4、仮面、地下牢から逃走する
目が覚めると、両手両足を縛られ、冷たい床の上に転がされていた。
(最悪だ··········後ろ手じゃなくて前なのがちょっとラッキーかもだけど)
腹筋を使って何とか身を起こす。
近くに黒猫の姿はない。少女の姿もない。仮面だけだ。
四方を壁に囲まれた、窓のない部屋だ。家具はない。天井からぶら下がる小さな裸電球が、部屋の中を淡く照らしている。
部屋の扉の上部にはガラス窓があり、中の様子を確認できるようになっていた。
まずは手首を自由にしようと、仮面は縄に噛み付いた。
壁の向こうから、足音が聞こえる。それから、下卑た男の声も。
「ホントにィ? ホントにイイのォ? ラウドォ」
「何度も言わせんなよ。イイに決まってんだろ」
「ホントにィ?」
「フラハティの旦那が好きにして良いって言ったんだ。ゴホービだよ」
「オンナァ?」
「はははははっ、どうだろうな。フラハティの旦那の好みじゃねえこたぁ確かだな。すげえブスかも」
「ブスはヤダァ」
「そう言うなよ。フラハティの旦那がお楽しみ中におこぼれを寄越すなんてそうそうないんだぜ、ゴホービだよゴホービ」
足音が止まる。ちょうどこの部屋の扉の前だろう。
(俺はご褒美ってわけね··········お楽しみが黒猫じゃなきゃ良いんだが)
手首の縄に噛み付くのを止めて、再びごろりと床の上に横になる。どうせなら期待に応えてやろうと思った。
目を閉じて、金髪碧眼の美少女を思い浮かべる。細身だが胸と尻は大きく、下卑た男ならすぐにむしゃぶりつきたくなるような美少女だ。
がちゃり、と鍵が開く音。男が二人、入ってくる。
床に転がっている仮面を見下ろして、男達は忍び笑いを漏らした。
『だ、誰っ!?』
今まさに目覚めた風を装って、目を開く。唇から零れたのは、か細く可憐な少女の声だ。
仮面の能力は《擬態》である。他者の外見や声音を模倣して、その人物に成りすますことができる。
『なに、なんなのっ?』
「ふへっへへへへ」
「カワイソーになあ、お嬢ちゃん。こんなとこで一人ぼっちで。俺達とイーコトしようぜぇ」
禿頭の小柄な男と、肥満体の大男。
身につけているのは上等な仕着せだが、裕福な商人の使用人と言うよりも、裏通りで賭場を仕切っていると言われた方が納得できるような凶相だ。
「そんな窮屈な格好じゃお楽しみもできやしねえな。おい、コリン、解いてやんな」
「けぇっへへへ、イイよォ、ラウドォ」
小柄な男───ラウドの指示に従って、大男────コリンが仮面の足元に回る。芋虫のようにぷっくりと膨らんだ指を蠢かし、コリンは仮面の足首を縛る縄を解きに掛かった。
『いっ、嫌っ! やめてよ!』
(そうだよな。女でお楽しむような奴なら、足から解くよな)
粗野な男に怯える少女を演じながら、仮面は冷ややかにそう思った。
コリンが縄を毟りとり、仮面の足首を掴む。
強引に股を開かせようとする男の手を、仮面は乱暴に振り払った。
「ほぇっ?」
「残念だったな、男だぜ!」
間の抜けた声を上げたコリンの首筋に、渾身の蹴りを叩き込んだ。その時には、仮面は金髪の美少女から白い仮面の針金男に戻っている。
白目を向いたコリンが昏倒する。残されたラウドは、腰の短剣を引き抜いた。
「てっめえ、何やりやがった!」
「何って蹴りだよ。悪いね、俺、見ての通り足が長いもんで」
腹筋を使って立ち上がる。あとは両手首を縛る縄だけだ。
「金髪のねーちゃんの蹴りだったらご褒美になったか?」
「ふざけんな!」
ラウドが突っ込んでくる。
胸元を狙った突きを、仮面は両手首の縄で受け止めた。
ぶつりと縄が切れる。右手首の皮膚が浅く切り裂かれたが、仮面は唇の端を吊り上げた。
「助かったぜ、ありがとな!」
目を見開いたラウドの脳天に、仮面は全力の頭突きをお見舞いした。
「ぐげっ」
喉の奥で濁った音を鳴らし、ラウドは仰向けに倒れた。そのままぴくりとも動かなくなる。
「痛ってえ、絶対こぶ出来ただろ、どんだけ石頭なんだよ」
手首に絡みついていた縄を払い落とし、額を両手で抑えて呻く。すぐに顔を上げ、仮面は小さな声で呟いた。
「··········黒猫、見つけないと」
こんなところで呻いている暇はない。
早く相棒と合流しなければ。
扉の向こうには、薄暗い廊下が続いていた。
窓はない。先程まで仮面が囚われていた部屋と同じ扉がずらりと並んでいる。
黒猫は、廊下の突き当たりで蹲っていた。力尽きたように壁にもたれかかる小さな影を見つけて、仮面は小さく呟いた。
「見つけた」
黒猫がゆっくりと、仮面の方を見る。目が合ったと思った次の瞬間に、彼女は短刀を仮面に投げつけた。
身を捻って何とか避ける。よく避けた俺と自画自賛している暇はない。黒猫が襲いかかってきた。
