。

 これ以上恥の上塗りもしたくないから、本気で喧嘩をふっかける気などないが。


 のどかな天気だ。

 これが物語の劇中であれば、暴風吹き荒れる程ではなくても、せめてオレの心情を表す位には曇っていてほしい。


 生憎と雲がちらちらと浮かんではいるが、大半は晴朗な日差しに包まれていて、のどかな空気はオレの気持ちとは対極だ。

 ゆるやかな晴天の午後を満喫しながら、呑気にお散歩やら、道を外れた場所の茂みなんかで本を広げて勉強、昼寝に勤しむ奴だらけだ。

 オレと目が合うと、うららかな一時を邪魔されたかのように目を背けるが。

 マーガレットの様に天候を操る術を持たない、持つ奴の方が圧倒的に少ないのだ。

 自分の激情と天候が連動することなんて、まずありえない。

 だから、晴天晴れわたるこの陽気で苛立つオレの方が異質で少数派だ。

 

 行く宛のないオレは少数派らしく舗装された並木道でも人気の少ない道を見つけ、更に人気のない木陰を見つけて眠気もないのに寝そべってみる。

 

 苛立つ胸懐でも自問自答の時間しか無い。

 まずとにかく、整理したい事柄は3つ。

 オレの身体についてと、食い扶持をどうやって稼ぐかと……あと一つは……今考えたくない。


 考えたくないって事は、考えてしまう事と同義で。

 ずっと分からないし、今もわからない。

 ヒトの姿に戻れてから数週間、ずっとだ。

 

(何でマーガーレットは、オレを助けるんだ?)


 突然出会ったオレに恋慕……なんてのもありえないだろう。

 事あるごとに『しゅきぃ』なんてほざく程、あれだけベタベタに惚れている相手がいるんだ。

 朝、おはようと挨拶したタッドさんを見るだけで『しゅきぃ』だもんな。

 さっきオレに詰め寄られたのを、あれだけカッコ良く庇われたんだ。

 頭の中はお花畑どころか、生命の起源と言われる聖地アガルタまで精神がすっ飛んじまってるんじゃないだろうか。

 

 ぶん殴り返しちまったが、ハッキリ言ってダサく当たり散らしたオレを止めてくれたあの人には感謝の念すらある。

 さすがに後で謝ろう。

 あの時は、血が昇っちまって、後先考えず、なんならこのままどこかへ飛び出してしまおうかとも思った。


 が、いくらなんでもそれじゃ不義理過ぎる。

 一緒にはやっていけないにしても、謝罪くらいはしてから飛び出さないと罰が当たるよな。


(タッドさん……あんなに吹っ飛んでたけど……怪我させちまったよな……)


(謝らなきゃ……タッドさんと……あいつの事は……考えたくない。)


(けど、やっぱり一番に謝んなきゃいけないのは……)

 

(でも……あいつがオレを助ける理由が分からないから……)


(嘘偽りも汚れもない様な碧眼で、 いつもオレを心配してる風に見てたくせに……)


(オレを助けても……監視する程不安なら……家族ぶって心配したフリなんかするなら……助けないでいてくれた方がマシだった。)


(そうすりゃ、 オレだって……あんな事言わずに……こんな気持ちにならずに済んだんだ……)


(ちっ……ダッセぇな……オレ……)


 あれこれと逃げ口上を作った上に自己弁護してしまおうとする自分の意地汚さに呆れ果ててる時だった。

 

 眉を釣り上げて荒々しい形相で寝そべる俺に見覚えのある三人組の生徒が近づいてくる。

 肩くらいにかかった銀髪で真紅の瞳のエル人でも珍しい容姿。

 エリス大学の男性用の制服を着ていて、それほど背は高くない眉目秀麗の美少年の様な風貌だが、線が細い割に曲線のある体つきが妙に色っぽい魔導王の世継ぎフェイとその取り巻き達だ。

 地帝ちていの娘カタリナと水帝すいていの息子ハクビのサラブレッドコンビが取り巻きだ。


「やぁ。 ガルくん。 少しいいかな?」

 

 氷炎などと称されているとは思えない微笑がフェイの口角に現れていて温和な空気を作り出している。

 目をつり上げて口をひん曲げているオレとは対照的だ。

 持って行き場のない怒りで人と話す気分じゃないオレは返答せずに、寝転びながら顔を背けて拒絶の意を表す。


「……」


「貴様……! フェイ様が声をかけて下さったのよ! 反射的に身に余る栄誉を噛み締めて、 喜びと愉悦で身悶えるべきでしょう!……それを無視するなんて……万死だけでは済まさないわよ……!」


