第21話 ソロルの望郷 〜その7〜

 アルさんは剣の魔導絡繰からくりを所持されていました。

 正確には、刀と呼ばれるものです。


 大太刀と言っていいでしょう。

 馬の首をも容易く両断出来てしまいそうな長い刀身はからくり兵の膂力でなければ普通の人間には持ち歩くことですら困難に思われます。


 大太刀を背中に背負って、脇には私を抱えた状態で魔獣から逃げ回る。


 からくり兵の方でなければこんな芸当はできないでしょうが、風王ふうおう候補と呼ばれる方が最初から逃げの一辺倒に徹されているのは私のような足手まといがいるからなのでしょう。


 魔導の修練を積んだ事はありますが、得意な方ではありません。

 ハイ•クラスであるお父様の血を実際には引いてるわけでもないですし……


「ソロル! 苦しくない!?」


 追い立てられている焦燥からか、普段とは口調が違います。

 走りながら、アルさんが私に問う。

 エーテル鉱で作られたアルさんが抱えている事を心配されているのでしょう。


 確かに触れられていると私が走っているわけではないのに疲労を感じます。

 ですが、その事とは別の意図で私はその問いに返事ができませんでした。


 無感情であるように思えたアルさんの無表情が、今は色んな感情が張り付いているように見えます。


「焦燥」 「不安」 


 そして


「配慮」


 逆上して私が感情をぶつけた時にアルさんをはっきりと傷つけてしまいました。


 だから、私のために戦闘を避けて逃げてくれるとか。

 体を気遣ってくれなくていい。


 あなたを傷つけた私に、そんな資格ないのですから。


 逃げまどう私たちにオオカミの魔獣たちは執拗に追いかけてきました。

 魔獣は幾度も口から火球を放ってきますが、アルさんの体が虹色に輝いて魔導を吸収します。


 魔導は効果がない。


 そう悟った魔獣の一匹は私達に飛びかかり、アルさんが私を抱えていない方の腕で魔獣の牙を防ぎます。

 大きな牙でも鋼鉄で作られた腕を噛みちぎることができず、アルさんはその隙に魔獣の腹部を蹴り飛ばします。


 ギャオンっ


 声をあげて吹き飛ばされますが、大きなダメージを与えれていないのでしょう。

 オオカミの魔獣は立ち上がるとすぐに私たちを追いかけ回します。


 もし逃げ走るのやめて対峙しようとすれば、物量の差で取り囲まれてしまう。

 そうなれば正に多勢に無勢。

 あっという間に魔獣たちの夜食になるのは目に見えているのでアルさんは疾走を続けます。


 魔獣たちの計算でしょうか。

 駆け出した方向は古城とは別の方向、森の奥地へと誘導されているようで、ライラさんたちの助けを求めるのも難しい状況です。

 何度となく魔獣に飛びつかれ、牙や爪で攻撃されてもその度にアルさんは私を庇ってくれてしまうため、兵装はボロボロになってしまっています。


 それでも、走るのを止めない。

 私がいなければ、もっと別の戦い方があるのではないでしょうか。


「アルさん! もう私に構わずに一人でお逃げください!……私なんかのためにこれ以上あなたが傷つくのは見ていられません……!」


 足手まといの私を切り捨てれば、風王ふうおう候補とまで言われる兵士の方なら逃げるにしても、戦うにしても何か活路は開けるのではないでしょうか。

 私を見捨てるように懇願しましたの。

 ですが。


「君は僕と似てる! 本当は怖いくせに! 助けて欲しいくせに! それに僕は! 主人公になるのを諦めたことは一度もないんだ! 君を助けるのもあきらめない! きっとタッドもそうする!」


 そう言って、私を守るのを、止めてくれなかったのです。

 アルさんが私を庇ってどんどんボロボロになりながらも森の奥地へと逃げ続けていく。


(どうして……)


(あなたの事、 傷つけたでしょう。)


(ずっと無表情だったあなたが私の言葉で狼狽していたもの。)


(お父様にお会いできて、 拒絶されて、 悲しかったから……だからって傷つけていい理由にはならないのに……)


(私、 最低なんですの。 お願いだから、 私なんかのために傷つかないで。)


(本当に自分勝手……傷つけておいて、 傷つかないで、 なんてどの口が言っているの……)