「待て待て待て待て待て待て。俺! 俺だってば!」
「··········かめん?」
横なぎに振るわれた短刀を大きく仰け反って回避。 体勢を崩したところに黒猫の足払いがまともに入った。慌てて転がって起き上がり、両手を上げて必死に叫ぶ。
そこで、ようやく黒猫は目の前にいる男が誰なのかを認識したようだった。
不思議そうに名前を呟いて、大きく息をつき、それからズルズルと座り込む。
「すみません。聞こえていたはずなのに、気付きませんでした」
「良いって、別に。それより」
「右手、怪我してますね」
「さっき怖ーいお兄さん達とドンパチやった時に、ちょっとな。かすり傷だから気にしなくて良いよ。それより────何があった?」
仮面は、黒猫に目線を合わせるように片膝をついた。
できる限り軽い調子で言うつもりだったのに、最後の方はどうしても硬い声になってしまう。
「フラハティです」
「え?」
「フラハティですよ。今回の犯人。私は記念すべき十人目なんだそうです」
服を着たまま水浴びをしたかのように、黒猫は全身ずぶ濡れだった。乱れた前髪から、ぽたぽたと雫が垂れている。
「洗いざらい全部話して聞かせてくれました。二年前までは奴隷を殺したところで何の罪にも問われなかった、家畜を屠殺することや害虫を殺すことと同じなんだと」
「そんなの────」
「ええ、そうです。詭弁です。でも、確かに二年前まではそうでした」
黒猫の着ている黒いシャツの襟元は、強引に引き裂かれ、鎖骨や白い肩が露になっていた。肩から斜めに掛けていたベルトのおかげで、何とか上半身に引っ掛かっている。
彼女の左肩から腕にかけて、大きな鳥の刺青があった────かつて奴隷であったことを表す紺色の刺青が。
「身の程を知らせてやるのだと言ってましたよ。お前は人間ではない、奴隷なのだと。たとえ国王が奴隷制度を廃止しようと、この俺様は認めないと」
露になった首元に、細い紐の跡。
肩や腕のあちこちに、青黒い痣。
手の甲に、刃物で浅く引っ掻いたような傷。
服で隠れている部分がどうなっているのかはわからない。
「妙な薬を盛られて身動きが取れなくなったところで、殴る蹴る切りつける首を絞めると好き放題やられまして。何度か気絶しかけましたけど、その度に頭から水をぶちまけられて起こされました」
黒猫は、喉の奥で小さく笑った。
ある程度黒猫を痛めつけた後、フラハティは悠々と腰のベルトを緩めて見せた。
ズボンを下ろし始めた男ほど、隙だらけなものはいない。
黒猫は全力で男の急所を蹴りあげ、身悶えしているフラハティの鳩尾にとどめの一撃を食らわせて気絶させたのだと言う。
「フラハティが寝ている間に、証拠になりそうなものを頂いてきました」
「証拠?」
そう言って、黒猫はシャツの右ポケットから薄桃色の香水瓶を取り出した。底の方に、僅かに液体が残っている。
「あの男が私に注射した薬です。おそらく、違法薬物だと思います」
「そっか」
黒猫から受け取った香水瓶を、懐に押し込む。それから仮面は上着を脱いだ。
「よくやった。お手柄だな」
彼女の身体を包むように、上着を被せてやる。
黒猫は驚いたように大きく目を見開いた。
黒い瞳が、じわりと滲む。瞬きをした拍子に、ぽろぽろと雫がこぼれ落ちた。
少し躊躇った後に、仮面はそっと黒猫を自分の方に引き寄せた。
彼女の身体は冷えきっていた。泣き声こそ上げなかったが、がたがたと震えている。
「早く本部に帰って、治して貰おう。よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
────仮面が黒猫を発見し、大体の状況を把握した頃。
「うぅぅ、いってえ、なんだアレ」
呻き声を上げながら、ラウドはむくりと起き上がった。
ざっと部屋の中を見回す。金髪碧眼の美女に化けていた針金男の姿は消えていた。すぐ近くに、コリンが両手両足を投げ出すように倒れている。
「さっさと起きろ!」
「ふぎゃっ」
脇腹に蹴りを入れてやると、コリンは悲鳴を上げて飛び起きた。辺りを見渡して、ぼんやりとした口調で言う。
「あ、アレェ? いないねェ」
「見りゃわかるだろ。逃げられたんだよ、馬鹿」
コリンは怯えたように身を縮めた。ラウドは忌々しげに舌打ちして、
「今すぐ他の連中に話回して、大通りを抑えて来い」
「なんでェ?」
「国家ちあ··········あー、何ちゃらってのの本部は大通り一本目にあるんだろ。旦那のお楽しみがバレたら大変だ────あいつが戻る前に、始末するぞ」
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