第25話 ヒトになれない少年と少女

 

 確かオレには妹がいた。

 ここに連れてこられてからの苦痛が大きすぎて、よく覚えていないんだ。


 痛い。


 オレが覚えていられる唯一の感情。


 『--に至れない病』


 オレは発症者だ。


 痛い。痛い。

 

 妹は両親にべったりで、あまりオレにはなついてなかった気がする。


 痛い。痛い。痛い。


 オレも小さかったし、両親に甘えたかったのかもしれない。

 自分より無条件に愛されている気がする妹を見るのが面白くなくて、妹がオレに甘えていても無視してたんだと思う。


 よくわからない。

 両親?妹?

 顔が思い出せない。

 思い出せないオレは薄情者なのか?

 

 毎日毎日、痛いだけだ。

 オオワシの翼のようなものが背中に生え揃っているだけの時はまた人間に近い姿だ。

 魚の鱗のような物が、全身を包んで爬虫類の姿のようになったかと思ったら、翌日にはオオカミの体毛のような物が全身に生え変わっていて牙や爪を携えている時は獣そのもの。

 いつの間にか人間ではない姿に変わっている奇病。


 『ヒトに至れない病』

 

 魔獣のような肉体に変化してしまう奇病。

 エル人は魔素を吸いながら生活している。

 魔素への耐性異常が発症条件。


 人間は数の少ない存在を蔑視する。

 発症したばかりのオレを奇異の目で見られる事も辛かった。

 

 体の変化に痛みが伴う事も辛かった。

 でもそれ以上の苦痛はオレの身体をいじくり回される事だ。

 

 研究所。

 この研究所は痛いんだ。


 痛い。痛い。痛い。痛い。


 オレの体は研究者達に切り刻まれても、体質が変化するたびに傷ついた部分はなくなってしまう。


 だからなのかな。

 オレの体内は覗かれても覗かれても、切り刻まれて中身を覗かれる。

 痛くてやめてと叫んでも、彼らの勤務時間中は止まる事はない。

 途中で懇願が意味ないと気づいた。

 オレを切り刻む事が彼等の仕事なんだ。

 業務内容は病気を解明してオレのような存在を作らない事。

 立派な事だ。


 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。


 他者に苦痛を味合わせないために、オレを生きながら地獄に落とすのだから。


 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。


 体を覗かれる激痛に慣れる事はないから、絶叫だけは止められない。

 絶叫は無意味だけど、無価値じゃないと思いたい。

 オレ以外の誰かがこんな思いをしないように。


 痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。憎い。


 オレが一体何をしたんだよ。

 突然、特異な体質に変わってしまって、オレだって戸惑っている。


 痛い、憎い、痛い、憎い、痛い、憎い。


 発症したオレよりも、発症していない人間の方が圧倒的に数が多い。

 結局、この世は数が多い方が有利なんだ。

 竜種の方が高い知能と魔導を持っていても彼等は滅多に人間が住む場所に現れない。


 リムノス人が、かつて奴隷として扱われていたのだって能力云々よりも、単純にエル人より数が少なかったからだ。

 偶々たまたま、持って生まれた資質が数が少ないってだけで、なんで奴らはオレを奇異の目で見るんだよ。

 エル人からもリムノスからも疎んじられるオレはなんなんだ?

 オレだって好き好んでこんな体質になったと思うかよ?

 オレは人間だ。

 見た目がちょっと、アレなだけだ――

 人とはちょっと変わってるというか、変わってしまうというか。

 蔑ずまれたら傷つくし、切り刻まれたら痛いんだ。

 数が多いってだけでオレを憐れんで、蔑視して、そして、切り刻みやがって――


 いつからだ?


