第5話 竜種の恋~その2~
私は、私が生まれたときを知らない。
いえ、タッドだって生まれたばかりの頃は覚えていないだろうけど。
竜種は生まれてすぐにでも活動できるらしいの、なのに私は親を知らない。
気づいた時にはもう一人だった。
今と体の大きさもそう変わらなかったと思うわ。
きっと私を生んだ竜種は私を捨てたの。
千年は生きるといわれる竜種なのにその絶対数は人間と比べて圧倒的に少ない。
寿命を全うしない竜種も多いと言うし竜種が子を産むのは数百年に一度の排卵期のみ。
一生のうち二度もあれば多いほうといわれている。
人間と比べると圧倒的に早熟で高い知能を持つ竜種だ。
数年育てれば、人間でいう成人を迎えるのに。
私の両親は千年の寿命のうち、数年ですら娘に費やしてくれなかったのだろうか。
私が最初に覚えている風景。
それはモクシュンギクの花が一面に咲く草原だ。
草原の向こうに小川のせせらぎがあり、野牛の群れや名前も知らない小さな鳥たちが飛び回っていたわ。
今思い出しても穏やかな光景だったの。
ただ、一人なのは私だけ。
もちろん私以外にもよく考えれば一人で過ごす生き物もいたの。
一人で過ごしてはいても同じ種族の生き物はいて、私と同じような大きな外見をした生き物は私だけだったわ。
他に竜種という存在はいない場所。
何も知らなかった。
何もわからなかった。
「なぜ?」
というような感情は幾度も巡ったの。
その時の私には言葉はもちろん、自分が竜種という存在だということも知らなかったの。
初めに困ったのは空腹ね。
食べたら空腹が満たされる、というのは本能でなんとなく理解していたけど竜種が何を食べるかもわからないし。
そもそも自分が竜種だということも分かっていない私だ。
色んなものを食べてみたわ。
巨大な体躯、頑強な鱗を備える竜種に敵う生き物はそこにはいなかったの。
誰も教えてくれなかったけど、狩りをする時に便利だったので大気に満ちた魔素に働きかけて地水火風の魔導を操ることも覚えたわ。
火球を放って野牛を仕留め。
風の塊を飛ばして野鳥を撃ち落とし。
川に水圧を与えて魚達を陸地に舞い上げたり
たまに魔獣と呼ばれる存在も少なからずいて。
竜種の私が言うのもなんだけどそいつらは見るからに毒々しいのよね。
大蛇に何本も手が生えていたりとか――
オオカミのような見た目で全身にたくさんの角を生やしていたりとか――
でもどんな魔獣も結局、私には敵わなかったわ。
なにせ竜種は絶対数こそ少ないものの生き物としては最強の種族といわれてるんですもの。
教えてもらうまでは知らなかったけど。
人間たちを見かける機会もあったわ。
付近にエーテル鋼の採掘場があったなんて当時の私には知る由もなかったの。
人間たちは私を見かけると大声を上げて一目散に逃げてたの。
「竜種!」
とか――
「化け物!」
人間たちが発していた言葉は理解できなかったけど全部覚えてる。
そして……
食べたの。
野牛も野鳥も、魔獣も……それ以外も。
……我ながら悪食だわ。
だって食事にマナーなんてものがあるとも思ってなかったし。
食べたらいけないものがあるなんて思いもしなかったわ。
今ではタッドより全然マナーに詳しいけど。
彼ったら王族なのにそれらしく振舞おうとしないのよね。
……とにかく。
四苦八苦しながら数年、モクシュンギクの草原で過ごしたわ。
ある時、気づいたの。
いえ、ずっとあったの。
最初に私が私を認識した時。
初めからあったけど、時が経てば経つほど胸にぽっかりと穴が空いたような感情。
どんどん大きくなっていったの。
野鳥が群れで飛び立つとき。
小川で魚が群れで泳いでる時。
オオカミの魔獣の親子を見かけた時。
私だけ一人。
私だけが竜種。
私はその感情がなんなのか知らない。
だって誰も教えてくれない。
野牛も野鳥も魔獣も人間も私を見ると怖がって近づこうとしない。
私は食べる時しか他の生き物に近づかない。
だから怖いのかしら?
でも、でも、他の近づき方を知らないの。
教えて。
誰でもいい。
どうして私は一人なの?
どうすれば一人じゃなくなるの?
