第6話 竜種の恋~その3~

 腰まで伸びている金糸の髪はくるくると巻き髪を作られて、頭の中央よりすこし高い位置の左右で二つ結びにされて。

 少し吊り目の碧眼へきがんに似合うからと着せられた格好はネイビーでストライプ柄の入ったフレアスカート、その上には真っ白なニットにダークブルーの膝上までのロングブーツ。


 金髪ツインテール、ゴスロリお嬢様、という格好らしいわ。


 後から知ったけど完全に男の趣味をど真ん中に当てはめたような格好だったの。

 でも、その時はそんな事どうでもよかったわ。


 タッドにリムノス城に連れてこられて数カ月。

 私は色んなことを学んだわ。


 文字を、言葉を覚えた後は城にある書物を読み漁ったの。

 高い知能をもつ竜種の上に何も知らないで死んでいくこと恐怖した私だもの。

 途方もなく大きくて乾いたスポンジが吸っても吸っても水を吸収するかのように知識を蓄えていったわ。


 リムノスの書物庫に籠っていると私は、私がどんな事をしてきたか理解し始めたの。

 一人ぼっちで生きてきた私にはわからない。


 家族、というもの。


 それをいくつも奪い去ってしまった事。


 この世界の事を学べば学ぶほど、私は人間たちにとって悪魔にも似た存在だったの。

 そうすると心が大きく揺れ動いてしまい――


 魔素で大きな体を呼吸のように構成するのが当然の竜種。

 感情の波に耐え切れず書物庫で巨大な爬虫類のような見た目に戻ってしまう。


 つまりぶっ壊してしまったの。


 それはそうよね。

 人間サイズで作られた場所で突然巨大化してしまったんだから。

 突然鳴り響く爆発音のようなものが鳴り響いたので城内は騒然としていたわ。


 私は、逃げたの。

 自分が悪いのは分かってる。


 でも、あの時の、人間たちに囲まれてぶつけられた感情の数々。

 あれをまた、ぶつけられると思ったから。


 大きな姿のままだとすぐに見つかってしまうから人間の様な姿に戻ってから。

 走って、走って、走ったの。


 モクシュンギクの草原を目指そうかとも思ったわ。

 もしかしたらあそこで待っていれば覚えたばかりの知識である、家族が迎えに来てくれるかもしれないとおもったから。


 そんな可能性ものすごい低いことわかってたの。


(だって、 だって、 だったらなぜ生まれたばかりでなにも分からない私はあそこにいたの?)


(きっと捨てられた。)


(マーガレットという名前も両親がくれたわけじゃない。)


(便宜上名付けただけだ、 私を憎んでいる人間が。)


(それでも、 それでも、 もしかしたら。)


 思考がぐるぐると回ってしまって結局何の答えも出せないまま走り続けたの。


 怖いから。


 捨てられたと確信するのも、人間たちにあの感情をぶつけられるのが。

 だから人間たちと会うのが嫌で城も城下町も行きたくなかったの。


湖畔城こはんじょう


 という通り名がつくリムノス城は湖に浮かぶ小島に建築されていて、城下町へ行くには普段は連絡橋という橋を通る必要があるの。


 城にも城下町にも行きたくない私は連絡橋から飛び降りて泳いで対岸まで渡ったの。


 泳ぎきってそこでしくしく泣いていたの。


 リムノス城に連れてこられて初めてコミュニケーションというものを知ったけど私は一人のままなの。

 だって知識も言葉を得ても私だけが竜種。

 人間とは違うし、それに――


(人も、 いっぱい食べっちゃったの……)


 お城にも、城下町にもモクシュンギクの草原にも戻ることのできない私はその場所で佇んでいるしかできなかったの。






 泣き疲れてからは座り込んでぼーっとしていたわ。

 タッドが用意してくれていたお嬢様のような格好も泥だらけで巻いてくれた髪もすっかりぼさぼさになってしまってたの。


(本当はお嬢様でもなんでもない、 ただの竜種マーガレット。)