 記憶が曖昧なので、順を追って思い出していく。


 勉強する事が嫌いじゃなくて、それなりに優秀で。

 意外かな。

 多分オレは史学を学ぶのが好きだった。


 リムノス統治下の山奥にあるエル人の小さな村。

 オレはそこに住んでいた筈だ。


 元々はエル神国の領土だったのが、リムノス初代からくり王が引き起こした大戦で大陸の勢力図は大きく変わってしまった。

 まだ200年程しか経っていないのに、当時の魔導王や初代からくり王の話は神話めいている。

 

 当時、奴隷扱いされていたリムノス人を率いてエル人に反旗を翻した初代からくり王。

 魔導絡繰からくりを携えた彼らの勢いは凄まじかったらしい。

 それでもエル人の中には別格と呼べる存在がいた。

 大陸ほぼ全域を手中に収めた彼らを、四面楚歌の状況で迎え撃ち、撃退したのが当時の魔導王と四帝だ。

 

 魔導王や四帝には常識が当てはまらない。

 数人で万の軍勢を破るなんて、神話の中でも稀有な戦いが史学で学べるのは驚きだ。

 

 万の軍勢を滅する、特大の魔導を放てば自国の兵士を自ら殺めてしまう事に繋がる。

 

 だからといって魔導王単騎で攻め込んでしまえば相手は万の軍勢。

 強大な魔導を持ってしても、遅れを取って死する可能性は決して低くない。


 対するリムノスも相手軍勢を減らせば減らすほど、巨大な魔導を使用される可能性が高くなる。

 双方決め手に欠けて和解まで至っていた。

 

 それでもリムノスは現在エル人の領土を幾つも所有している。

 万の軍勢同士がぶつかり合った際にはリムノスに軍配が上がりやすいからだ。


 そして、気づいた。

 オレが切り刻まれているのは、病気を解明してオレの様な存在を作らないためじゃない。

 逆だ。

 オレみたいな奴を作ろうとしてるんだ。

 

 魔導絡繰からくりを携えたリムノス人はエル人の天敵みたいなモンだ。

 

 前の戦争では使用されなかった、魔道が全く効かない、からくり兵なんてものまで増えてる始末だ。

 

 体が魔獣になって、魔導も腕力も向上されるオレは天敵に対抗できる兵器ってわけだ。

 そういえば初めて、でかい狼ような姿に変化した時は周りの家屋を簡単にぶっ壊した気がする。


 あれ?いつからここにいるかは思い出せない。


 痛い、憎い、痛い、憎い、憎い、痛い、痛い、憎い、痛い。


 ありがとう。

 毎日苦しめてくれるから覚えていられる感情が二つになったよ。


 いつしかオレはリムノスの要人を魔獣の姿で、ぶっ殺すのが仕事になっていた。

 そうしないと、ヒトの姿に戻れないから。

 戻して、くれないから。

 

 理由は何となくわかる。

 俺が魔獣の姿で殺して仕舞えば色々うやむやにできるもんな。


 痛みと憎悪に支配されたオレの感情。

 それに呼応するかのように醜悪な魔獣に変化するオレの身体。

 ヒトに戻るにはエーテル鋼を粉末にした特攻薬が必要だ。

 エル神国で、とても希少な薬。

 

 その薬で、わずかばかりの時間をヒトとして過ごすためにオレは人間を殺す。

 

 殺して、戻って、切り刻まれて、憎くて、殺す。

 もう何人殺したかも覚えていない。

 どいつも、こいつも憎い。

 オレより数が多いだけで、オレよりヒトでいられる時間が長いからって、オレを化け物扱いしやがって。

 

 オレは化け物じゃない。

 人間なんだ。

 

 化け物って言われたら、痛いし……傷つくんだ。

 ヒトとして、生きて、いたいんだ。



 そんな生活からオレを救い出してくれたのは少女だった。

 リムノスの第三王子を魔獣の姿でぶっ殺すのが仕事のオレを、ぶん殴って止めた少女。

 なのにその姿は、天使と言われたら疑いもなく信じてしまっただろう。

 あんなに綺麗な人、見たことも想像したことも無かった。

 マーガレットと名乗った少女。

 

 醜い姿のオレを映し出す、鏡のような艶を持ってる光り輝くシルクのような金糸。

 記憶の中にある水晶より澄み切った、高い知性を感じさせる碧眼。

 嘘をつかない、澄み切った青だ。

 陶器のように白い肌、なんて陳腐だろうな。

 彼女より綺麗な陶器なんてないんだから。

 辺境貴族なんて比較にもならない、教養のある所作。


 そして、醜い姿のオレが傷ついていることを、心の底から悲しんでくれる純真さは危ういのに、ひどく魅力的で。

 彼女を構成するもの全て――

 そうだ。 彼女は、美しい。


 なあ、なんでなんだ?

