第15話 ソロルの望郷 ~その1~

「……戻りたい。」

「お兄様の……」


 棒っきれのような木材を突き立てて、簡素な布地を被せてたくさんのテントを作っているエル兵営。


 アルお兄様との戦闘後。

 いつの間にか救出されていた私は兵営の隅でうずくまって、ブツブツと望郷に駆られていることしかできませんでしたの。


 調整を施されてからは感情の波を抑える事が難しい。

 水面に小さな波紋がたつ程度の小石を投げ入れたとしても、津波になってかえってくるような。


 そんな状態の私ですの。

 大好きなお兄様にはもう私という存在そのものがいないだなんて――

 とても耐えきれるものではありませんでしたの。


「お兄様……お兄様、 お兄様、 お兄様、 お兄様、 お兄様、 お兄様……助けて……愛してる……資格がない…… お兄様、 お兄様、 お兄様、 お兄様、 お兄様、 お兄様……」


 お兄様は綺麗と言ってくれていた、くすんだ碧眼ではない深紅の瞳から流れる感情を止めることができませんの。


 私にとってはアルお兄様が主人公

 お兄様のヒロインは私でありたかった――


 でもお兄様にとって一番大事な人はタッドお兄様とメグお姉様。

 そんなこと、わかっていたはずなのに。


 お兄様の心が壊れてしまったのは全部私のせい。


 それでも、苦しんでいるお兄様を楽にしたいなどと言いつつ、あさましい私はいまだにお兄様を独占する事を考えてしまいますの。


 だからお兄様を殺して私のものにしてしまいたかった。

 それが叶わないのなら、殺されてお兄様だけのものにされたかった。


 せめて、せめて、憎んでくれてでもいてくれていたら私は喜んでその死を受け入れられたのに――


 何一つ叶わない。


 お兄様とシモンズさんの戦いすら見届けていない。

 機密情報でしたけど、あのフェイ様だって敵わなかったシモンズさんですもの。

 今のお兄様が戦ってもどうなってしまうかはわかりませんの。


 もしかしたら、お兄様はもう――


 それでも、あさましい私は資格もないのに望郷してしまいますの。


 大好きでしたの。


 アルお兄様も、タッドお兄様も、メグお姉様も、フェイ様も。

 私を大事に育ててくれたライラさんも。


「戻りたい……」


 資格もないのに、止められませんの。






 私が戻りたい、あの頃、あの場所へ






 赤煉瓦を野面積みで建てられたお屋敷。

 一階には食堂や喫茶室、二階は家族の居室となっていて私の部屋も用意して頂いておりますの。


 喫茶室で紅茶を飲みながらライラックの紫花が咲き乱れている庭園を眺めていると物語の世界に入り込んでしまったような気持ちになりますの。

 ですから、大学の寮に入ってからも週に一度はこの場所へ来させて頂いておりますの。


 私はエル神国辺境伯の娘ソロル。


 でも私はリムノス辺境伯、ライラさんに身柄を預かっていただいておりますの。


 人質だから。


 エル神国とリムノス王国が和睦を結んでから長い時間が経っても双方憎みあう人たちは後を絶ちません。


 ですから、開戦時には権力をもつ両国の辺境伯同士が人質を出し合いますの。


 お互いの人質を教育して好印象を与えることで、人質が返還された際に円満な外交関係を結べるようにとのことで始まったそうです。


 そのせいか――

 いえ、ライラさんが優しいのは元からですね。


 両国人種が在籍するエリス大学に通わせてもらっているのも感謝しています。

 監視という名目で警護の方までつけて頂いております。


 あんたの好きなようにやってくれてかまわないよ、 と。


 お屋敷に慣れていなくて、人質という恐怖で夜中に一人で泣いていたら夜通しご自身の武勇伝、失敗談を話してなだめてくれましたわ。

 リムノスの首都から辺境伯のライラさんに理由をつけては会いに来る幼馴染さんの話なんかも。


 本当は泣き止むまで抱きしめてあげたいけど、この体じゃあんたには毒だからね、 と。


 ライラさんの体は美しい女性の姿を鋼鉄、エーテル鋼で作られていらっしゃいますの。

 エーテル鋼は長時間触れていると私たちエル人は体力を奪われてしまいますから。


 リムノスのからくり兵。

 私たちエル人と戦うために作られた兵器であったとしても私がライラさんを大好きであるのは変わりませんの。


 元のライラさんも綺麗な方だったと聞きましたが全然不思議じゃありませんわ。

 だってあんなに綺麗な心を持っていらっしゃるんですもの。


 でも、私は自分の容姿に自信が持てませんの。

 ライラさんは褒めてくれるけど少し黒味のかかった金糸に、くすんだ碧眼。


 それで、自信がもてない私にライラさんは物語のお嬢様のような格好を用意してくれましたの。

 本好きで空想が好きな私の事を慮ってくださるのがわかりました。


 薄いピンクのワンピース。

 スカートのウェスト部分には大きなリボン。

 真っ白なパンプスにもやっぱりリボン飾りが装飾。


「あたしには似合わないけど、 あんたには似合うと思ってね。 うん。 やっぱりあんたはあたしのかわいいお嬢様だ。」


 かかっと笑って私を元気づけてくださいましたの。

 そういわれた私はいろんな感情がないまぜになって頬が赤くなったのを感じましたの。