(ただの、 人食い竜種。)


 洋服がすっかり乾いた後も座り続けていたら夕暮れ時になってきていたわ。

 夕日が浮かぶ湖に映り込む石造りのリムノス城と、遠巻きながら喧騒の聞こえる城下町をみていたの。


 湖の上では水鳥たちがはねて飛び回っていたり、その光景を見た私は思ったの。


(これが、 綺麗。)


 モクシュンギクの草原でも同じように綺麗な光景はいくらでもあったわ。


 見渡す限り一面雪に包まれた時、月明りがその銀世界を照らしているとき。

 雪が解けて白い花弁が一面に咲き乱れているとき。


 同じような心境になっても言葉を覚えてからはっきりとその言葉を思ったのはこの時が初めてだったの。


(この場所が綺麗だからお城を建てたのだとしたら、どうして同じような気持ちを感じることのできる私は人間と違う生き物なのかしら……)


「メグ、 はっけーん!」


 聞き覚えのある声。

 いえ、人間たちの中で一番私に話しかけてきて、私に洋服を着せてくれたり、本の読み方を教えてくれたり。

 ……私が食べちゃった人の遺族へ補償を払ってくれたり。


 本当は体を無意識に大きくしてしまって建物を壊したのは今日だけじゃないの。

 そのたびに私をかばってくれて。


 だから、感謝をしなきゃいけない人なのはわかってるの、色々勉強したから。

 でも――


「なーんてね。 本当はメグが書物庫ぶっ壊した後、 逃げてる時から追いかけてきてたから。 ずーっと場所はわかってたよ。」


 タッドは王族らしくビンテージのゴシックコートを着ていたけど泥だらけになっている様子は少年そのものだったの。


「タッド。」


「ん?」


「馬鹿なの?」


(竜種と人間なのよ。 頑丈さもちがうの。)


「あ。 ばれた? やっぱり。いやー、 メグが突然連絡橋から飛び降りるもんだから俺も慌てて飛び降りてみるじゃん? そしたらあっという間に失神しちゃったみたいでさ。 気づいたらここまで流されちゃってたのよ! んで! メグがいたから声をかけたってわけ!」


(それっていわゆる九死に一生を得るってやつじゃないのかしら?)


(何でこんなにあっけらかんとしていられるのかしら。)


「タッド。」


「ん?」


「怒らないの?」


「? なんで?」


(なんでって。 色々あるでしょ? 建物いつもぶっ壊しちゃったり、 逃げたり。)


(いつも……避けたりして……)


 人間に感情をぶつけられるのは怖いかったの。


 でも、私が何をしてもいつも笑っていて感情の見えないタッドはもっと、怖かった。


「ああ、 そういう事か! 馬鹿にすんなよ! 俺だって怒るときは怒る! シモンズの野郎が俺をちんちくりん扱いした時はあいつの訓練用の魔導絡繰からくり全部見えないようにぶっ壊しといた後、こっちは万全状態の魔導絡繰からくりで挑んで……ボコボコにされたな。……とにかく俺だって怒るときは怒る。」


(それなら、 余計……)


(なんで、 なのよ。)


「俺がメグを怒らないのはメグがわかってなさそうだからだよ。」


 相変わらずあっけらかんとしてタッドは私に言ったの。


 でも、でも。


 その言葉は――

 その言葉には耐え切れず、思わず激高してしまったの。


「!―― そうよ! 何もわかってなかったわ! だって! 私は気づいたらあの場所にいて!……一人ぼっちで!……誰にも何も教えてもらえなくて……食べるものだって……わからなくて……」


 タッドに言ってもしょうがない事だったの。

 でも、ずっとずっと胸の内にはあった気持ち。


「私はモクシュンギクのあの場所で……強かったのよ! 誰も私を止められなかった!……だから……食べれてしまったの! 何でも! 牛も! 鳥も! 魚も! 魔獣も!」


 溢れてしまって、止められなかったの。


「……人間も!」


(何も知らなかったし、 教わらなかったの。)