「カタリナ……それじゃ結局無視してるのと変わりないんじゃないのか?」


 エル人の特徴である長い金髪を後頭部でまとめて垂らし、褐色の肌と上背のある背格好に、紺色のブレザーの下に丈の短いチェック柄スカート。

 自己主張の強さが格好にまで出ちまったカタリナを諌める、もといツッコミを入れたのがハクビだ。

 短く切りそろえた頭髪両方の横側が刈り上げられて、キッチリと着こなされた制服の下に隠された筋肉質な身体、パッと見の要素からは神経質な印象が残る。


「無視じゃないわよ! フェイ様の笑顔を見れたのよ!……尊すぎて何を仰ってるか聞き取れるわけないでしょう! 興奮しすぎて心臓なんかほとんど口から飛び出しているようなものだわ! 飛び出したら迷惑だからこっちは必死にしまっているのよ!」


「カタリナ……もう黙った方がいい……幼馴染の俺でもお前が何を言っているか理解できていない……」


 無視しておいて何だが、声高にアピールしているのが鬱陶しい内容だとフェイに気づかれない事を願ってしまう程カタリナは真剣だった。


「カタリナ。 邪魔……いや、 うるさいから外してくれないか。 カタリナを頼むよハクビ。」


「フェイ様……カタリナが……いつもすみません……」


 さっきまでとは打って変わって冷徹な表情だった。

 オレの願いも虚しく、取り繕いきれず本音が2回出たフェイが言い放った通りにハクビはカタリナをズルズルと引きずっていく。

 2回モ名前呼ンデモラッチャッタ。 と頬に手を当てて恍惚な表情を浮かべながら引きずられる当人は嬉しそうだから、それで良いのかもしれない。


「……ごめんねガルくん……うるさかったよね?」


「別に、 たい……いや、 要件はなんだよ?」


 フェイは蓄積された疲労と溜息を押し殺すような表情を滲ませているが、オレから離れる様子もないのでさっさと本題を話してもらう事にした。

 「大変だな、 フェイこそ」なんて上から目線で言いかけちまうし。


「ちょっと生徒会に苦情が入ってね……すんごい怖い顔した生徒が周囲を脅して回ってるから助けてくれ……みたいな。 話を聞いたらガルくんっぽいから、 何かあったのかなーって。」


 エル人とリムノス人で人種が違う事もあり、生徒同士で諍いも少なくない。

 取りまとめ役に優秀な人選で双方の人種で生徒会を設立している。

 フェイとさっきの取り巻き二人はエル側の生徒会メンバーってわけだ。


 話しながら、クスクスと少年のような笑みを浮かべながらフェイは隣に腰掛けてくる。


「ガルくんって顔が怖いだけで、 すごく優しいのにね。 メグちゃんも言ってたよ。」


「……」


「わっ……すごい怖い顔だ! やっぱりメグちゃんと何かあったの?」


 目を見開いて心配そうにこちらを伺ってくる。

 コロコロと表情を変えるのはやっぱり少年の様で……事実年下だと思うから敬称を使っていない。

 争う気は別に無いが、先程した大失態を見聞きしたかのように的確に指摘してくる。

 正鵠を射られた事で、目がつり上がって口元がひん曲がる表情が怖い顔っていうならそうなんだろうさ。

 フェイなら簡単にオレをぶちのめしてくれるだろうから、直情的に喧嘩をふっかけたくもな気持ちもある、が。

 

(さすがに恥の上塗りか……。)


 一人で悩んでるのが苦痛だったのか、観念して正直に胸の内を吐露しちまう。


「……マーガレットを……多分……傷つけちまった。」


 上半身だけを起こして、独り言のようにつぶやく。


「ああ。 それで謝ろうか悩んでたら周囲に誤解を与えちゃった訳だ。 それは難儀な事だねぇ。」


 くくっと忍び笑うように柔和な表情を作りながら語りかけてくる。

 いちいちオレの心情を的確に指摘してくるな。

 お前のその温和さのどこに氷と炎があんだよ。

 何となく分かるがこいつは世継ぎとして品格を求めてくる輩には相応の対応をする二面性みたいなのを持っている。

 無邪気な少年の様な性質と王としての尊厳を秘めた堂々とした性質。

 それらの矛盾するように見える性質はこいつの中では矛盾する事なく構成されているのだろうか。

 だから少し聞いてみたくなった。

 マーガレットの矛盾の部分を。


「マーガレットが……何でオレを助けてくれるか……わからないんだ。」


 本当に聞きたい相手が違うからかフェイに聞いてる様で、結局ただの独り言だ。


「ああ。 それを抱えてモヤモヤしてたら、 耐えきれず気持ちをぶちまけちゃって喧嘩しちゃったわけだ。」


 だからいちいちオレの心情を言い当てんな。

 だけど……。


「あれは……喧嘩じゃない。 わざとマーガレットが傷つくように……タッドさんが殴って止めてくれなかったら……もっと酷い事を言ってたと思う……」

 

