6、仮面、黒猫を宥める
建物と建物の間、道とも呼べない狭い空間に、仮面は滑り込んだ。
壁際に積み上げられた木箱を盾代わりにして、その影に隠れるように座り込む。
それまで抱えていた黒猫を下ろし、意識を失った彼女に肩を貸してやるような姿勢になった。
(どうする。どうしたら良い)
医者は黒猫を診てくれなかった。宿屋は今日は満室だと断られてしまった。
ライン王国にとって、黒は異国の色だ。二年前まで、異国の人間と言えば、口減らしのために売られてきた奴隷のことだった。
だから、黒猫の髪や瞳を見れば、彼女が元奴隷、あるいは奴隷の血を引いた娘だと、すぐにわかる────たとえ、肩の刺青を目にしていなくとも。
奴隷制度が廃止された時、国王は彼らの権利を守るため、元の主人が再雇用することを禁じたのだという。
奴隷は家畜だ。愛玩動物だ。もちろん彼らを大切に扱う者も居たが、それは人間としてではない。
奴隷達は人間になるために、主人の元から離れる必要があった。
だが、帰る家を失った元奴隷達の多くは、職を得ることができず、裏通りに流れたという。
裏通りは、娼婦や浮浪者、身寄りのない孤児が住む場所だ。そこと結びつきの強い元奴隷達は、人々から嫌悪されるようになった────
(そんなの言い訳だ。もう奴隷なんていないのに)
「··········仮面」
すぐ隣から、掠れた声がする。
いつの間にか、左肩に掛かっていたはずの重みが消えていた。
「ああ、起きた? 気分は? 今ちょっと休憩中なんだ」
「一つ、提案があります」
少し離れた場所で、黒猫は膝を抱えていた。口元に小さな笑みを浮かべて言う。
「別行動しましょう」
「··········は?」
「私が居るから、本部に戻れないんでしょう? あなた一人なら、誰かに《擬態》すれば何とかなります」
「··········さっきまでぴいぴい泣いてた奴が、何言ってんの」
「薬のせいです。不可抗力ですよ」
手を伸ばす。黒猫は身を引いて逃げようとしたが、仮面が彼女の額に手を押し当てる方が早かった。
「熱、まだあるな」
「少し、眠れましたから。先程よりは、楽になりました」
「まだまともに動けないだろ」
「大丈夫ですよ。あ、でも上着だけは貸してください。露出狂にはなりたくないので」
いつまでも手を押し当てたままでいると、黒猫に払い除けられた。口元に浮かんでいた笑みが消えている。
「あなた一人なら戻れるんです。足手まといになりたくありません」
「··········もし、あいつらに見つかったらどうする?」
黒猫は小さく息を呑んだ。
向き直って、正面から彼女を見つめる。発熱しているせいか、黒い瞳が潤んでいた。血の気を失った頬には、涙の跡が残っている。
「その時は、その時です。せいぜい目一杯抵抗して、時間稼ぎします」
握りしめた拳が白い。もしフラハティの手先に見つかればどうなるか────彼女は思い知っている。
(怖かっただろうに··········頑固だなあ)
「あー、うん。ごめん」
「仮面?」
「黒猫。抱っことおんぶ、どっちが良い?」
「··········。自分で歩きます」
「よしわかった。抱っこだな」
「ちょっと!」
抗議するのを無視して、黒猫を強引に抱え込んだ。肩に手を回した時に、傷に触れてしまったのか、黒猫が喉の奥で呻く。
「もしどうしても囮が必要になったら」
小さな子供を寝かしつける時のように、その背中に手を押し当てながら、仮面は囁いた。
『その時は、私が囮になります』
「────っ」
仮面の胸元に顔を埋めた黒猫には、仮面が今どんな姿をしているのかはわからない。
だが、声さえ聞けば────仮面が黒猫に《擬態》したことに気づくだろう。
《擬態》を解く。元の本人の姿に戻って、仮面は言った。
「大丈夫だよ。ちゃんと守ってやるから、心配するな」
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