「自分の見た目が人間に近しい姿になることだって、 シモンズにあれだけ追い詰められなかったらわからなかった!……そしたら私はずっとあの場所で食べ続けてた! あなたたちが悲しむことなんて……考えもしなかったわ!」


「メグ。」


「メグって、 マーガレットって誰よ! それも本当の名前じゃない! 私の両親は私に名前すらくれなかった! 名前をくれたけどあなた達は私を憎んでる! だから誰も私に近寄ってこない! 近寄れたのは私が食べる時だけ! だからあなた達は私が怖いのよ!……でも私だってあなた達が怖い! だって……だって!……私だけ竜種で私と同じ生き物は……他にいない……見た目だけ人間みたいになっても……自分が何を食べてたかわかって……だから結局私は人食い竜種で……」


「おい。 メグ。 聞けって。」


 その時タッドが真剣なまなざしで私を見ていたの。

 思えばタッドがこんなに真剣な顔をしているのは初めて。


 タッドはいつも笑うのも驚くのも人一倍派手で。

 私とは違っていつも誰かと一緒にいて。

 みんな、楽しそうで……


「俺はメグを怒らないよ。 メグがわかってないから。」


「……だから!……」


「メグ。 見ろよ。」


 ばっと指さした方向は湖畔こはんに浮かぶリムノス城。


 夕日も沈み、辺りは暗闇が染まり始めていたけど、それでも湖畔こはんに反射するリムノス城はやっぱり、綺麗だった――


「俺のすげー前のじいさん、 初代からくり王があの城をおっ建てたんだが、 じいさんはなんだってこんなロマンティックな場所に建てたんだろうな?」


 

 

(え? いま?)


(それを私に聞くの? 私の話きいてたの?)


「じいさんは俺とは違ってすげーつえぇ人だったらしいから殺した人間の数はメグよりずっと多かっただろうな。 そんなじいさんもこの光景が好きだからここに城をおっ建てたんだと思う。」


「……」


「俺もよくここから城を見るよ。 普段は連絡橋から飛び降りないけどな。 次やったら死ぬだろうし。……メグもきっとここが気に入ったんだろ。 だから俺がのびてる間ずっとここにいたんだろ?」


「そうね。 そうかもしれない……それがどうしたの?」


「話の腰を折るなよ。 ん? 俺もメグの話折ったか?」


 タッドの話がよく分からないのはきっと私が竜種であることは関係ないの。

 タッドは話したいと思ったことを片っ端から言っていくだけだから。


「まぁいい。 聞いてくれ。 たしかに俺たちは種族も、 持って生まれた強さも違うんだろうな。 でも俺は今のメグ自身が分かってないことがわかるよ。 それは種族とか関係ないからな。」


「だから……何?」


 私が何もわかってなかった事なんてわかってる――

 言いかけた瞬間。


 抱きしめられた。

 タッドに。


 タッドはまだ少年で身長は私より少し小さかった。

 お互い泥だらけだし、なんとういうか男女の色気の様なものはなかったと思うの。


 子供同士がじゃれあうような、タッドは私の頬に自分の頬をぐりぐりと押し付けてくるし。


「な、 なにしてるの?」


「メグがして欲しかったこと。」


「わ、 私、 頼んでない……」


「だろうな! 気づいてなかったっぽいし!」


 やっぱりタッドとの会話はかみ合わない。

 急に抱きしめられて、戸惑っていたの。

 それでも竜種の私が力をこめれば簡単に振りほどく事はできたと思うの。


 でも。


 しなかったの。

 だって、びっくりしたけど。


 私を抱きしめるのをやめてほしくなかった。

 