 マーガレット。

 君ほど美しくて、心が綺麗な存在なんて数少ないだろう?

 醜い姿で憎悪の塊のオレだって数少ない存在のはずだろ?

 君を見た時と、オレを見た時、なんで人は全く違う感情を抱くんだ?

 悔しい。

 オレだって――

 

 なのに、なんでこんなにも心動かされるんだ?

 こんなにも、強く惹かれるんだ?

 なあ、マーガレット。

 オレは君と、何が違うんだ?



 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼



「目が覚めたの? ガル。」

 

 ぴしゃり、と読んでいたであろう本を閉じる。

 輝く球が弾けて、音楽でも奏でているような声の心地よさとは別にオレの心は苛立ちで満たされている。はずだった。

 どこにいても、オレはイラついていたから。


 「ここは……どこだ? 誰だアンタ?……ていうか、なんだこりゃ。 ほんとにどこだ?」

 

 素っ頓狂な声を出して驚いた自分に気がついて更に驚いた。

 苛立ち以外の感情を、久しぶりに感じたからだ。


 妙なピンク色のベッドの上で目を覚ましたオレは周囲を探る。

 妙な色なのは寝具だけでなく、部屋全体がそうだ。

 狭い割に、大量の本がびっしりと敷き詰められた部屋。

 だが、タンスだとか、化粧台?鏡台?ていうのか?そんな家具たちが猫脚のような作りで支えられていて、ピンク色。

 部屋の中央に引いてあるカーペットの色も勿論だ。

 

 随分とまぁ、なんだ、少女趣味てのが行き届いた部屋だ。


 その珍妙さに、不釣り合いなのか、釣り合っているのか、美しい碧眼がまっすぐとオレを見ながら返答する。


 オレの姿は、ヒトだ。

 研究所に戻っていない、特効薬を飲んでいないのに。

 

「私はマーガレット。 ここは私の部屋よ。 タッド以外入れたくないけど。 魔獣の姿だったあなたがタッドを襲おうとしているから私がぶん殴ったら突然人間の姿に変わっていたの。 誰も気づかなかったけど、 不審に思ったシモンズ辺りにあなたが殺されかねないと思ったから仕方がなかったの。」

 

 アンティークの椅子に腰掛けながら返答する。

 もちろん椅子の座面を支えているのは猫脚でピンク色。


「あぁ! オレが殺されるだぁ! ふざけた事言ってんじゃねぇぞ!」


 侮られたと思い、ベッドから上半身を起こし凄んでみせる。

 しかしマーガレットと名乗った少女は動揺する素振りも見せず返答してきた。


「起きれるのなら外に出ましょうか。 私の部屋にタッド以外の男の子がいるなんて見られたくないし。……ん? というか、 あなた私のベッドまで使って寝てるし……どどどどうしよう!? これって浮気!? 浮気になってしまうの!? ちょっと! 今すぐ起きて! 出ていって!」


 と、思ったらめちゃくちゃ動揺して訳の分からない事を口走っている。

 理不尽に聞こえる言葉を発した後に体を無理矢理ベッドから引き剥がされる。

 魔獣化した影響でオレの服は所々破れていて半裸の状態だ。

 

 オレは人間だ。

 女の子の前でこんな格好でいれば恥ずかしいし、突然拒絶されたら腹も立つ。


「思い出してきた……お前、オレをぶん殴って、ぶっ飛ばした馬鹿力女じゃねぇか! 」


「女の子扱いしてご機嫌取ろうとしても無駄よ! 私そんなにチョロくないんだから! 動けるなら出て行って!」


「はぁ!? 何言ってんだこの馬鹿! 状況ぐらいもっと説明しろ!」


「……今のは完全に悪口じゃない! もう一回ぶっ飛ばされたいの!?」


「悪口って伝わんねーから、分かりやすく言ってやったんだよ! 上等だ! 表に出ろ!」


 不毛な問答をしている気がするが、苛立つ事を止められない。

 ここ数年、痛みと憎悪しか感じてなかったせいか?