 かわいい―― と言ってくれたのが嬉しかった。

 あたしの―― と言われたのが嬉しかった。


 でもきっと、ライラさんの方が似合いますの。

 大人の女性として振舞っても魅力的ですが、清廉潔白なライラさんですから。

 水王すいおう候補と言っても、いつも兵装でいらっしゃらないでもいいと思いますのに。





 その日は、お屋敷に戻るよういわれてましたの。


 ステンドグラスをはめ込んだ大きなドアの玄関前で私にライラさんが青い顔をして迎えてくれましたの。


 いえ、ライラさんは鋼鉄でいらっしゃいますが、その時は本当に青い顔をしていように感じましたの。


「もうすぐ、相生あいおいの儀が近いよな。 ソロルしっかり踊れそう?」


 大丈夫―― なわけがないですの。

 大学でもあまり体を動かすことが得意ではなく、本の虫の毎日を送っているのですから。


「だよな。 いや、 完全にあたしが悪かった。 できるだけ好きなことをやらせてやりたくてなんて言い訳をしちまうが、 それでもこれだけはちゃんとやっておくべきだった。」


 いつも自信満々なライラさんが珍しく、しゅんとしていらっしゃいましたの。


 相生あいおいの儀。


 別の場所で育った木の幹が途中で一つになるかのように、両国の人質同士が舞踊を披露する。

 舞踊の種類は基本的に社交ダンスが多いらしいです。

 更にはソロで踊るパートもあるとの事で、私にとってはハードルは上がり続けます。


 お互いの平穏無事、健やかに立派に育っている事を証明し、両国繁栄を願う重要な場ですわ。


 両辺境伯である、私のお父様やライラさん。

 両国の要人がご出席されるので私がきちんと踊れないと戦争―― なんてことにはならないでしょうけど、それでもいろんな方の顔に泥を塗ってしまうのは確かですの。


「どうしましょう…… ライラさん。 私怖い。」


「まぁ待て待て。 さすがにあたしも無策ってわけにもいかないと思って、 ツテをたどって家庭教師を頼んでおいた。 あまり出席はしてないようだけどあんたと同じ大学に通ってる。 内気なあんたは知らない奴と関わるのは大変だろうけど、 今回は我慢してくれ。」


 家庭教師―― 知らない人。


 ライラさんに我慢してくれなんて言われたのは初めてでしたの。


 だからこそですの。


 私が一番尊敬する、いえ、大好きなライラさんのためになるのなら、少しだけ頑張ろうという気持ちになりましたわ。

 本当は逃げ出したい気持ちでしたが。


「さっそくで申し訳ないけど、 しばらく大学は休みだ。 家庭教師には既に屋敷に来てもらってる。」


 ライラさんに連れられて客間に入ると三人のお客様がいらっしゃいましたの。


 見るからに快活な黒髪黒目の私より年上の少年。

 私より明るい金糸に宝石の様な碧眼へきがん、おそらくエル人の少女。


 そして――

 人形の様な美しい容姿をした男の子。


「タッド。 わざわざ悪いね。 クレディットの奴にも礼を言っておいておくれ。」


「兄ちゃんはライラさんの頼みは断らないだろうし気にしなくていいよ。 俺の事も全然気にしなくていいよ。 ライラさんとこで商売するときに色付けてくれたらそれで。 しかも俺、 踊れないし。」


(え…… そしたらこの人なにしにいらしたのかしら?)


 踊れないのにダンスの家庭教師、ライラさんは気にしていないようだけど、脅すような発言。

 私は少し寒気を覚えましたの。


「ソロルちゃん。 心配しなさんな。」


 私が困惑の表情を浮かべているとそれに気づいたタッドと呼ばれた少年は声をかけてくださいましたの。


「俺はタッド。 あんまり行ってないけど君と同じ大学に通ってる。 エーテル行商とか色々忙しいからな。 こっちがメグ。 君にダンスを教えるのはメグがやってくれる。」


 ご自身と、釣り目の碧眼へきがんが可愛らしい、物語に登場するようなお嬢様風の少女を紹介されました。

 ですがタッドさんはぐいぐいと話を進めて私に挨拶を返す暇も与えてくれませんでしたの。


「さ! ソロルちゃん! あいにょんの木だっけ? 早速特訓といこうぜ! ああ! アル落ち込むなよ! 話題には自分から入ってこい!」


「タッド、 あの流れなら僕の事も紹介してくれると思うじゃないか。」


「いいえ、 タッドが正しいの。 アルは何でも受け身すぎるのよ。」


 紹介されなかったのを落ち込んでいたら今度は総スカン―― なんの木か分かりませんし。

 ちょっとかわいそう。

 でも。


 ぐいぐいと話を進めていくタッドさんに困惑しているのが私だけじゃないと知って、その人形の様な男の子を見て少し安心してしまいましたの。


 私がお兄様たちと初めてお会いしたのがこの時でしたの。


 もちろんこの時いきなり思ったわけではないですが。

 本の虫で空想が好きな私ですの。


 美しい容姿でも私より不器用で。

 主人公を目指して、いつも一生懸命努力されて、でも、やっぱり不器用で。

 それでも絶対にあきらめないお兄様を私は――


 私もお兄様のヒロインになりたかったのです。

 あきらめたく、なかったですの。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る