 逃げ続けてきて必死だった私達ですが、その時異変に気づきました。


 濃い魔素の影響で星空のように光っていた木々が発光を止め、鬱蒼とした真っ暗な森に変わっていたのです。


 そして、オオカミの魔獣とは別に、暗闇で見えない森の方から胸焼けする程の獣臭を感じましたの。


 オオカミの魔獣も異変に気づいたのか、私達に一定の距離をとっていますが逃がすつもりはない様子。

 一晩中でも狩りができるといわれるオオカミとは違ってこちらは満身創痍といった状態。


 私を庇い続けて、鋼鉄で作られた体も爪痕だらけになってしまっているアルさん。

 何もしていなくてもアルさんに触れていただけの私ですが、呼吸は荒くなってしまい、おそらく立って歩くのがやっとの状態でしょう。


「ソロル……前に本で読んだことがある。……星空の森には魔素を吸って巨大化した森の魔獣トレントがいるって。 常に魔素を吸い続けているから、 そいつの住処では木々の魔素が発光できないとか。」


 剣の訓練以外では常に何か勉強をされていらっしゃったアルさんは博識なのでしょう。

 異変が起きた状況を正確に把握しようとされていらっしゃいました。


「魔素を好物としているらしいから僕には興味がないだろうし、 ソロルも僕に魔素を吸われて満身創痍の状態だ。……うまくいけば魔獣同士の共倒れが狙えるかもしれない。」


 アルさんはそう言って暗がりが深くなっている森の方へ駆け出しました。

 オオカミの魔獣はつかず離れずの距離を保ったまま追いかけてきます。


 ――そして。

 アルさんが予想した通りの『それ』は確かにおりましたの。


 むせ返りそうになるほどの獣臭は『それ』からではなく、『それ』の周りで朽ちているオオカミの魔獣たちの死骸たちから発せられているものでした。


 大きな牙と鋭い爪。

 虎のような姿をしていても全身が木片をつなぎ合わせた様に作られていて、顔の表面にはびっしりと苔が覆われています。


 驚愕してしまうのはその体躯の大きさ。

 虎の倍はありそうな巨躯でしたが、悠然と四足歩行する様はネコ科のそれでした。


『それ』、森の魔獣トレントは近づいてきた私達には興味を示さず、その後方にいるオオカミの魔獣に狙いを定めて一気に駆け出しました。


 大きな体躯には見合わない速度で接近されたオオカミの魔獣たちは口から火球を吐き出して応戦しますが森の魔獣トレントは真横に飛びのいて、いとも簡単に躱します。


 森の魔獣トレントの飛び回るかのような動きでオオカミの魔獣たちを翻弄して近づき、食い散らかします。


 牙や爪で反撃しても圧倒的に大きな体躯を持つ森の魔獣には大した傷にはならず、吐き出す火球は動きが速すぎて当たらない。


 あの速度で追いかけ回されても逃げることも出来ないのを悟っているのか、オオカミの魔獣たちは果敢に挑み続けては踏み潰され、爪で割かれ、大きな牙で噛みちぎられていきます。


 恐らくリムノス、エルでも数十人で訓練されて編成された一団でなければアレを討伐するなど難しいでしょう。


「ソロル。 あのオオカミの魔獣が放っているくらいの火球でいい。 火の魔導は使える? 」


 状況を静観していたアルさんが、私に尋ねる。


「え? ええ。 ですが、 すみません……今の体の状態では……多分一回程しか体力がもちません……」


 突然の質問の意図も読めず、今なお続いてる虐殺の光景に怯えながらも何とかアルさんへ返答しました。


 アルさんは抱えていた私をそっと下ろしましたの。

 そして。


「ずっと僕に触られていたんだ。 気持ち悪かったよね。」


 ばつの悪そうな表情を浮かべて、そう仰いましたの。

 それが、エーテルに触れ続けたエル人である私を気遣いだけで無い事がわかって閉口してしまいます。


 『不気味』


 とアルさんを形容してしまった事で余計に気遣われているのがわかってしまったから。


「こんなに一方的展開になるとは思わなかったな。 多分、 森の魔獣トレントは魔素量の多いオオカミの魔獣に今は狙いをつけているけど、 その後ソロルを狙うと思う。 そうなったらオオカミの魔獣より圧倒的に素早いあれから逃げ切るのは不可能だ。」


 アルさんは曇った表情で滾々と続ける。

 でも、それなら――


「でしたら……! 魔素を持たない、 あなた一人なら逃げられる可能性が有るのなら、 逃げてください!……私にはあなたがボロボロになってまで救う価値はありません……」


「それはできない。 僕は君を助けるのをあきらめない。」


「どうして!? 私は身勝手なことを言って、 あなたを傷つけたでしょう?」


「ソロルが言っていた通り、 僕はこれっぽっちも主人公ぽくない。 人間だった頃から言われていたんだ『からくり人形のようだ』って。 そして、 傷ついている君を……もっと傷つけた。」