 

「いいの! どうせ私が勝つし……あ……ちょっと……静かに……!」


 何かの気配を察したかのように、問答の最中に突然オレは両手で口を塞がれる。

 すると部屋のドアからノックする音が聞こえる。


「俺だー。 いいかー。 いいよなー。 入るぞー。」


「タッド……メグまだ返事してないよ……」


 返事を待たずに部屋に入ってきたのは、見るからに平凡な顔立ちの黒髪、黒目の少年。

 オレよりは年上か?


「メグが部屋から出てこないってモルさんが心配してたぞ……

って!うわあ! マ、マーガレットさん……あんたモルさんもいるってのに何て大胆な事を……」


 黒髪の少年は手で口元を塞ぎながら、なんとか言葉をひり出す。

 ベッドの上で半裸のオレの口元を両手で押さえる少女。

 その光景を見ながら。


「きゃああああ!」


 マーガレットが絶叫を上げる。

 何というか、雄叫びに近い絶叫だ。

 ほとんどギエエエエ!と発音しているはずなのに、上品さを残せるこの少女の品格には閉口する。

 文字通りオレは口を塞がれているが。


「違うの! タッド! これは浮気じゃないの!」


「うわぁ! 不倫してる人が良く言う奴だ! 何か聞いたことある! 深夜母ちゃんと口論してる父ちゃんも言ってた! ん……あれ?……それって……ごめんなさい! 勝手に部屋に入ってごめんなさい! マーガレットさんが心配だっただけなんです! これからはきちんとマナーを守ります! とりあえず一旦帰りますね!」


「タッドなら別に入ってきてもいいの! 突然、他人行儀な話し方はやめて! タッド! 話を聞いて!」


「そうだよ。 タッド。 ちゃんとメグの話を聞いてみようよ。」


 部屋には入らずに、からくり兵がタッドとかいうズカズカと入ってきた奴に声をかける。

 

 からくり兵は何度か戦った事がある。

 魔導を完全に吸収して魔獣並みの膂力を持ってる面倒くさい奴らだ。

 どいつもこいつも、オレと違って綺麗な容姿で作られてんのも気に食わねぇ。


 睨みつけるように見ていると、からくり兵の足がガクガクと震えている。


(なんだ、こいつは?)


「アル……たまには役立つじゃない。」

 

 なぜか上から目線のマーガレットは、すうっ、と呼吸整える。


「いい? 私と彼は一戦交いっせんまじえてこうなってしまっただけなの。」


 疑念を振り払おうとマーガレットは確信に満ちた表情だった。

 ドヤ顔、という表現はオレも知っている。


一戦交いっせんまじえたって……なんでそんなかっこいい言い方で……そりゃどう見ても……そうとしか見えないけど……なぁアル?……アル?」


 からくり兵の足の震えは止まっている。

 というか、その機能全てが止まっているかのように微動だにしない。


 それに気づいたタッドって奴が、からくり兵に声をかける。


「お……おい! アル! 嘘だろ! からくり兵には眠る機能なんてついてねぇんだ……! お前が気絶しちまう事なんてあるはず……ないんだよ……!」


 からくり兵は支えを失った人形の様に、突然うつ伏せに倒れ込む。

 その光景見た者の反応は様々だ。


「アルーーー!」


 親友を失った悲しみに咆哮を上げる者。


「ちょっとアル! 部屋に入ってこないでよ!」


 倒れた拍子に部屋に入られた事を叱責する者。 鬼か。

 

(なんだ、こりゃ?)


 うすら寒い三文芝居に辟易するのが、オレだ。

 痛みと憎悪以外の感情に困惑もしていたが。

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