幾度かの季節が過ぎたの。
その場所で年月の変わりは分かりやすかったわ。
年中咲いているモクシュンギクを雪の灰色で風景が塗りつぶされてしまう。
灰色が溶け始め、白い花弁が見渡す限り満ち満ちた時。
私は人間の兵士たちに囲まれたの。
人間の兵士たちが怒号をあげているのとは対照的にとてもよく晴れた朝だったわ。
兵士たちは皆
「マーガレット! 父さんの仇!」
「おまえさえ! おまえさえいなければ兄ちゃんは!」
「竜種を倒して、 称号を得るんだ!」
唾を飛ばし、興奮した一団はほとんど目が血走っていたのを覚えてる。
モクシュンギクの草原にいる竜種マーガレット。
人間たちは私をそう呼んでいたのよね。
名前という概念もない私にはまったくなんのことだかわからなかったわ。
戸惑う私をよそに兵士たちは
兵士たちの武器から放たれる火球や氷柱。
魔導自体は正直そんなに痛みを感じない。
竜種の鱗が頑丈だから。
でも、私はその時。
怖かったの。
これほど大きくて、多くの感情をぶつけられたのは初めてだったから。
怒りという感情に触れることがなかったから。
(私が食べたことを怒っているの?)
(怖くて、 怖くて、 どうしていいかわからない。)
(こんな時にどうすればいいか。)
(どう生きてくればよかったの。)
(誰も教えてくれなかった。)
(思ったとおりに生きていくしかなかったの。)
(だから。)
私は大気の魔素に働きかけて強風を作り出し兵士の一団を吹き飛ばす。
強風を切り抜けた兵士には尻尾を振るったり、体当たりしたり、竜種の全身をつかって抵抗したの。
少しでもいいから、遠くに行ってほしかったの。
私に感情を向けてほしくなかったの。
兵士一団は吹き飛ばされ、薙ぎ倒され完全に瓦解寸前だったの。
その時。
「結局、 いつも俺なんだよな」
長身痩躯の兵士が瓦解しかかった一団の前に立ってたの。
竜種よりは全然小さい。
でも人間の中では痩せっぽっちだけど背の高い人。
「気乗りしねぇ任務だと思ったら、 やっぱり気乗りしねぇ。 ガキの竜種が、 なんだってこんな人里近いとこに住み着いちまったんだか」
この兵士がこの時本当に怖かったの。
これも当時の私が知る由もなかったけど。
リムノス国より歴史の古いエル神国では地水火風の名を関した
リムノス国でも地水火風の名を関した
リムノスではからくり王が政治を担うけど、当代最強の兵士に
選定条件が最強であることなので炎の称号を得ていても実際に得意とする魔導絡繰(からくり)の属性が違っている事も少なくないとか。
つまりはリムノス王国最強の兵士。
私はもちろんシモンズを知らなかったの。
それでも、この兵士の持つ空気に他の人間より圧力を感じていたわ。
図体は私のほうが大きいけど、人間の子供が初めて大人に殴られそうになった恐怖の様な感覚なのかも
シモンズはがさごそと軍服をまさぐり、
鋼鉄で出来た手のひら大のボールを取り出すと、いくつも私に投げつける。
突如――
バチンっ。
と体に衝撃が走り、私は膝をつく。
大気の魔素を使って魔導を操れる私は自分が何をされたのかを理解した。
真夏の日、突如として降り始めた豪雨と共に発生する。 あれね。
雷を投げつけられた。 と思ったの。
鋼鉄のボールはバチバチと帯電して私の体付近で弾けたの。
竜種の鱗をもってしても衝撃で一瞬動けなくなった私の隙をシモンズは見逃さない。
人間の肘から手首までありそうな長さのナイフ型の魔導絡繰(からくり)を両手に携えて
私の足を切りつけ、同時に
(痛い! 痛いの!)
何をされているかもわからない私は魔素で強風を作り出し、シモンズを遠ざけようとする。
正面にナイフの
その隙に竜種の鱗を切りつけると同時に焼いたり、凍らせてくる。
切りつけられるのを嫌がる私が尻尾を振るって反撃をしたの。
シモンズは後方に宙返りして尻尾を躱す、そして抜け目なく鋼鉄のボールを私へ投げつける。
バチンっ。
膝をついた私へまた切りつけてくる。
そのあとはずっと一方的な展開。
魔導の強風で反撃しても。
人間よりも圧倒的に大きな体躯で反撃しても。
シモンズはまったく動じず、躱して私を切り刻んだの。
凍らせた部分を焼きながら切られると竜の鱗を貫通して生身の部分に当たったわ。
(痛い! 痛い!)
魔獣に反撃されて傷を負うことがなかったわけではないわ。
それでも、こんな一方的に為すがままにされるのは初めてだったの。
シモンズが両手のナイフを振りかぶる。
瞬間悟る。
致命傷だ。
私だっていくつも獲物を狩ってきた。
どこをどうすれば生き物が絶命するか。
私も、工夫したの。
この攻撃は、それだったの。
(知らない。)
(分からないの。)
(どうしてこんなことになっているの。)
(どうすれば私はよかったの?)
(私、 私は……)
(何も食べちゃだめだったの?)
(生きていてはいけなかったの?)
(だから――)
(だから一人なの?)