 ずっと触れていてほしかった。


 そしたらポロポロと止まらなかったの……


「泣いてんの? メグ?」


「わ、 わかんないの。 でも、 止まらないの……」


 最初は頬に涙が流れる程度だったの。

 でも段々しゃくり上げるような呼吸が止められなくなって。


 初めて、私以外の人が私に触れてくれたから――


「俺はずっとわかってたよ。 メグがでーっかい竜種の姿をしてても最初っから。 メグはね。 誰かに抱きしめてほしかっただけなんだってね。」


「っ……そうなの?」


「そうなの! そんな子供を怒るなんて、 できないだろ?」


 私より小さなタッドに子ども扱いされて考える。


 野鳥が群れで飛び立つ前につがい同士が寄り添っていて。

 オオカミの魔獣の子供が親に甘えるように寄り添っていて。


 私は、私は一度も誰かと寄り添ったことがなくて。


「寂しかったんだよ。 メグは。」


「うぅ。……うん。 私の事みんな怖がってて。……誰も私に近づいてきてくれなくて……」


「うんうん。」


「ここに来てからもあなた達は私の事怖がってて、 私もあなた達の事怖くて。 でも、 本当は近づいてきてほしくて。 でも、 でも、 色んな事、 学べば学ぶほど私にその資格がなくって……」


「メグ。 人間だってエーテルを加工するためにいーっぱい火が必要だから木をめっちゃ伐採するんだよ。 その時生き物もいーっぱい殺してる。 そん時殺された生き物が言葉を話せないだけで、 人間だっていーっぱい恨みは買ってんのさ。 人間だけが文句を言えて、 ずるいくらいさ。……遺族の方には言えないけどな。」


 遺族……と聞いて私の体がびくっと反応する。


「メグ。 これからだ! 大事なのは未来にしかないんだって! ん? 俺がこう思えるようになったのは母ちゃんとの思い出のおかげか? まぁいいや。 メグ。 俺はこれから色んな商売をやろうと思ってる。 多分いろんな人を助けられる事に繋がるはずだ! いや、 メグがぶっ壊した建物の費用とか立て替えて金がないってのもあるんだが。 父ちゃんと兄ちゃんが絶対払えって言うし。 とりあえずメグは室内禁止ね。 あぶねーから!」


 矢継ぎ早に話してくるタッドの会話に耳を傾ける。

 デリカシー、というものは皆無なの。


「メグ! 俺を手伝ってくれ! 俺はめっちゃ弱いから、 めっちゃ強いメグの助けがいるんだよ! 種族なんて関係ない! 見た目も違う! でも同じものを綺麗と思う気持ちは一緒だろ! だれが名前を付けたかなんて関係ない! 俺にとってメグはメグだ! メグが寂しいなら俺がずっと傍にいてやる! だから……頼む!」


「ずっと傍に……そ、それって……!」


(プロポーズ!)


(プロポーズよね! それって!)


(つがいになるってことよね?)


(本で読んだの。)


(人間の男の人が好きな女の子に抱きしめながらずっと傍にいてっていうのはプロポーズだって!)


(え? じゃぁタッドは私の事!)


(私は、 私はどうなのタッドの事。)


(私の事いっぱい助けてくれるし、 というかさっきからなにこの気持ち?)


(きゃー! わかんない! わかんないけど!)


「……しゅきぃ。」


「ははっ! なんだよそれ! ほんっとにメグは子供だな! 俺が守ってやんないとな! そんかわしメグも頼むぜ!」


「ま、まもってくれる……しゅ、しゅきぃ。」


 一気に頭の中がお花畑になってしまった私。


 もう、このあとは会話にならなかったの。

 結局タッドは自分の言いたい事しか言わなかったの。


 私が食べてしまった人たちとその家族の事とかはどうしていいのか分からない。

 それでも――


 タッドが必要としてくれたのが嬉しかったの。


 だから、単純なタッドの事をもーっと単純な私は恋をしたの。

 好きな人に頼まれて断る事なんてやっぱり、できないのよね。


 ちなみにやっぱり、プロポーズじゃなかったの。


 私が白無垢かウェディングドレスか悩んでいたら珍しくまじめな顔をしたタッドが


「え?」


 だって。


 きっとタッドって、とんでもない女たらしになると思うの。

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