 物語好きの私が勝手に理想を押し付けて、勝手に失望して逆上してアルさんを傷つけた時に言ってしまった台詞。


 なのに……私を傷つけたと逆に気遣ってくれている。


「人間だった頃から相手を思いやる事ができなかったんだ。 そんな僕だ。 もう人間に戻る事はできないのかもしれない……でも、 僕は主人公になりたいんだ。 あきらめたくない。 物語の主人公はこんな時に君を見捨てたりしない。 僕も身勝手な理由で君を助けたいんだ。 タッドもきっとそうする。」


 身勝手な私を助けたいのは、身勝手な理由だから気にするな。

 そんな暴論とも言える内容でしたのに私は反論できませんでした。


 これまで無感情の様にしか見えなかったアルさんが、相変わらず抑揚はないけど、必死に訴えかけてるのがわかったから。


 それが……初めてアルさんの人間らしい感情に触れたような気がしたから。


 その間も森の魔獣は殺戮を繰り返していて、顔に広がっていた苔は真っ赤に染まっています。

 10数匹いたオオカミの魔獣はもう1匹しかいない。


森の魔獣トレントが火球だけはしっかりと躱しているところを見ると火に弱いんだと思う。 木だしね。 僕の魔導絡繰からくりは風の属性だし、 あんなに速く動かれちゃ当てるのも至難だ。 だけど――」


 アルさんは今だけは僕を信じて合図をしたら火球を放つように言われましたの。


 森の魔獣トレントは素早く、いとも簡単に最後のオオカミの魔獣を大きな牙で仕留める。


 アルさんに触れ続けて魔素切れを起こしかけていた私には目もくれずその場を立ち去ってくれる事を期待しましたが、この魔獣はどこまでも貪欲。


 その大きな体躯を魔素で構成しているのだとしたらその貪欲さも当然なのかもしれません。


 獣の咆哮を上げながら私に向かって駆け出してきましたの。


 がくがくと震えてしまう全身に抗って聖紋スティグマに魔素を流して火の魔導を放つ用意をする。


 アルさんは背負っていた大太刀の魔導絡繰からくりを腰に据えて体勢を低く構えをとっていらっしゃいました。

 刀は抜かずに鯉口にそっと右手を乗せていましたの。

 

(彼の言う、『主人公』というのは曖昧すぎてどんなものかわからない。)


(私を色んな運命から解放してくれるのが私にとっての理想の主人公。)


(アルさんは、 正直、物語の主人公ぽくない。)


(でも、 森の魔獣トレントの目的が魔素なら、 逃げようと思えば、 それができるはずなのに)


(私を助ける事をあきらめない。 そう言ってくれた。)


(身勝手な私を、 身勝手な理由で。)


(お父様は、 もう私を見つけてくれない。 見つけてくれたのは、……アルさん。) 


(私たちは似ているって。)


(無表情で無感情に見えたアルさんは、 不器用なだけで、 私とどう接していいかわからなかったんだ。 私と同じで。)


(今は……もっとこの人の事を知ってみたい。 そう思い始めている。)


(私にとっては主人公ぽくない、 なのに、 主人公を目指すと宣言した、 この人の事を。)


「ソロル! 火球を!」


「はいっ!」


 迫りくる魔獣へ向けて火球を放つ。

 瞬間、完全な魔素切れを起こした私は立っていることもままならず、その場に倒れ込むように両手を地面につきましたの。

 意識は朦朧としていましたが、火球が魔獣に当たった様な感覚はありません。


「はぁぁぁ!」


 怒号のようなアルさんの叫び声と共に、突如、目を開けているのも困難ほどの暴風が吹き荒れました。


 吹き荒れる風が止み始めて、何とか目を開けると、胴体の真ん中から切り裂かれ、文字通り真っ二つになった森の魔獣の姿がありました。


 そして、大太刀を抜いた剣撃で魔獣を切り裂いたと思われるアルさんの姿も。


 キンッ

 と高音を立てて納刀したアルさんは


「ありがとうソロル。 火球を放てば避けるのはわかってたからね。 その隙を狙わないと、 速すぎて僕だけじゃ当てられなかった。」


 窮地を脱したのを喜んでいるようには見えない抑揚のない声で、謝辞を述べていらっしゃいました。


(もう少し感情を出したしゃべり方をされないのでしょうか。 主人公ぽくないのを……気に……されるのであれば……)


 返答しようにも魔素切れを起こしてしまった私はそこで意識を手放してしまいましたの。


「僕は風の魔導絡繰からくりを利用した居合い斬り以外できないしね。 僕の逸話のほとんどはメグがやってくれてるし――」


 アルさんが謝辞以外の何かを言っていたような気もします――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る