「やめろシモンズ!」
瞬間、シモンズの絶命の一太刀がすんでのところで止まる。
私はこの時のことを忘れない。
「そいつ! 泣いてんじゃねぇか!」
大好きな人の声を初めて聞いた、この瞬間を。
「まだ生きてる、 そりゃ、 鳴くだろ」
「意味がちげぇ! お前が怖くて泣いてるんだよ!」
今のタッドも小さいけど、この頃はもうちょっと小さかったわ。
彼の背がいつ、どれくらい伸びていったのかはぜーんぶ覚えてる。
……話が逸れるわね。
絶命の一撃を制止してくれたのはまだ幼さの残るタッドだったわ。
シモンズの部隊に同行していたのね。
「竜種ってでかいんだろ! 火とか吐くのかな!? 見たい! 父ちゃん! 兄ちゃん! なぁいいだろう!?」
なんて、理由がタッドらしいの。
王族でこんなに天真爛漫でどうやって諸侯の方と付き合っているのかしら。
でも、でも、そんなところも。
しゅきぃ。
シモンズに散々切りつけられて、ぜぇはぁと息も絶え絶えな私。
一歩も動けないどころかもう尻尾を上げることすらできなかったの
だから、見てるしかできなかったの。
何を言いあってるか分からない二人を。
「泣いてるとして、 なんだ?」
「図体でかいだけでまだ子供じゃねぇか! 見りゃ分かるだろ! 子供からすればお前みたいなのは怖いんだよ!」
「それはまぁ、 怖かっただろうな。」
「そうだろ! もう十分だって!」
(そうよ、 すごく怖かったわ。)
言葉はわからないの。
でも二人の感情はなんとなく感じる事ができたわ。
「それで、 お優しい王子サマはこの人食い竜種を見逃そうってのか? 逃がして、 またどっかで食い始めたらどうすんだよ?」
「見逃がさねぇよ!」
「殺さねぇ、 見逃さねぇ、 じゃぁ、 どうしたいんだよ?」
シモンズはずっと呆れたような口調だったの。
タッドはこの頃から変わらない。
自信たっぷりで声ばっかり大きくて
「俺の家に連れて帰る! シモンズ手伝え!」
「えぇ……」
タッドのドヤ顔に対して
シモンズの呆れを通り越した困惑の表情は印象的だったわ。
「でかすぎるだろ……どうやって運ぶんだよ……しかも家って、 リムノス城じゃねぇか。 困るやつ、いっぱいいるだろ……いや、 まず、 そういう問題じゃなくてだな。」
私に反撃も許さず、散々切りつけてきた人がタッドの言葉で本気で困ってるんだもの。
タッドはものすごい怖い人なのかと思った。
ごめんね。
そんな事全然ないのに。
しばらく私、タッドの事を避けてたね。
ドォン。
私はもうずっと限界だったの。
ぜぇはぁと呼吸するのも辛くて、大きな体が倒れこんでしまうのも必然だったの。
「わっ! びっくりした! あ! でも連れて帰るチャンス! 頼んだぞ炎王(えんおう)! お前ならできる!」
「いや、 急に役職で呼ばれても……なんなの? お前。 え? しかも他人任せなのかよ……正気かよ?」
二人の喧騒の中、私は初めての感覚に囚われていたわ。
竜種は体を魔素で構成するの。
呼吸するのと同じように、無意識で。
それはそうよね。
こんなに大きな体、魔素で構成されていなければ立つこともできないかも。
この時の私は呼吸することすら辛かったの。
魔素で肉体を構成できなくなる位、疲弊してたの。
そしたら、どんどん体が小さくなっていくのがわかったわ。
獲物を切り裂くのに役立った鋭利な爪にひけをとらない鱗をまとった腕は――
丸みを帯びているけどか細い腕になって。
竜種の巨体を支え、数多の魔獣を踏みつけた足は――
小さくなった上半身に比べて、細長いのに太ももやふくらはぎは張りつめたように艶やかになって。
きゅっとしまった腰に対して曲線のある胸。
金色のたてがみに青玉を思わせる
自画自賛かしら。
でもタッド曰く。
「メグはめっちゃかわいいと思うよ!」
しゅきぃ。
(でもなんでかわいいと思ってる子に火球ぶっ放すのかしら?)
(前々から思ってたけど私の好きな人ってだいぶ変わってる。)
(というかちょっとおかしいわよね。)
(竜種の私が言うのもなんだけど。)
……まぁいいわ。
そんな人間の女の子のような姿に変わっていったの。
素っ裸だけど。
もちろん、服なんて着たこともかったし恥しいっていう気持ちも知らなかったの。
知ってたとしてもそれを感じる余裕、ないからこうなったわけだし。
そこで本当に限界の限界。
意識が途切れたの。
「あ、 あらー。 思ったより大人だったのね……w。」
訂正、私の裸を見てニヤけてたタッドは覚えてる。
ワロタ、じゃないわよ。
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