「そういう時のタッドってカッコ良すぎて腹立たない?」


「殴り返しちまった……本当は止めてくれて助かったと思ってたのに。」


「あはは! あんなに殴りやすい王子も中々いないよね! タッドは向こうみずだから少し痛い目にあって自重できるようにした方がいいんだよ。」


 自分勝手なのは理解しているが、少し気が晴れていく。

 年近い男同士で話している気持ちに近いのかも。

 記憶にはない。

 オレはもしかして、そこそこ喋るのが好きなのか。


「惚れてる男をぶん殴った奴にそんな反応でいいのか? フェイも惚れてるんだろ? タッドさんに。」


「……あはは……そんな事ないよ……ボクは……ボクだってタッドの事しょっちゅう殴ってばっかだしね。」


 確かにタッドさんが悪戯やら、アホな事するたびに魔導をぶっ放したりしてるもんな。

 その度にアルさんの陰に隠れてやり過ごすから基本的にいわれのない罪を一緒におっ被るのがアルさんの仕事みたいな所まである。


 ただ、二人の立場だとかそういうの考えたら、少し突っ込み過ぎた質問だったな。

 少し陰ってしまった表情を見て、迂闊な自分を素直に恥じて「ごめんな」と謝罪する。


「ううん……ガルくんは優しいね……ボクが君に先に踏み込んだんだよ?……だから、 もう少し踏み込むね。」


 フェイの細長い割に小さな手がオレの頰に近づく。

 オレにとって痛みの象徴だった手が。

 怖くて堪らない手が。

 オレが驚いた様子で身体を硬直させると、フェイは伸ばしていた手を下げて話続ける。


「ボクは……何となく君の身体の事がわかるよ……メグちゃんが君に拘る理由も……メグちゃんの事……怒らないであげて。」


「フェイはオレたちの……マーガレットの事どれだけ知ってるんだ?」


「それはボクからは、 言わないかな。 ガルくんが直接聞いてあげて。 メグちゃん黙ってた事はあるかもしれないけど嘘はつかない……つけない子だよ。」


「……酷いこと言ったのはオレで……謝ろうとは……思ってる。」

 

「そっか……!」


 立ち上がってパッと笑顔を作ってるが、心なしかさっきより寂しげな印象を感じる。


「メグちゃんなら多分今頃、 訓練所とかでアルくんをいじめてるんじゃ無いかな。 すっごい落ち込んだ時はいつもそうなんだ。 剣の訓練をしてるアルくんをメグちゃんがボコボコにして、 ヘコんだアルくんを慰めるタッドを見て嫉妬したメグちゃんがまたアルくんをボコボコにして。 謝るならそれが終わってからの方がいいかもね。」


(いや、 普通にこえーわ。 アルさんリムノス風王候補なんじゃねぇの? 何で普通に剣でボコボコにされんだよ。 しかもエンドレスにいじめられてんじゃん。 いつ謝ればいいんだよ。)


「……あの三人が一緒にいる時は、 誰も入り込めないのさ。 でも……メグちゃんにとってそれは……ずっとじゃないんだ……それがわかってるからタッドも……」


 フェイの笑顔の下には寂しさみたいなもんが張り付いている。

 家柄だとか人質だとか才能だとか。

 それだけじゃないのかも知れない。

 理由がわからないからそれ以上会話を続けられなかった。

 フェイからマーガレットの事を聞き出すのはルール違反だと思うし。

 

 会話が続かなくなったとほぼ同時に黒猫が突然現れてオレのヒザの上に容赦なく乗っかってきやがった。


「げっ! 何だよこいつ! 制服に毛がつくじゃねぇか」


 追い返そうと、首根っこでも掴むつもりがひらひらとオレの膝の上を飛び回ってなかなか掴むことができない。

 その様子を見ていたフェイも初めはくすくすと笑っていたが、突然何かを察した様に顔が強張っている。

 オレは得体の知れない不気味さを感じて飛び起きて黒猫を振り払う。


「見ツケタ。」


 オレもフェイも声を発していない。

 発したのは、黒猫だ。

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